タテハ

 僕は大学で建築学を専攻している。

 建築物を造ると言うより、古い建物の構造や材質の観察、歴史を考証することを好む。その建物が経てきた時間を想うとき、異世界にワープすることができるから。


 廃墟となりつつある場所では、さらに想像力が自在に広がる。

 没落の悲しみを通り越して懐かしさのような感情が想像に拍車をかけ、ときには妄想へと駆り立てる。あるいは、新しい創造へと。

 瓦礫のすき間からたくましく生えている雑草群に希望のような生命力を感じ、同時にそのエネルギーを吸収した気分になったりもする、

 朽ちてゆく建物と青々とした雑草の対比には美を覚えたりもするのだ。


 そんなことを考えていると、例の読経の声が響き上がって来た。耳を澄ませてみるが異国の言葉のようでもあり、何を唱えているのかは皆目わからなかった。しかし、かなりの大人数で唱和しているような迫力があった。


 読経が終わるころに七段目までやって来た。ここより上方へは石段はなく、その先は深い森だ。探せば頂上へと続く獣道か何かがあるのかもしれない。


 僕は近くにあった大きな石に腰かけて、古びた祠を眺めた。

 朽ちかけた色合いに想像力を掻き立てながら思い浮かんだイメージをノートにメモしていると、石段を上って来る人の気配を感じた。


 振り向くと、上り切った場所に佇んだままの白いTシャツの少女が、驚いたように僕を見ていた。


 「こんにちは」と先に言葉を発したのは少女だった。

 どちからというと、僕の方があっけにとられていたのかもしれない。

 咄嗟に言葉が出ずに、情けなくもポカンと見返していると、


 「下界からのお客さまね」とほほ笑んだ。

 僕は立ち上がってぴょこんと頭を下げた。


 「私は六段に住んでいるタテハです」ハキハキと元気な自己紹介だった。


 「あの絵を描いた人?」と言って、祠の上を指さした。

 「静さんに聞いたの?」年上の僕に対して、最初からため口だった。


 見れば、スケッチブックを抱え、水筒を肩からぶら下げていた。


 「蝶姫ちょうきさんの祠を書こうと思ってたんだけど…」そばまで来て僕を見上げて言う。

 180cmの僕から見て、身長は160くらいだろうか。オリーブ色のデニムのハーフパンツに無造作にたくし込んだTシャツの胸には、オレンジ色の飾り文字がアレンジされていた。


 「パピヨンよ」タテハが言い、僕は慌てて胸から目を逸らした。

 フランス語の発音だなと思いながら「蝶々か…」と独り言のようにつぶやいた僕に

 「無窮の森を案内しましょうか」と、ここから続く高みの山を目で指した。


 初めて会った男とあの鬱蒼とした森の中へ?

 若いとはいえ天真爛漫すぎるのではないかと答えあぐねていると

 「私、人を見る目があるの。あなたはここへ来るべくして来た人だから」と妙なことを言う。


 当たり前だけれど、僕が安全なのは僕自身の知るところだ。

 そこまで言うのなら、一緒に行ってみようか。


 そして、「無窮の森」と呼ばれる木陰の道へと二人で分け入っていった。

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