疵翼のカミツガイ

夢咲蕾花

第1章 忌

第1話 帰郷

 とおりゃんせ とおりゃんせ

 ――逃げなさい、朔夜! 朔奈を連れていくんだ! 父さんのことは気にしなくていい! 和子、落ち着くんだ!


 ここは どこの ほそみち じゃ

 ――いやっ、死にたくない! あなた、手を握っててよぉ! お願い行かないで、行かないで! 朔夜、っ——朔奈ぁっ!



 くそ、またこの夢だ。藍色の鳥居の下にある、雨の中燃える家。今回はご丁寧にBGM付き。

 いっそ、目に焼き付けてやる。これが俺の原風景なのだと、そう言い聞かせる。目は背けない。その地獄を網膜と記憶に焼き付ける。



 てんじ ん さ まの―― そみ じゃ

 ――とぉさん! かぁああさあああん!!


 ち―― とおし く ――せ

 ――ころしてやる。ぜんぶ、ぶっころしてやる。



 そうだな。そう誓ったんだ。幼くて小さくて弱い俺は、自分の無力を呪った。

 そうさ。俺は力を手に入れた。成し遂げて見せるさ。



 ごようの ないもの とおしゃせぬ

 ――俺は、帰ってきた。


×


 意識が覚醒する。

 隣の子が、随分と古いラジカセを持っていた。テープの調子が良くないようで、曲が随分と乱れて奇妙な音程になっている。それがホラーゲームのような演出っぽくなっており、忌吉朔夜いみよしさくやはちらりと隣の少年を見やり、聞こえないようにため息をついた。こいつのおかげで夢に深みが出た。まったく。

 少年はカセットテープを取り出した。息を吹きかけたりひっくり返したりしている。大事なものなんだろう。今時ではレトロな電化製品は、かえって型落ちの新品より高値である。


 それにしても、また、嫌な夢を見た。


 十九年も前の。

 家が焼け落ちた。両親が目の前で燃えた。気が狂ったような悲鳴をあげ炎に飛び込もうとする妹を、必死に押さえ込む自分。

 両親は僅かな遺灰となり、自分と妹は離散。朔夜は東京の親戚の家に預けられ、腫れ物のように扱われて育った。

 フェリーが出航してしばし、船内アナウンスが入った。鴻翼島こうよくじまに接岸するらしい。


「ねえねえお兄さん、これ、直せそう?」


 隣の男の子が声をかけてきた。思わず朔夜は、小さく目を瞠る。

 言いたくはないが朔夜はだいぶ険のある顔だと思う。人からは「不機嫌そう」とか「具合でも悪い?」と聞かれるのが常であり、決して近づきやすいタイプではない。よく話しかけられたなと思いながら、朔夜は無言で差し出されたラジカセを受け取った。

 テープを入れておく部分の蓋の留め具外れているだけだ。そのせいでテープの接触不良が起きていたんだろう。簡単に直せるが、力加減を誤れば大きく損傷する。

 とはいいつつ朔夜は思い切って押し込んだ。ぱちっと音がしてはまり、直る。


「ほらよ。壊すなよ」

「ありがとう! じゃあね! ありがとー!」


 男の子はリュックを背負って、走り去っていった。本州に旅行なりしていたのだろうか。元気な子だ。

 二十七歳の朔夜には、十歳くらいの子がラジカセを持ってるなんて凄いな、と思ってしまう。自分の頃にはもうCDが主流だったし、今はもう完全にダウンロード販売やサブスクである。それでも朔夜はアナログ人間なのでCDやブルーレイ派。現物、現金主義である。実在感がないと、所有欲が満たされない。

 あの子にはレトロ趣味の両親がいるんだろうな。そう思って、朔夜は旅行鞄を掴んで立ち上がった。その右手は黒い革手袋に包まれている。だが、左手は素手だ。右手には、きっときずでもあるのだろう。


 フェリーは鴻翼島南西の法泉湾ほうせんわん、法泉区の港に停泊していた。汽笛が大きく鳴る。外は明るい。時間は、まだ午前八時。夜行性の朔夜にはきつい時間帯だ。一応昨日は睡眠薬で夜に眠っていたが、もう眠い。


 船から降りる。

 実に十九年ぶりの故郷だ。

 新天地に来たような興奮。新鮮さを伴う空気であると同時に、あるいはそれは妙な安心感を伴う郷愁を感じさせた。奇妙な感覚に囚われながら朔夜は歩き出す。

 街並みは、変わっている——気がする。こんな感じだったような気もするが、やけにケバケバしい。

 契約したアパートはここの東に隣接する神築城かみつき区にある。歩けない距離ではないが、島内電車で移動しようと決め、駅に向かった。


 町には大型モニターや電飾、電光掲示板が入り乱れている。

 乱雑にあれこれが立ち並び、碁盤眼状の東京で育った朔夜には理路整然とは言い難い鴻翼の街並みは、異国情緒のようにも感じられた。東南アジア——というよりは、都市の開拓が進む前の日本のような感じ。その時の混沌を、現代の建築技術で舗装したような。とはいえここは国連にも承認された独立自治島だ。日本の中の外国と言い換えてもいい。日本であり、日本ではないのだ。なんともいえない、奇妙な土地である。


