第二十三話 小屋の中

 狭く古びたその一軒家は、小屋と呼ぶにふさわしい出で立ちだ。

 扉を開くと同時に舞う埃に目を細めながら、担いでいた荷物を椅子に下ろす。毛布を剥げば、顔を出した少女はその顔色を真っ青にしていまだ震えていた。


「酔った? なんか飲む?」


 手にした水袋を眼前で揺らしてみるも、返事はない。それなら良いかと一人で水分補給をしていると、喘鳴のような音を立てながら何とか呼吸を整えた少女の口が、小さく開いた。


「……あ、あの、……殺されるのでしょうか」


 深夜に一人連れ去られたともなれば、当然の疑問だろうか。


「俺は殺さないよ。ちゃんと生きたままお渡しする予定」

「おわ、たし」

「思ったより順調で、まだ時間あるんだよね」


 育ち故だろうか、雑に置いたうえに未だ恐怖に震えているというのに、少女の座る姿勢はぴんと背筋が伸びて綺麗だ。

 その正面にもう一脚の椅子を移動させる。背もたれに両腕を乗せて視線を合わせて、


「お喋りでもする?」


 軽く問うマスダに、少女は自身の行く末を察した。


    ◇


 ——これは誘拐。怨恨か金銭目的かは分からないけれど、ここで青年の意思を変えねば、行き着く先は地獄だ。

 ——もっとも、変えた先も地獄かもしれないけれど。

 ――でも、抗わなければ。


「あの、……貴方は、わたしを攫うよう頼まれたのですか」

「そうだね。カディナ・ローザイドさん16歳女性。ローザイド家の次女で間違いないよ」

「そう、ですか」


 対象は少女自身——カディナで間違いないようだ。間違っていたら、それはそれで口封じか何かで命を奪われていそうだが。


「……わたしは、どうなるのでしょう」

「どうだろう。依頼人次第だね」

「…………」


 明言は避けられたが、であれば猶更、嫌な方向に想像が働いてしまう。身体を良いようにされる、拷問される、殺される、どこかに売り飛ばされる。もっと残酷なものかもしれない。わざわざ『ローザイド家の次女』と指名されているからには、どのような道を辿れども、家を強請る材料にはされるだろう。

 首を横に振って想像を払いのけたい。しかし、目の前の男を刺激するかもしれないと思えば大人しくするしかない。

 やはり、待ち受けるのは地獄でしかないのだろう。であれば、この男に依頼主への引き渡しをやめてもらう他ない。連れて来られるまでの身のこなしでも、身体能力に優れているのは感じ取れた。カディアは魔法の心得は多少あるが、その「多少」で失敗したら終わりである。本当に最後の手段としては考えているが、「お喋り」を続けてくれるうちは使うわけにはいかない。

 口振りからして、依頼主と男の関係性は薄いのだろう。この仕事だけの付き合いと見ても良い、とカディナは感じた。

 であれば、男の目的は依頼料——金だろう。


「……あの」

「ん?」

「お金は、わたしが払います。だから——」

「信用問題もあるしなぁ。ていうかローザイドさん、金無いでしょ」

「……え、そ、そんなことは——」

「へえ。いくらくれるの?」

「……7000R、程なら、すぐに」


 どうしようもなく無理をした金額だ。

 男の言う通りであった。表面上は取り繕っているが、ローザイド家は既に没落の一途を辿っている。しかしまだ、取り繕えている範疇だ。身なりや外での交流は今までと変わりないし、もとより家に招く側ではなかった。

 ……彼は、招かれざる客であった。しかし財政状況を理解するほど家を見て回ることができる、悠長な客ではなかったはずだ。

 顔を伺っても、軽薄そうな笑みを浮かべるばかりである。

 しかし7000Rは、貴族であろうと高額であると判断できる数字だ。間違いなく依頼料は超えるはずだと考えたのだが、


「うーん、安いな」

「……え、」

「あんたにノったら依頼失敗扱いになるんだよね、俺。評判落ちたら仕事受けられなくなるかもだし、それ避けるなら依頼主殺さないとだし。殺すにしても、俺みたいなのに依頼出す奴ってカディナちゃんより抵抗してきそうじゃん? 釣り合わないなって」


 淀みなく羅列される言葉に打ちのめされそうになる。

 富裕層特有の汚さは、その社会で生きてきたから多少は理解できている。しかし裏社会の事情は無知に等しい命のかかっている少女には、責め立てられているようにすら感じた。


「っごめんなさい、ごめんなさい……! あの、いくらなら、」

「さあ」


 彼の求める金額は提示されない。

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