第二十五話 戦闘開始
再び頭から毛布で包まれたカディナは、目を強く瞑って風を切る音だけに集中していた。カディナを肩に担ぐ——案外軽率にマスダと自らを名乗った男が夜の路地を蹴る振動は、速度に反して随分と穏やかだ。
小屋を出る直前、毛布をもたもたと被りながら交わした会話を思い返す。
◇
「裏の繋がりがあるようなでかい組織じゃないにしても、一人二人のチンピラってわけじゃない。金もあるみたいだし、それなりに腕の立つ護衛も雇ってるはずなんだよね」
「え、……っと、わたしを攫うような依頼を出した組織のことですよね」
「んー? まあ、そうかな。そんなことより、俺が相手に手出した時点で、あんたが狙われるはずだ。俺を脅す道具に使えるし、そもそもあんたが手に入れば向こうの目的は達成なわけだし」
「……わたしは、逃げた方が良いのでしょうか」
「素人の足じゃ逃げきれないでしょ。安置見つけるから、合図したらそこで目でも瞑って丸まっててくれたらいいよ」
「あんち」
「死なない場所ってこと」
軽く話すマスダに、不安は一切感じられない。よっぽど戦闘の実力には自信があるのだろうか。
よく分からないが自分の命が掛かっている。戦闘知識はからっきしなので、自分を守ろうとしてくれているらしいこの男に従おうと、毛布の中でこくりと頷いた。
◇
自分の命は救われるかもしれない。しかし、そうなれば『依頼主』とやらはこの男に殺される。少しばかり生まれた心の余裕は、少女に芽生えた罪悪感を意識させるのには十分だった。それを拭いたくて、必死に目を瞑る。そもそも、自分は、被害者なはず。それだけなはず。
そんなカディナの心情などはお構いなしだ。徐々に減速したかと思えば、目的地にたどり着いたらしく、足が止まる。
いよいよ、と。祈るように両手を握りしめる。
コココッ コッ コッ
リズミカルなノック音の後、少し間を置いて、扉の開く音がする。
「……」
「ブルーローズを配達に」
「入りな」
招かれるまま、マスダは室内に滑るようにして入る。窓という窓は分厚いカーテンに覆われている。薄暗い灯りは点されているが、外からは全く勘付かれないだろう。深夜に明らかにカタギでない者も混じった男たちが集う様子など。日中ならともかく、真夜中であれば窓やカーテンを閉め切る家も、そこまで珍しい存在ではない。
(背後に一人、前に二人。もう一人隠れてるかな。二階にもいるんだろうけど……流石に厳しいか)
迎えたガタイの良い男が、マスダの後ろで静かに扉を施錠する。眼前には二人。依頼主かその代理か、質の良い服に身を包んだ男が一歩前に踏み出すのを見ながら、視界の片隅で部屋の奥の階段を見やる。……気配を探るのは難しい。
(良いや。何人でもやることは変わらない)
「……お前がマスダ、か?」
「うん。合言葉知ってるの俺だけでしょ」
「盗み見た奴がいねえとは限らん」
「そりゃそうだ。でも俺がマスダでも違っても、どっちでも良くない? ほら、」
肩に担いでいた荷物から毛布をちらりと剥いで見せる。俯いて影になっているものの、覗いたのは間違いなく、カディナ・ローザイドの顔であった。
「依頼品は持ってきてるんだし」
「なるほど、確かに」
「……そっちが先。分かるよね。こっちは一人だ、この土壇場であんたら全員相手にする気はない」
「周囲に潜ませている可能性もあるだろう」
「いないこと確認してからドア開けたんでしょ。……依頼品の命は俺が握ってる状態って、分からないかな」
「…………」
数秒の沈黙。態度を崩さぬマスダに周囲で気配が動くのが分かったが、目の前の男がそれを制した。
「……良い。こちらから出す。が、背けば命は無いと思え」
「話が早くて助かる」
男が視線を外さぬまま、近づいてきた仲間から重みを感じさせる袋を受取ろうと手を伸ばす。その瞬間。
「——ぎッ!?」
「きゃあっ」
風を切る音と共に、小型のナイフが深々と男の額と喉元と心臓に突き刺さった。鮮血と共に男の身体が生気を失って揺らぐ前に、カディナが悲鳴をあげる。気がつけば再び毛布に視界は塞がれ、軽く宙を舞った身体を強かに床に打ち付けていた。
「い、痛い」
「動かないで。気絶だけはするな。目は瞑ってて良いよ」
慣れない痛みに意識が揺らぎかける中、カディナに掛けられているらしいマスダの声を必死に拾う。毛布でまみれて見えないだろうが頷きながら、痛む四肢を動かして出来る限り小さく丸まった。
ちらりと毛布の隙間から見えた様子から、玄関側に投げられたことを悟る。入ってすぐ右手に大きなクローゼットがあったので、それと壁で出来た一角にいることを把握した。小屋で言っていた「あんち」という場所なのだろうか。
そこからは、酷い騒音の渦に飲み込まれた。
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