「花織さん! イワシが群れで泳いでますよ! 美味しそうですね!」

「え?」


「わー!! こっちにはマグロやカツオも泳いでますよ!! 新鮮なんだろうな〜」

「えぇ……」


「あ! このカニ食べれるやつかな?」


 どれもこれも美味しそうだ。お魚が食べたくなる。今日の夕食はお寿司屋さんを提案しよう。お寿司デート! 最高だ!


「あ。こっちにはゴマフアザラシがいますよ。可愛いですね」

「そこは可愛いなんですね。安心しました」

「花織さん? なんでそんなに笑っているんですか?」


 ……ふと、私の横を通った人物を目で追う。背の高い黒髪の男性だ。顔は見えなかったが、私はこの人を知っている気がする。


「行かないでください!!」


 急に手首を掴まれた。こんなに焦っている花織さんを見るのは初めてだ。彼の意見に従うべきなのかもしれない。しかし、花織さんには申し訳ないが、私はどうしてもあの男性が気になる。


「花織さんすみません。ちょっとだけ行ってきます」


 私は花織さんの手を振り払い黒髪の男性を追った。


「待って! 時雨君!」


 え? 時雨君? なんで私は彼の名前を知っているんだ? 時雨君と呼ばれた男性が振り向く。それは確かに時雨君だった。私の初恋の相手。大好きで大嫌いな彼だった。


 なんでなんで、今まで忘れていたんだろう。そうだ。あの時だ。全ての記憶を失ったのは、彼女に相談した時だ。


「あの、どなたですか?」

「……え?」

「すみません。どこかでお会いしたことありましたっけ?」


 時雨君は私の記憶がない?


「あ……」


 彼の左手薬指に指輪が見えた。よく見ると隣には奥さんらしき人がいる。


 そうかそうか。私の初恋は、告白する前に、何も始まらずに終わったんだな。


「あの……勘違いだったと思います」

「え、でも俺の名前」

「失礼します!」


 私はその場からそそくさと離れた。涙が溢れて止まらない。視界がぼやけて歩きにくい。この涙は失恋による悲しみ? それとも……。


 人気の無い場所を選び、スマートフォンを開く。現実的ではないと分かっている。それでも私の中で確信めいた何かがあった。


「もしかしてハルさんが私と時雨君の記憶を消したの?」


 ハルさんは何も言わない。ただじっとこちらを見ている。


「私があの時相談したから? いつも正しい時雨君と一緒にいるのは辛いって。正しさが心に刺さって苦しいって。出会わなければ良かったと言ったから?」


 あの時ハルさんは私に任せてくれと言った。そう言われた後、後は……?


「あれ?」


 いや待てよ。新たに記憶の断片が蘇ってくる。ハルさんは私に任せてと言った後、眠ったかのように全く反応が無くなった。それからしばらくして家の呼び鈴が鳴って、そこにいたのは……。


「記憶を消したのは僕です」

「花織さん」

「これから僕の家に来ませんか。全てお話します」

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