第三章、或いは聖女護衛依頼
第三十六話 白の薄氷亭にて
ハルラックの街、
バーと冒険者ギルドを兼ねた店内の壁、コルクボードに几帳面に貼られた数枚の依頼書。
〜護衛依頼〜
ハルラックからキラーキ村までの護衛をお願いいたします。
滞在は二泊三日を予定、滞在費はこちらでお支払いいたします。
報酬は2000
トーリス・ラスピ
貴方に星光の加護があらんことを。
そのうちの一枚であった上記依頼書を問答無用で突きつけられ、軽薄を煮詰めて作り上げたような空気を醸す青年は、あからさまに顔を歪めて薄茶色の髪を横に揺らした。
「なんで俺なのさ、亭主殿。まだ怪我人なんですけど」
バーカウンター越し、左腕を見せびらかすようにアピールする。つい先日の依頼で骨まで見えるほどに深く斬りつけられたその腕は普通の腕と相違ないように見えるが、その実「しばらく安静にしてなよ。麻痺が残る、じゃ済まなくなるかもしれないんだから。言っても無駄なお前に敢えて言ってるの、理解しなよ」と治療者から脅しに近しい忠告を受けていた。
青年、マスダは冒険者だ。冒険者にとって両の腕は商売道具の一種であると言っても過言ではない――触媒等を使わずに魔法だけで戦うような者であれば話は違うだろうが――。それ故、言葉通りにあまり無茶をしないように、どころかここ数日は戦闘を伴う冒険者業の一切を行っていなかった。
「出来れば休ませてあげたいところだけどね。聖女様からのご指名なんだ」
「せいじょさま? ……あー、トーリスか」
その単語に記憶の中のトーリスを思い起こす。
モノクロ色のウィンプルで薄桃色のゆったりとウェーブした髪を覆い、影になった瞳は淡い灰色を携えている。その表情は柔らかさを感じさせながらもどことなく悲しげで、一見儚く繊細な修道女——そんな女性だった。
もっとも、見た目通りの大人しい修道女であれば、マスダなどと関わり合いになることもなかっただろうが。
「護衛なんていらないでしょ、あれなら」
「あれ、とは。
「……そーだよ」
亭主の後ろ、キッチンからひょこりと顔を出した少女にため息をつきながら応える。物静かながらどこか芯のある声色は、そこはかとなく圧を感じさせるものだ。
「聖女サマがキッチンで何してるの」
「食事です。亭主は重いメニューを出してくださらないので、自分で用意していました」
「摘むものならいくらでもあるんだけどね」
「足りません。それに、私が表で食事をしていると、あらぬ噂を立てる方もいらっしゃいますし」
ふう、と小さく息を吐いたトーリスが、キッチンを後にしてマスダの隣に座り直す。陶器のような白い肌は桃色の髪に包まれて、より白さが際立っている。外見の淡い色遣いに彼女の持つ役職も相俟って、あらぬ噂は容易く立てられる。
トーリスの所属・信仰する星光教会の中で彼女はいち修道女であり、そして異端審問官でもある。星光の力がとりわけ強い修道都市モリーはともかく、様々な人種・種族が集うハルラックに於いては信仰の対象は自由とされているが、それでも異端審問官・トーリスの名と姿はそれなりの知名度を持つ。教会も本人も大々的に否定をしないので、役職に伴う噂は好き放題に流れたままだ。
淡々と異端を殺してみせる女なので寧ろ喜んで異端者を探しては人目の無いところで殺しているだとか、その屍肉や血を喰らっているのではないかだとか、などと。ハルラックでは公開処刑を行っていないけれど、一部民衆の間ではトーリスは淡々と、もしくは嬉々として、断罪という名の処刑を行う狂信者のようなイメージが根付いているようだ。
「街に不安を呼ぶのは、本意ではありませんので」
当の本人は「いちいち騒がれるのも神に迷惑でしょう」というような感想を抱く程度で、毛ほども気にしていない様子だが。
「さあ、この通り食事は済ませました。依頼の準備はよろしいですか?」
「受けるって言ってないんだけどな」
「そうですか。こちらで受け入れていただけないのなら、
青鳥の止まり木、の言葉にマスダは眉間に皺を寄せた。
そこもまた、白の薄氷亭と同じくハルラックに数ある冒険者ギルドのひとつだ。マスダも籍を置いており、所属しているメンバーとパーティーを組んで依頼を受けることも多々ある。
盗みや殺しのような後ろ暗い依頼は請け負わず、ドラゴンなどの脅威的な対象の討伐依頼は控えめ。冒険者の中では比較的、地に足を付けて分相応な依頼を着実にこなす堅実な者たちが集うギルドだ。
だから今回のような――目的地まで多少距離があるとは言え、護衛対象が街であらぬ噂を立てられているとは言え、身分だけは確かな聖女護衛依頼であれば、仲間たちが受けてしまう可能性は、十分に考えられる。
「俺がやる」
「あら、乗り気ではなかったのに?」
「今も乗り気ではないけど。それに、俺のが確実でしょ」
「それはそうですね」
ではよろしくお願いします、と口元で微笑むトーリスに、マスダは隠すこともなく深くため息を吐く。
――敬虔な修道女。彼女は噂に違うことなく、異端を許さぬ審問官でもある。
「星光のお導きに感謝を。ふふ、村に教えを広めたいだなんて、感心な村長だと思いませんか」
単なる護衛だけで済まないことは、約束されているようなものだった。
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