第二十二話 依頼開始

「……」


 深夜、25時の半ばも少し過ぎた頃。

 卓越風通たくえつふうどおりから街の中央部へと数本通りを渡った先の東風通こちどおり。

 ハルラックの中には富裕層の生活する区画がいくつかある。東風通りもその内のひとつであり、それを示すように道は綺麗に整備されていた。真夜中に飲み歩く者も道端で醜態を晒す者もおらず、辺りは静まり返っている。


 街灯と月が照らす道。その光を避けながら、青年は一人、音もなく歩いていた。


(……静かだなあ)


 マスダは心の中で独りごちる。


 宣言通りに、シクストは日付が変わると同時にさっさと立ち去ってしまい、それから約1時間。一人飲んではいたものの気分は上がらず、ただただアルコールに頭を浸すだけの時間だった。そのアルコールも、夜風にあたればすぐに抜けてしまう。気分の良さは長続きしないものだ。


(……)


 怪しげな依頼書はしかし、サインをして詳細を見れば然程特別な依頼ではなかった。

 深夜3時に、東風通りの邸宅に住む子供を指定場所に送り届ける。

 それだけだ。


 ふらふらと歩いていれば、件の邸宅へと辿り着く。この通りの家らしく土地は広い。が、守衛はひとり。佇まいからも、何が起ころうとひとりで対応できるような人材とはとても思えない。彼の周囲には罠もなく、生命や魔力を感知するような魔法も仕掛けられていないため、お飾りであることが見て取れた。ちょっとした盗っ人の類には牽制程度にはなるのだろうが。何せ敷地は高い塀に囲まれているので、普通に入るなら守衛の見張る門から行くしかない。

 とはいえ、正面から行って騒がれるわけにもいかない。荷物袋から取り出したロープの先端を塀の上に引っかけて登攀する。


(……これで見つからないんだもんな)


 塀の向こうに着地して尚、守衛は動かない。ドロボーとしては楽で結構なことだ。と、ロープを回収しながら、敷地内を進む。

 月光に照らされる邸宅は荘厳な大きさを持ち、それなりの年季も感じさせた。正面からぐるりと裏手に回れば、生い茂った木々が風に煽られて激しく音を立てている。よく伸びた枝葉は二階のバルコニーにかかっていて、いよいよ窓にぶつかりそうなほどだ。


「……」


 マスダが枝に手を掛ける音が、木々の奏でる音に混ざって掻き消える。太い枝に軽く飛び乗ってしまえば、バルコニーに辿り着くのは容易であった。

 その窓の奥に、ひとりの気配を感じる。

 手早く窓を開錠し、木の葉の飛び込まぬうちに身を滑り込ませる。立派なベッドの上に、不規則に上下する毛布の塊が転がっていた。


「夜更かしだね」


 軽薄な声に、息を呑む音がミスマッチだ。


「この距離で寝たふり? 逃げれば良いのに」


 頼りない砦は、マスダの片手であっさり取り去られた。身を縮こまらせてカタカタと震えるのは、ブロンドの髪を両脇でゆったりと結ぶ、十代中頃ほどの少女だった。その碧眼は、青年の茶色の視線に射抜かれたように逸らさないでいる。


「……、……」

「喋れない、って情報は聞いてないしな。……もしもし、聞こえてる? あんた声出ないの?」

「…………あ、」

「出るじゃん」

「……こ、ころさないで」

「黙ってれば殺さないよ。できる?」

「っ、!」

「良い子」


 脅しにはなるかと片手で弄んだナイフの効果があったのか、口を噤んで壊れたように頷く少女に、満足げに微笑む。そして取り上げたばかりの毛布を再び掛け直して、丸まっていた身体を担ぎあげると、


「ひっ」


 入る時と同様にさっさと窓から部屋を後にして、そのまま広い敷地も東風通りも走り去る。少女のあげた小さな悲鳴は、マスダ以外に届くことはなかった。





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