十
私は目を閉じた。
自分の心に意識を集中する。
騙されていた。ハルさんは最初から存在しなかった。何故か記憶を消すことができる。絶望、怒り、不安、悲しみ。マイナスの感情が心を支配している。でも本当にそれだけ? 花織さんに対する気持ちは、本当にマイナスのものだけだろうか?
私は……私は……。
私はゆっくりと目を開けた。
「花織さんがいなくなるのは嫌です」
「え?」
私ははっきりと答えた。
花織さんは意外な答えだったのか、ポカンとした表情になる。
「確かに花織さんの行動には驚きました。記憶を消せるのもよく分からないし、恐ろしい能力だと思います。でも、花織さんのことは嫌いになれません。だって今まで私に向けてくれた優しさや愛情は、本物だと思うからです」
花織さんは黙って聞いている。
「なにより、あの時花織さんに時雨君の記憶を消してもらわなかったら……」
私は、とんでもない間違いを起こしていたかもしれない。あの時は精神的に追い詰められており、文字通り、限界ギリギリだったから。
時雨君に会って、思い出した時の涙。その理由は、失恋の悲しみもあったが、安堵の気持ちの方がずっとずっと大きかった。もう時雨君と2人で、出口の見えない迷路を迷い続ける必要は無いと分かったから。私のことを忘れてくれて良かった……そう思ったのだ。
「私は花織さんに救われたんです。本当です。だから極端な行動も愛情故だと、そう思っても良いかな……なんて」
私はぎこちなく笑った。
花織さんはゆっくりと、緊張した面持ちで口を開く。
「……これからもずっと灯さんのそばにいて良いんですか?」
私は花織さんの目を見て、ゆっくりと頷いた。
お互いを見つめ合う。
どれくらい時間が過ぎただろうか。
花織さんは私の腕を掴んで、彼に方へと優しく引いた。
そして私を強く強く抱きしめた。
「……好きです。愛しています。心の底から灯さんのことを愛しています。あなたのためなら、どんなに危険で残酷なことでも、僕は喜んで引き受けると誓います」
その想いは重い。
そして歪だ。
しかし、それは確かに愛なんだ。
彼なりの愛なんだ。
「あ……でも、監視行為はもうやめて欲しいです。無許可で記憶を消すのもちょっと……。それに私のためでも危ないことはしてほしくないです」
そう言って、私も花織さんをギュッと抱きしめた。しかしいくら待っても返答がない。つまり彼は、了承しかねるとおっしゃっているのだ。
困った人だな。これから時間をかけて説得していこう。私は彼にバレないように苦笑した。
「灯さん」
突然名前を呼ばれた私は、花織さんの顔を見上げて……息を呑んだ。
艶麗?妖艶?微笑んだ彼の表情がゾッとするほど美しかったからだ。
「花織さん……」
いつも彼がする微笑みとは全然違う。
完全に魅入られてしまったようだ。全く目が離せない。
「なんですか? 灯さん」
「いや……なんでもないです」
私の中で警戒音が鳴り止まない。綺麗な花には棘だけでなく、猛毒もあるようだ。
時間をかけて説得? 無理無理!
この人は私の手に負えるような人物でないと、直感が訴えてくる。
「灯さん……」
花織さんの右手が私の頬と髪に軽く触れた。
花のような甘い香りがして、軽く眩暈がする。
「灯さん以外なんて考えられません。僕にとってあなたは唯一無二です」
心臓がドキドキしてクラクラする。まずい。これでは完全に花織さんのペースだ。このままでは完璧に主導権を握られてしまう。
分が悪いと理解しているが、悪あがきはしたい。
「花織さん……いや浅葱さん」
「え……今、僕の名前」
作戦その1、突如の名前呼び(上目遣いを添えて)。よしよし、効いてる効いてる。驚きで先程の艶やかな雰囲気が少し和らいだようだ。
「少し屈んで、目を瞑ってもらえますか?」
「……え? えーと、これくらいですか?」
花織さんは困惑しながらも、屈んで目を閉じてくれた。
私はしめしめとほくそ笑む。作戦その2、猛毒は猛毒をもって制するべし!私は花織さんの肩にそっと両手を置く。
初めてで緊張するけど、上手くできるだろうか。
私はちょっとだけ背伸びをして……目を閉じた。
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