第10話 感情の音色
夏葉に言われるがまま、僕はその場に立ち尽くし彼女の演奏に耳を傾けた。
過剰とも思えるほどゆっくりと弾き始められたその曲は何処かで耳にしたことがある曲だった。
いや、どこかではないつい先日だ。
夏葉がお父さんの前で十数年ぶりに弾いて見せた曲。
でも、その時とは全く、何もかもが違っていた。
固さの取れたその曲は、甘美な旋律を奏でる。
ゆったりとした旋律から、だんだんと強く激しくなっていく。
激しさは旋律が進むにつれてより度合いを増していき、その音は激情とも呼べるような、そんな強く、激しく、そして情熱的な感情を思わせる。
そんな激情も次第に落ち着いていき、だんだんと最初のようなゆったりとした旋律へと戻って行く。
だが、最初と旋律と同じものかと言われれば、それは全く別物。
温かい感情で包み込むようなそんな旋律だった。
まるで、僕たちの出会いを振り返っているような……そんな音に聞こえた。
最初はお互いに関わることのない平坦で穏やかな日々。
強くなり始めは、初めて出会ったあの音楽室。
僕の背を追いかけてきて、家で弾こうと誘ってくれた夏葉。
一番強く激しいところで夏葉にピアノの楽しさを知ってほしいと思ったとき。
落ち着き始めはお父さんの一言でまた塞ぎ込みかけたとき。
そして今の温かい感情。
「この曲、分かった?」
弾き終わった夏葉がこちらに体を向けながらそう問う。
「夏葉の思い出の曲、だよね?」
僕の言葉に静かに頷き、続ける。
「この曲はリストの愛の夢。私の思い出の曲でトラウマの曲で、やっぱり一番大切な曲」
少し顔を赤らめながら、夏葉はそう言った。
「うん、夏葉の感情がよく伝わってくる。いい曲だったよ」
僕がそう言うと夏葉は少しムッとした表情を見せた。
「……ほんとに伝わってる?」
疑惑の視線を向ける夏葉に僕は胸を張る。
「もちろん!今の夏葉なら絶対、お父さんも認めてくれる演奏ができるよ!」
すると夏葉は僕の発言に溜息を吐いた。
「はあ……やっぱり伝わってない。まあ、こんなことを旋律で伝えるなんて無理があるってことは分かってるけどね」
??なんの話だろうか。
「ああ、もう!さすがにちょっとは察して欲しいんですけど……まあ、いいや。碧斗、いや、涼風碧斗君。私は……キミが好きだよ」
頭の中を電流が駆ける。
夏葉は今なんて?……好き?
その言葉を脳内に浮かべた瞬間、先ほどの演奏がフラッシュバックする。
夏葉の旋律に宿っていた、優しく、強く、激しく、そして温かいその感情の音色の正体。
その想いが一気に押し寄せる。
「……」
衝撃的過ぎて言葉が出ない。
「……ちょっと、さすがに無反応は傷つくんですケド」
口をとがらせて拗ねたようで少し期待するような夏葉の表情がたまらなく愛おしい。
「もちろん、僕もキミが好きだよ。夏葉。いや、夕星夏葉さん」
僕の言葉を聞き終わる前に夏葉は動き出していた。
「今の言葉、取り消しとかなしだよ!」
思い切り飛びつかれ、よろけそうになるのを何とかこらえる。
「取り消さないよ。こう見えて、一回懐に入った人にはとことん甘いんだ僕は」
そう言うと夏葉の僕を抱きしめる手が強くなる。
「じゃあ、もう誰も懐に入れないでね。そこはもう私の場所だから!」
完璧と言えるほど整った彼女から繰り出される、あまりに直球なデレに意識を持っていかれそうになるがこれもなんとかこらえた。
こうして僕と夏葉は恋人同士になった。
◇◇◇
あれから数週間。
僕と夏葉の連弾の動画はバズる、とまではいかないものの、僕のチャンネルの中では二番目に多い10万回再生を突破し、それから何本か投稿した夏葉のソロピアノ曲も1万再生を固く記録していた。
一番目の動画はって?
一番目の動画は僕と夏葉が恋人になった後、感情のままに僕が演奏し夏葉が歌うラブソングメドレー……。
後になってものすごく消してしまいたい衝動に駆られているが、もう100万回再生が見えているために消すに消せない状況になってしまった。
まあ、そんなこんなで僕たちは順調に関係を続けている。
「ねえ、碧斗。わたしそろそろだと思うんだ」
いつにもまして真剣な表情の夏葉がまっすぐと僕の目を見つめる。
「ん?誕生日?」
「違うよ!っていや、そうでもないかも……。じゃなくて!お父さんを見返してやろうって話!」
「ああ、その話か。うん、それは全部夏葉次第だと思うよ。それに関しては僕にできることなんて、大丈夫だって背中を押してあげるくらいだからね」
「ふふっ、それがどれだけ心強いか。よし!決めた!来週の日曜日、そこでお父さんを呼んで、今度こそちゃんと弾いて見せる!」
ちょうど一週間後か。
調整して、予定を聞いてと言うことを考えると良いタイミングなのではないだろうか。
「うん、その意気だよ!夏葉なら絶対大丈夫」
今の夏葉なら、緊張やプレッシャーに負けることはないだろう。
心からそう思えるほどに夏葉はこの1,2か月ほどで変わっていた。
「あのさ、碧斗」
「ん?なに?」
「ほんとにありがとう。碧斗がいなかったら私、もう一回お父さんにピアノを聞かせようなんて絶対思わなかった」
ほのかに顔が赤いのは照れているからだろうか。
「僕だって、あの時夏葉が家に誘ってくれなかったら、ピアノを弾いていなかったかもしれないからね。正直家の電子ピアノじゃ物足りなくなってたし」
そう言うと立ち上がる。
もういい時間だ。
明日は普通に学校があるし、そろそろ帰らないと。
そう思って、帰り支度を始める手を夏葉が止めた。
「ね、ねえ碧斗。今日は、さ。もう少し一緒に居たいな~なんて……ダメ……かな?」
家、明後日まで誰も帰ってこないし、と夏葉が続ける。
「……まあ、調整もあるもんね」
「うん!調整も、ね?」
こんな顔を見せられたら誰だって抗うことはできないんじゃないだろうか。
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