 ——令和七年現在から遡ること九十八年前。

 一九二七年に、「座卓」総帥・霊全りょうぜんが日本からこの島を買取り、のちに国連に自治区として承認させた鴻翼島。

 古くより世界中に存在する妖術、魔術、呪術を総称して忌術きじゅつと呼ばれるそれらは人々から畏れられ、疎んじられ、あるいは嫉妬されてきた。

 中世の魔女狩り、それが再来すると恐れた忌術師の元締め的組織である座卓は、忌術師の楽園を築いたのである――ここに。


「続いてのニュースです。武装テロ集団、忌兵隊による攻撃で守衛隊隊士二名が死亡した事件で、中央政府は断固として忌兵隊を制圧、殲滅する姿勢を貫く声明を発表しました。各地で区間抗争の苛烈化が懸念される中、こういったテロ集団の攻撃は卑劣であり――」


 モニターから響く女性ニュースキャスターの声を聞き流しながら、朔夜は地下鉄乗り場に向かう。

 途中のキオスクでサンドウィッチと牛乳を購入し、ついでに手慰みに文庫落ちして何年も経っている本を一冊買う。マグナスの手稿というスチームパンク・オカルトだ。

 電車はすぐにきて、朔夜は乗り込むなり座席を確保。サンドウィッチの包みを破いてゴミを左手に握り込み、ハムと卵のサンドをぱくついた。

 あまり美味くない、妙に水っぽい薄味すぎるマヨネーズとパサついたパン、やけに塩っけの強い具。それを、ちょっと甘い気がする牛乳で流し込む。


 ゴミを手に握ったまま本のあらすじを読んだ。それから読む前に電車は停車。島の地下鉄は、速度が出ない。距離は短くとも、決して短時間移動とはいかないのだ。だが食事をすれば、十分時間は潰れる。

 本は後で読もうと朔夜は立ち上がり、鞄を引いて電車を降りる。

 切符を改札に通し、地上に出る。ゴミ箱でゴミを捨てて、信号待ちをし、町を見遣る。

 ああ——変わったんだ。


 神築城区。まさしく、正真正銘故郷。ここにアパートを借りた理由の一つが、それだ。実際には、本命の目的と偶然合致しただけであるが。

 家があった地域は更地になったことは聞いている。土地の売却には、忌吉家長男である朔夜が関わったからだ。今はそこがどうなっているんだろうかと思いつつ、アパートに向かう。

 ミニマリストではないので、本州から送ってもらった荷物が業者によって運び込まれているはずだ。家具は備え付けのアパートであり、朔夜はこの島でフリーライターとして食っていくことになっている。

 本州でしばらく、真面目に事務職をしていた。しばらく食っていけるだけの蓄えはある。だがもちろん、ライターの生き方だけが目的ではない。それは表向きの隠れ蓑に過ぎないのだ。


 アパートは湾岸道路に面した丘にある。近所にはハンバーガーチェーンのマスクザバーガー、それからテイルマートというローカルチェーンのコンビニがあり、少し行けばスーパーもある好立地。家賃はワンLDKで六万五千円。この物件を紹介された朔夜が即決したのは、言うまでもない。

 駅から歩いておよそ三十分。アパート、水炊き荘についた。なんでこんな名前なのか、管理者に少し聞きたいが、まあいい。

 朔夜は三階建てのアパートの三階に上がって行く。重たい鞄を軽々担いで、三〇二号室へ。ワンフロア四部屋あるが、空きは朔夜が不動産屋で相談した時点で三部屋あった。一階に二部屋、三階に一部屋。朔夜は視界の確保の観点から三階を借りていた。

 もらっていた鍵で部屋を開けて中に入る。すぐに施錠し、チェーンロックをかけた。


 部屋に入るなり朔夜は運び込まれた段ボールを入念にチェック。自分が閉した後誰かが開けたような形跡はないか、何か入れらた様子はないかを入念に調べる。

 それから盗聴器やカメラの類がないかを確認。

 たっぷり二時間もかけてチェックを行った朔夜は、ひとまず安心して息をついた。


「流石にプライバシーは守られるか」


 段ボールから取り出した写真立てを、リビングのモニターの脇に置く。それは家族写真だった。朔夜が八歳の頃の誕生日に撮った写真。

 張り切った父がケーキ屋で注文した特大ケーキを囲むように、チキンレッグにかぶりつく自分と、ケーキに手を伸ばす五歳の妹を抱き抱えて苦笑する母、自撮り棒を伸ばして朔夜の頭を撫でる父。

 もう帰ってこない、幸せな日々。

 ——クソ野郎ども。同じ目に合わせてやる。


 朔夜は折りたたみマットレスを広げ、横になった。ジャケットを脱ぐのも億劫で、そのまま目を閉ざす。

 今日の夜、自分はレジスタンスになる。あるいは、テロリストに。


 復讐のために、反体制派組織「忌兵隊」に接触し、仲間に加わる。

 それが、朔夜の最初の目的だった。

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