閑話、或いはとある冒険者登録の話

第三十四話 白の薄氷亭にて

 ハルラックの街、卓越風通り。

 しろ薄氷亭はくひょうてい


 バーと冒険者ギルドを兼ねたその店に、少女はいた。


 薄明りに照らされたバーカウンターに、ひとりの少女が真剣な表情で座っている。

 てっぺんに幅の広いカチューシャが鎮座した長い金髪は指通りも良さそうに少女の動きに合わせてさらさらと揺れ、しなやかな右の手は震えながらも羽ペンをしっかりと握っている。ドレスとも私服とも言い難い品の良いワンピースに身を包んだ身体はぴんと背筋こそ伸びているが、誰が見ても緊張していることを断定できる程度には強張っていた。

 ふう、とひとつ息を吐き、ようやく羽ペンを置く。音をたてぬようにひっそりと。


「……おわりました、亭主さん」

「はい、お疲れさま。これで今日から、君もここの冒険者だ」


 少女の記入した紙を受け取ったバーテンダーが内容をちらりと見聞し、頷く。

 カディナ・ローザイド、16歳。冒険者ギルドにはそぐわず、かといってバーにも似合わぬ少女然とした彼女は、冒険者登録をしに白の薄氷亭へとやってきたのだった。


    ◇


 先日、カディナはとある依頼に巻き込まれた。巻き込まれたというより、気が付けば渦中にいたというか、知らぬ内に中心人物になっていたというか。

 依頼はふたつの誘拐依頼。ひとつは、単純に言葉通りの誘拐。ローザイド家の金銭収集しているマジックアイテムか管理している遺跡か、はたまたカディナ自身か。目的は色々と考えられるが、とにかくそれらとの引き換え材料にするためのもの。

 もうひとつは、それの対抗手段としての誘拐――保護といっても良いだろう。誘拐犯の手に渡らぬよう、カディナを安全地帯に送り届けるといったようなもの。物騒な依頼名なのは、誘拐犯に変な場所から作戦が漏れぬようにという配慮だろうか。


 そのどちらをも引き受け、護衛の方の誘拐依頼を達成したのが冒険者――白の薄氷亭に所属するという、マスダという男だった。ちゃっかり誘拐依頼の方の金も取ったというのだから、カディナとしては驚きだ。いや、その晩に起きた何もかもがカディナにとっては驚きの連続であったのだけれど。


 助けられた。と、思っている。その冒険者に。


 無論、それだけで冒険者登録に臨んだわけではない。

 ローザイド家は確実に没落の方向へ向かって進んでしまっている。父は娘に苦労や心配を掛けまいと各所に働きかけ、労働にも出かけて何とか生活を維持しようとしているようだが、限界が見えているのも知っている。それでも今まで動けていなかったのは、父のメンツを保とうとしたのもあるし、カディナ自身が動くことで「家が危ない」という事実を意識してしまうことに恐怖を覚えていたからだ。


 件の依頼で冒険者と話し、関わる中で、ローザイド家が金銭の代わりに手放したマジックアイテムや管理していた遺跡が、何者かに悪用されている可能性があることを知った。もしかしたら、中にはそのせいで命を落とした者もいるかもしれない。

 金さえあれば。ローザイド家の思考は基本的に善良だ。悪用をするなど、まして人の命を故意に落とそうとするなど考えすらしない。この手の中におさまっていれば、起きぬ事件もあったはずなのだ。


 考えた末、カディナは冒険者の道を選んだ。他にも金を稼ぐ手段はいくらでもある。その中で冒険者を選んだのには――いくらか、憧れの感情も混ざっていたのだろうと言われれば、否定はできない。


    ◇


「では、カディナ」

「! ……はい!」


 どこかひやりとした、しかし冷たさを感じさせぬバーテンダーの声に、思考が現実に戻ってくる。先ほどまでは「カディナさん」と敬称付きで呼んでいたのが外れたのは、あの書面をもってカディナを白の薄氷亭所属の冒険者として認めたからだろうと思うと、ただでさえ姿勢の良い背筋も猶更伸びる気持ちだ。


「そう固くならないで。君は、冒険者として活動するのは初めてだね」

「はい、初めてです」

「うん。だからまあ、分かっているとは思うけれど念のため。以前君が巻き込まれた依頼は、高額依頼だとか危険依頼だとか高レベル向けだとか、そのようなものに分類される」

「……はい」

「君が関わった冒険者は、専らそんな依頼ばかり受けている。共に依頼を受けるまでにはそれなりに時間が掛かるということは理解しておいてほしい」

「……!!」


 薄暗い室内でも分かる程に、ぽ、とカディナの顔が赤く色付く。


「や、わ、わた、わたしそんなんじゃ」

「ふふ。気持ちのベクトルはどうあれ、誰かへの感情から冒険者になる人も少なくは無いんだ。恥ずべきことではないよ」

「そ、そん…………はい」


 そんなんじゃない、と二度とも言い切れぬまま、ぷしゅうと小さくなる。

 と、そこに。


「ただいまー」


 軽薄さを丸めて煮詰めて作り上げたような声が、耳に届いた。




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