第一章、或いはゴブリン討伐依頼
第九話 白の薄氷亭にて
ハルラックの街、卓越風通り。
バーと冒険者ギルドを兼ねたその店で、ひとつの影がふらふらと蠢いていた。
几帳面に貼られた数枚の依頼書。
そのうちの一枚に、薄茶色の髪に残る寝癖を整えながら、冒険者が手を伸ばす。
〜ゴブリン討伐のお願い〜
小屋に住み着いたゴブリンの討伐をお願いします。
数は5体。確実・迅速な対応のできる冒険者の方にお受けいただきたいです。
詳細は依頼書にサインをいただいた日の午後7時にお伺いします。
報酬は1500
キャンセル:× 期限:当日中
デバラ・アクエル
依頼書の内容は以上。とはいえ、ゴブリン――モンスターの中でも最弱に等しい、駆け出し冒険者が請け負うような討伐依頼で1500Rは破格だ。本来ならば200Rかそこらが限界。
それに。と、冒険者はひらりと依頼書を摘まむ。魔法を専門としない自分でも、マジックアイテム等の助けなしではっきりと魔力を感じ取れる。白の薄氷亭にも備えられた一般的な用紙ではなく、所謂魔法書と呼ばれるアイテムを使っているのだろう。わざわざ、この依頼を書くために。
真っ当な依頼ではないことは明白だ。
「……毎回思うんだけどさあ、このキャンセル欄いるの? ここに来る依頼で話聞いてからでもキャンセルOKなやつ、早々ないだろ」
「おそよう、マスダ。寝坊助な君は知らないだろうけれど、普通の依頼もあるんだよ。朝のうちはね」
「あ、そうなの? ここにもまだ真っ当な冒険者いるんだ」
冒険者——マスダ、と呼ばれた青年は悪びれもせずに笑いながら、視線を向けていたその依頼書を剥がし取る。カウンター席の奥に立ってグラスを磨いていたバーテンダーはそれを一瞥し。
「受けるのかい」
「うーん、暇だし。今日確か、シクスト来るって言ってた気がするし」
「彼の言う予定は信用ならないけれど……まあ、君が望むのなら来るだろうね」
「じゃ、そういうわけで。あいつ来たら起こしてよ、亭主殿」
手にしていた紙を指から零すようにバーカウンターに滑らせる。それが検討はずれに床に落ちてしまう、など考えもしないように、まるで関心を失った様子でマスダは奥にある階段で居住用スペースへと戻っていった。起きたばかりだというのに、良く寝ることだ。
「こちらは寝坊させるわけにもいかない身だ。可愛い追い詰め方をするね」
見事、依頼書は亭主殿と呼ばれたバーテンダーの手元に辿り着く。
デバラ・アクエル……依頼者の名前の横には、雑な字でマスダの名前が記入されていた。依頼は既に成立している。
サインをきっかけに持ち主へ合図を送るという、地味ながらも希少な魔法書をわざわざ使用することも厭わぬ依頼者。依頼書を持ってきた当人はともかく、その上にいるのが貴族であることは、勿論依頼書受理した亭主も理解している。顧客の信用を損ねるわけにもいかないので、マスダが一方的に投げた子供のような約束を守るほかないのだ。グラスたちを綺麗に磨き上げ、紛れもないバーとしての客を出迎える準備をしながら、バーテンダーは時計に目をやって小さく笑みを浮かべた。唯我独尊な冒険者を、どのように起こしてやるかを考えているのだ。
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