第32話 交差する聖剣と神の拳
その一撃を、なぜ勇者が避けられたのか。それは勘と言わざるを得なかった。
それほどに、その太刀筋は鋭く、見事に死角をついた一撃であったからだ。
「ふっ、今のは危ない」
バザールを抜けた大広場の中心、巨大な噴水が天高く水を噴き上げる中で、勇者は聖剣へと手を掛けた。
「な、なにっ!?」
「わ、分からんが……やばいっ!」
「あいつ! 剣を持っているぞっ!」
周囲の人々はたちまちにどよめき、我先にと駆け出した。
ものの数秒で広場から人は消え、三人の男女だけが残った。
「あの一撃を躱すとは。流石に恐れ入ったのう。ご主人様よ」
「ああ。出来れば、今ので決めたかった」
「違いない。全く、自信を無くしてしまいそうじゃ」
ルークとギンは勇者の正面五メートルほどに並んで立ち、その様子を伺っていた。
「いえ、自信を失う必要はありませんよ。今の攻撃、僕でなければ、何も出来ずに首と胴が離れ離れになっていたでしょうからね」
「嫌味な奴じゃ」
「顔と違って、クソ野郎だぜ。あいつは」
ここにきて、ルークの脳内で選択が発生する。
不意打ちが失敗に終わった以上、これ以上戦闘する意味はない。
「どうする? 退くか?」
ルークの表情から読み取ったのか、ギンが視線を勇者に向けたまま問うてきた。
「そうしたいのは、山々なんだがな」
「相手によると?」
「ああ」
ルークには残念ながら魔法は使えない。走って逃げたとて、その背を追撃される展開は避けたいのだ。
「戦うぞ。ギン」
「ふっ、その言葉を実は待っておった」
ギンは再び、抜刀の構えを取った。
しかし、その時。
「失礼、やる気満々なのに申し訳ありませんが、僕は今貴方達に付き合っている暇はないんです」
「あ?」
「先日、貴方に聖剣を折られてしまいましたからね。再生までにはもうしばらく掛かるのですよ」
「へぇ、そりゃあ良いことを聞いた。ますますやる気が湧いて来た」
ルークの拳に黄金の光が宿る。
スキル《ゴッドハンド》が起動した証明だ。
「いやぁ、怖いなぁ。……そうだ、取引と行きませんか?」
「取引だと?」
「ええ、貴方も転生者なら分かるでしょう? RPGであったやつですよ。良い情報の代わりに、見逃してくれ、みたいな奴ですよ」
「ほー。なら話せよ、その情報とやらを」
この場での戦闘はリスクが高い。例え、勝てたとて、満身創痍になり、衛兵に捕えられる展開は避けたいからだ。
だからこそ、ギンの不意打ちによって、一太刀のうちに終わらせて、退散したかった。
「ええ、構いませんよ。その代わり、言えば見逃すと、誓って下さい」
「何に誓えって? 生憎俺は無神論者だぜ?」
「そうですね。ならば……」
勇者は含みを持たせてから、口角を上げた。
「──貴方を逃し、死んでいった仲間に誓って貰えますか?」
「てめぇ……」
頭蓋に煮湯を注ぎ込まれたように、怒りが込み上げる。
黄金の光を放っていたその両腕は、次第に赤く、黒く、輝きを放ち始めた。
「──殺す」
冷静さを失ったルークは瞬時に、勇者の目の前へと加速すると、その拳を繰り出した。
勇者は満を持して、聖剣を抜く。
一瞬の間隙ののち。
「──それが貴方の、奥の手……と言ったところですか」
「お前こそ、この剣。どうなってやがる」
ルークの拳は、聖剣に衝突する直前で止まる。そして、その目は確かに砕けたはずの聖剣へと向いていた。
聖剣は──脈動していた。
まるで、ひび割れたスタンドガラスの如く、継ぎ接ぎになったそれはまるで、生き物のようにルークの目には映った。
「さて、どうします? このまま戦います? 僕とて、本意ではありませんが、どうしてもと言うならば、乗りますよ?」
「……いや、いい。お前の臓物はこんな綺麗な街でぶち撒けるには、汚すぎる」
ルークは深く息を飲み込んで、拳を下げた。
「良かった。僕とて、貴方を今殺すのは勿体無いと思っていましたから。何せ、貴方からは僕と同じ匂いがしますからね」
「御託はどうだって良い。早く、情報を言え」
「おっと、忘れていました」
勇者は剣を腰の鞘へと戻すと、不敵な笑みを保ったままで言う。
「貴方がここまで来たのは、エルフの森に生える果実によって、あの暗殺者の呪いを解くのが目的でしょう?」
「だったらなんだ?」
「ならば、運がいい。近々、奴隷商に雇われた多くの人間がエルフの森を訪れることになる。そうなれば、容易に入手はできるはずだ」
「それが、良い情報ってか? 足りねぇよ」
ルークが睨みを効かせたまま、凄む。しかして、勇者はそれ以上話すつもりはないようで、ふっと鼻を鳴らしてから踵を返す。
「では、僕は行きます。シズクによろしくとお伝え下さい」
「おい! 待てっ!」
ルークがその背を追おうとするも、肩をギンに掴まれる。
「やめておけ、主人様よ。時間の無駄じゃ。奴からは魔法の気配がする。恐らくは転移の類じゃ」
「……クソが」
「にしても、そこまで冷静さを失ってしまうとは。修行が足らんぞ、主人様よ」
「かもな。はあ、帰るぞ。ギン」
ルークも離れていく勇者の背を一瞥してから踵を返した。
──今殺さなかったのは、ただの気まぐれだ。
もっと惨めで、情けなく、どうしようもないほどに滑稽な死を与えるには、今日という日が向いていなかっただけ。
ルークはそう心を落ち着かせてから、アテナらの待つであろう宿屋へと向かうのだった。
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