第三十五話 再会

「あ」


 視界に映ったのは、あの夜見た男と違わぬ姿だった。無造作に揺れる濃く淹れたミルクティーの色をした髪と、光をあまり返さない赤銅の瞳。ゆるりとした足取りだけど大した音も立てないのは、癖なのだろうか、と今更ながらに思う。

 思わず声を漏らすカディナに、赤銅がパッと少女に向けられた。


「――依頼? って感じじゃなさそうだね」


 関心を向けられたことに、何故か少しばかり安堵する。


「おかえり、マスダ。何か飲むかい」

「え、飲むけど……何か企んでる?」

「まさか。こっちにいらっしゃい」


 バーテンダーの手招くままに、男――マスダがカディナの隣に腰掛ける。間を置かずに彼の手元に置かれたのは涼やかなコリンズグラスで、中ではしゅわしゅわと泡が立ち上っては弾けていた。仄かに香るのは柑橘系の果汁だろうか。カディナに出されたアイスミルクティーとは随分と様相が異なって、実に涼し気だ。今日は然程暑くはなかったけれど、でも彼にとっては暑かったのかな、とカディナは密かに考える。バーテンダーに掛けられた言葉が頭の中で常にぐるぐると渦巻いていて、マスダの方を見るのが気まずかったので。


「つめた。何入ってるの、これ」

「炭酸水とレモンだよ。彼女、今日からうちの冒険者になったんだ」

「へえ。正気?」

「へ」


 流れるように明かされたカディナの目的に、流れるように疑問を投げられた。

 あの薄暗い赤銅は、炭酸水でもバーテンダーでもなくカディナを見ている。応えるべきは自分だと、どこか緊張して乾いた口をミルクティーで湿らせて、意を決してマスダへと向き直る。


「気分を、害されたでしょうか!?」

「は?」


 発した声はコントロールが利いておらず、想定より大きく響いた。


「あ、ごめんなさい……! その、少し緊張してて」


 三人のほかに人がいないのだけが救いだった。口を覆いつつ、今度は小声で弁明する。


「少しじゃなさそうだけど。気分を害したって、俺が?」

「は、はい……!」

「何で?」

「その、……後を追ってここまで来たの、ちょ、ちょっとその……気持ち悪いかなあって……」


 自分で言っていながら、ぐさぐさと心に刺さる想いだった。しかし。


「そこは別に。嫌な思いしたのに何で? って思っただけだよ」

「嫌だなんて全然……そうだ、左手。もう動くんですか?」

「動くよ」


 ほら、と証明するように軽く左手が振られる。あの夜の、骨まで見えるような大怪我っぷりが嘘のようだ。そのグロテスクな腕を含めて、脳裏にこびりついてしまったものは沢山あるけれど。


「良かった……。……ご質問の応え、ですね。わたし、正気です。ご存じの通り、わたしの家は危うくて。いつかは自分ひとりで稼げるようにならなくちゃと心のどこかで思っていたんです。それを先延ばしにして、し続けて――あの日が来なかったらずっとそのままだったかもしれないって、思うんです」

「そう」

「だからその、……ありがとうございました、マスダさん」

「……」


 小さく頭を下げるカディナに、大した感情を乗せていなかった瞳が、少しばかり丸く見開かれる。


「……変な子」

「へ、変……!?」

「かなり。……正直、亭主殿もどうかと思うけど。ド素人所属させてどうするの」

「選べば危ない依頼ばかりではないし、彼女の審美眼やマジックアイテムが役立つものだってあるさ。何かあった時は、先輩としてよろしくね」

ご指導ご鞭撻のそういう依頼?」

「同じ宿のよしみって言うんだよ」

「変……」


 マスダとバーテンダーが何やら会話をしていたのは耳に届かず。


「……じゃ、部屋に戻るから。またね、カディナ」

「……!! は、はい! よろしくお願いします!」

「噛み合ってるこれ?」


 気が付けば出されたものを飲み終え椅子を降り、ゆるりと手を振って背を向けたマスダに、思いきり頭を下げてカウンター席からずり落ちそうになりながら、カディナの冒険者生活は始まった。

 





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