「お客様大丈夫ですか?! どうぞこちらへ!!」


 ホテルの従業員に促され、私は自分の部屋へと移動した。流れで水桜君も一緒に。


「ご両親は別のホテルへ移ったらしいよ」


 良かった、これでもう会う心配はない。


 私は指をグッと握った。震えが止まらない。


 あの時水桜君が助けてくれなかったら、私はどうなっていた?


「お姉さん、大丈夫?……じゃないよね」


 水桜君は私にペットボトルの水とハンカチを差し出してくれた。なんでハンカチ?


「あ……」


 そこで初めて自分が泣いていることに気がついた。


「水桜君……巻き込んでごめんなさい」

「うーん、ごめんよりはありがとう!って言われたいけどな〜? 俺が自分から巻き込まれにいったわけだし!」

 

 彼はニコッと笑う。


「あ、あの、えっと。助けてくれてありがとうございました……」

「うん、どういたしまして!」


 水桜君の貸してくれたハンカチで涙を拭く。


 私と両親の過去のこと、彼に話したほうが良いかな。


「ねえ、お姉さん」

「え……あ……。な、なんでしょう?」


 いきなり呼ばれて驚いてしまった。


「もし良ければご両親と何があったか、俺に話してくれないかな? もちろん嫌だったら話さなくて良いけどね。俺アドバイスとか出来ないけど、誰かに話すと気持ちも落ち着くかもしれないよ?」


 水桜君は真剣な眼差しで言った。


 私は目を見開く。この子の本質は、やはりこちらなのかもしれない。


「暗い話ですし、もしかしたら気分が悪くなるかも……。あの、本当に話しても良いんですか?」

「うん、もちろん」




 私は幼い頃からずっと、両親に愛されるための努力をしてきた。なぜなら、両親の愛は条件付きだったから。


 両親に愛される条件は「彼らにとっての完璧な娘であること」だった。自分達の言うことを聞き、反抗はしない。勉強も習い事も、どんなに些細なことでも全てが優秀で、周りから凄いと言われる。そんな完璧な娘である時だけ、私は両親から褒められて愛してもらえた。それから外れた私には価値がないと教えられた。だから私は努力を惜しまなかった。ずっとずっとずっと。


 でも……無理でしょう?


 完璧な人なんてこの世にはいない。人にはそれぞれ限界がある。


 それをはっきり自覚したのは、私が高校生の時だった。県内でも有数の超進学校に合格したけれど、そこではどんなに努力をしたって1番にはなれなかった。それに幼い頃からずっと続けてきた習い事も、コンクールで入賞すらできなくなっていた。私はただの凡人で、才能を持った人間には敵わなかった。


 両親には沢山怒られた。痛い思いもした。私は限界だった。ヒビだらけの心が、もう粉々に砕ける寸前だった。


「勉強できなくたって、コンクールで1番取れなくたって、私は灯ちゃんのこと大好きよ!」


 祖母が、祖母だけがそう言ってくれた。


 祖母は、彼女の家からほど近い場所にある大学への進学を勧めた。偏差値は高くないが、学生がイキイキと勉学に励む素晴らしい大学だと祖母は言った。さらに祖母の家に住んで、そこから大学に通えば良いとも言ってくれた。その話は私にとって希望で、とてもキラキラしたものに思えた。


 もちろん両親は猛反対した。祖母が間に入ってくれたが、父は早々に折れたものの、母は全く考えを変えなかった。最終的には「受験の練習」として試験を受けることを許されたが、私はこのチャンスを絶対にモノにすると決めていた。私は祖母の勧めた大学以外、真面目に試験を受けなかった。母の選んだ大学の試験は、1問たりとも回答しなかった。私は初めて、両親に反抗したのだった。


 自分の選んだ大学を全て落ちたと分かった母は激怒した。どうして母はあそこまで激昂したのか。その当時は分からず、ただ私は恐怖で震えていた。でも今ならわかる気がするのだ。私の将来のため? いや、残念ながら違うだろう。


 母は私を浪人させる気でいたが、祖母が話をつけてくれた。頑なな母をどのように説得したのかは不明だが、祖母には感謝しても仕切れない。


 大学に入ってからの祖母との二人暮らしは、本当に楽しかった。大学生活も楽しかった。大学卒業後は祖母の家を離れて東京で就職したが、私にとって祖母は大切な大切な、かけがえのない家族だ。

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