まだ見ぬ幻都

 流果るかは、腰ヒモに結びつけた赤い小袋に宝珠を入れると再び馬に跨った。


 そのつづれ織りの精緻な模様を見たとき、僕はせいさんを思い出した。赤音の集落でお世話になり、彼女の敷地の蔵で見つけた赤い小袋を僕とタテハに託した老女だ。朱冥国しゅめいこくの大巫女でもある。


 「静さんは朱冥国へ行かないのですか」流果に問うた。この旅の間に何度か湧いてきたが、あえて口にしなかった疑問だった。


 「大巫女は、姿は見えずとも私たちとともにいます」そう言って、流果は腰の赤い小袋を軽く叩いた。


 「あの中に入っているおふだが静さんの分身みたいなものなのよ」とタテハ。

 知らぬ間にタテハは朱冥国式の思考回路を身につけているようだった。もともと朱冥国の人間であるのなら、自然なことではあったが。


 それでも腑に落ちない僕の様子を見て取ったのか、流果が言う。


 「かの地に新しく朱冥国を開くとき、「朱冥国起端の御札おふだ」が必要となるのです。建国に必要なレガリアの一つです」


 「開くとき…まだ、国が立ち上がっているわけではないと?」僕が尋ねると、


 「パノ師によって築き上げられたのは、形はあれども未だ幻都のままなのです。月光王ダワトヤーの即位の際にレガリアによって命を吹き込まねばなりません」


 まだ、幻の都なのか…

 僕は、流果が語った雲間に見えたという壮大な幻都を改めて想像してみた。


 そして、レガリア…

 そう言えば、幻の白い精霊、波露はろもそんな言葉を使っていた。


 「あの夢魔であった精霊も僕の旅の記憶がレガリアだと言っていたけれど…」

 そう説明してくれた波露の白い顔が幻影のように立ち現れ、一瞬で闇に消えた。僕の心のどこかに、あの精霊はまだ影を落としているのだろう。


 「それもひとつのレガリアなのです」独り言のようにつぶやいた僕に視線を合わせて流果が言った。


 「なぜ僕の記憶が必要なのですか」


 「新しい国には歴史がありません。積み重ねた時というものがありません」

たしかに…と僕は頷いた。


 流果はさらに言葉を続けた。


 「人間の脳内に刻まれた時間の記憶を、呪術によって一国の歴史の要素に変換するのです。この場合、地球に属する人間であることが必須です。なぜなら、地球の歴史も脈々とその記憶のDNAに刻まれているからなのです」

 その記憶が、大呪術師によって立ち上げられた、今はまだ空想絵画のような「朱冥国」に時間的な奥行きを与えることになるのだと言う。


 一つの国が立ち上げられる…その瞬間を目にすることができるとしたら…体中に鳥肌が立った。興奮と恐怖が一度に押し寄せたような気分だった。


 それにしても、そんなことが実現できるとしたら、IT時代の恩恵を受けて育った僕が想像する以上に大呪術師は偉大なのだろう。邪馬台国を治めた卑弥呼が優れた呪術師であったように。


 さて、しかし、僕の記憶をどうやって取り出すのか、取り出した後、僕はどうなるのか…

 一つの疑問が解けるとさらに次の疑問が湧くといういつものパターンが始動する。


 「あなたの記憶は、この宝珠に取り込むことになるでしょう」流果が先読みして僕の疑問に答える。

 僕の脳内データが、先ほど目にした妖しく美しい宝珠にダウンロードされる様子を想像した。

 パソコンであれば、その方法がコピーなのか切り取りカットなのか、そのときはまだそこまで気にかけることはなかったのだった。

 後に、大きな決断を迫られることになるとはまだ夢にも知らず…


https://kakuyomu.jp/users/rubylince/news/16818792440641509232

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る