第9話 動画撮影

 最近は夏葉と二人で彼女の家に向かっていた帰り道を久しぶりに一人で歩く。


 今日は珍しく周りの声がよく耳に入って来た。


「ねえ、あれ涼風君だよね?」

「ね!最近ずっと会長と一緒に帰ってたのに喧嘩とか?」

「でも、なんか楽しそうじゃない?」

「言われてみれば……確かに?」


 そう言われてスマホで自分の顔を見てみる。

 するとそこにはどうにも不自然に口角の上がった気持ちの悪い顔の自分が映っていた。

 ……これは、人様に見せられる顔じゃないな。

 自分の顔に苦笑いしながら、バレないように表情を引き締めた。


 学校からそこまで距離のない位置にあるマンションで独り暮らしをしている僕は今日も空っぽの部屋に帰った。


 「さて、三脚と編集用のノートパソコンくらいでいいかな。よし行こうか」


 僕がこの動画投稿を始めたのはもう3年も前だ。

 両親は今では完全に海外で仕事をしているがあの頃はまだ一緒に住んでいた。


 でも、だからこそ、一緒に居るのにあまり会話がない状況が僕にはつらかった。

 そんな時、幼少期に買ってもらった電子ピアノが目に入った。

 どうせ会話がないなら、僕は自分の奏でる音で世界を満たそうと思った。


 それからピアノにどっぷりハマり、動画投稿で顔も見えない人と交流することが僕の楽しみになっていったのだった。


「懐かしいことを考えてたらもう着いたな」


 そんな僕が自分の世界に別の人の音を取り入れようとしているんだ。

 あれから夏葉にはすごくお礼を言われたけど、ほんとは僕の方こそお礼を言うべきだ。

 人との関わりを最低限にして、一人の世界に居た僕を引っ張り出してくれた。


 だから今度は僕が君をそこから引っ張り上げて見せるよ。


 そう心に誓い夏葉の家の敷居をまたいだ。


「夏葉。来たよ」


「碧斗!意外と早かったね!案外家近かったり?」


「まあね、そんなに離れてはないよ。というかお互い徒歩通学の時点で大体わかるでしょ」


「あはは、それはそうかも」


 夏葉からは昨日のことを過剰に引きずっている様子は感じられない。

 これならいける!


 三脚を取り出し、スマホをセットする。

 画角的には、体と並行する位置に三脚を設置して、スマホを斜めにし、手だけを映しているような構図だ。


「おお、なんかちゃんと撮るって感じだね」


「そうだね。ほんとは音を拾う用のマイクとか色々欲しい機材はあるんだけど、結局面倒でスマホで済ませちゃってるから全然本格的なセットではないけどね……」


 それに最近のスマホは高性能なのだ。


「よし!じゃあ早速一本撮ってみようか!」


「ええ!いきなり!?」


「昨日も言ったでしょ!こういうのは勢いも大事なんだって!まあ、いきなりすごいのが撮れるものでもないし、数をこなすって意味でも、ね?」


「わ、わかった!」


 それから僕たちは動画を撮りながら連弾をしていった。


 最初は妙にカメラを意識してしまっていた夏葉が普段なら絶対にしないような初歩的なミスをしたりもしたが、彼女はめげずに取り組んだ。


 もうどのくらい弾いているのだろうか?

 僕と夏葉の、どちらもの額に大粒の汗が浮かんでいる。

 まだだれかに見られているわけではないが、それでも普段は感じない視線を受けながら、まだ慣れない連弾をしているのだから疲労は相当のものだろう。

 でも、こういった状態だからこそ表現できる音がある。


 鍵盤の上を20本の指が舞う。

 お互いの邪魔にならないようにギリギリで交差し、音を紡ぐ。


 そして――。


 ついにその時はやって来た。

 緊張、遠慮、配慮、そういった感情を超えた先にある。

 本当の感情の乗った音。

 そう思える音が奏でられた。


 動画を止める。


「やっったぁぁ!」


「ああ、今のはすごい良かったんじゃないか」


「うん!うん!こんな演奏したことない!


 満面の笑みで顔を見合わせてハイタッチを交わす。


「早速動画、確認してみない?」


「……そうだね!聞いてみよう!」


 さっそく今撮った動画を再生する。


 正直言葉が出なかった。

 自分の演奏がこれほどのレベルにまでなっているとは……。

 音楽には人それぞれの解釈があるものだ。

 今回弾いた曲は歌詞があるjpopだし、ある程度の共通認識と言うものはあるだろう。

 ほかにもメジャー名曲ならではの映像によって付随されるイメージなどで、ある程度はみんなが似たような解釈をしていると思う。

 

 しかし、これは連弾だ。

 2人の解釈がぶつかり合ってしまえば、どんなに技術が優れていようと、感情の音色にたどり着くことはできない。

 だが、今の演奏は、限りなく近い解釈同士が寄り添いあい、互いを支え合って表現される。

 そんな僕の目指した感情の音色であり、きっと夏葉の目指した感情の音色でもあっただろう。


 僕は完璧な演奏と言うものは自分の中にしか存在しないと思っている。

 だが、今回の演奏は二人の演奏で完璧だと思える、そんな出来だった。


「……そっか。そうだったんだ」


 感動する僕の横で、夏葉は目から雫をこぼしていた。


「な、夏葉!?」


「あ、え!?い、いや、違うの!ちょっと感極まっちゃったというか……私、ようやくわかったの」


 涙をぬぐいながら夏葉は続ける。


「感情はのせるものじゃないんだって、本当に感情の乗った演奏って言うのは音に感情が付いてくるんだね」


 ひどく概念的で、僕にとってはとても言葉だった。


「ねえ、碧斗。聞いてほしい曲があるの」


 一方的にそう告げた夏葉は、もう一度ピアノの前に座り、演奏を始めた。

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