第38話『出立と出発』

 「アダム」

 リクは、暗闇に潜む影に声を掛けた。

「アダムでしょ? 」

 リクは電気を点ける。と、目の前に あぐらをかいて座るアダムと目が合った。

「見つかっちまったか」

 アダムは言う。

 運転室。ポッドの背中に隠れるように、アダムはいた。いつもの白いワイシャツにジーンズのオーバーオール姿ではなく、「なに、その格好」緑色のジャケットに袖を通していた。

「ぜんぜん似合ってないよ」

 リクが言うと、アダムは悲しそうに笑った。

「そうかよ」

 でもな、とアダムが続ける。

「これじゃねえと、俺を分からねえ人間がいるんだ」

 リクは笑わない。怒ったような、泣きそうなような目でアダムを見下ろしている。

「汽車を降りるの? 」

「ああ」

 アダムは迷うことなくうなずいた。

「嘘吐き。降りないって言ったじゃん」

わりいな」

「みんなアダムを探してるよ」

「はあ」

 アダムは悲しそうな笑顔のまま、目を伏せた。

「ってことは──トニの目は ごまかせなかったか……リーレルたちを に使ったんだ。朝まで ばれねえと思ったが。そうか。ばれちまったか」

「みんな きっと、アダムを引きずってでも行かせないよ」

「それじゃ、見つからねえうちに行かねえとな」

「私が行かせない」

 立ち上がったアダムの前に、リクは手を おおきく横に開いて立ちはだかった。アダムは困ったような表情になる。

「なあ、リク。どいてくれ。俺は行かねえといけねえんだ」

「嫌だ」

 リクは頭を振ってアダムをにらんだ。

「外が どんな状況か知ってるでしょ。防空壕の場所も分からないのに、どうやって逃げるっていうの? 」

「空襲が来れば人が動く。うまくやるさ」

「こんな変てこりんな服装の人、馴染めないよ」

「ポーランド人は そこまで冷たくない。俺はポーランド人を信じる」

「食事だってない」

「さっき食堂車からパンを パクって来た。数日は持つ」

「ああ、もう! 」

 リクは地団駄を踏んだ。

「ああ言えばこう言う! レアの気持ちが分かったよ! 」

「ごめんな」

 アダムは茶化しもせず、真っ直ぐにリクを見つめていた。

「行かせてくれ」

 静かに言う。

「リク、頼むよ」

「嫌だ! 」

 しかし、リクも引かなかった。

「あと ちょっと。もう ちょっと待てない? きっと平和な時代に停まるよ。そうしたら降りればいい。待ってみようよ」

 リクの提案に、今度はアダムが首を横に振った。

「2年待ったんだ。ずっと待ってた。もう待てねえよ。これが最後かもしれねえんだ」

「カレルとの約束は? 世界はここだけじゃない。だから──」

「リク、頼むよ」

「アダム……! 」

 いつの間にか、頬に涙が伝っていた。

「行かないで……! 」

 唇を噛みしめた。

「リク──」

 アダムはリクの名を呼び、深く、溜息を吐いた。頭を ぶんぶん と振り、また、リクへ向き直った。

「昔の話をさせてくれ。俺の執事──ヤンさんのこと、覚えてるか? 」

 リクは ゆっくり頷いた。

「ヤンさんは、俺の秘密を分かち合った仲だった。俺の家出計画のな。俺らがフランスへ亡命する際、俺はヤンさんに一緒に来るよう言った。だが、ヤンさんは聞かなかった。“旦那様からいただいた家があるから、そこに住んでいたい”っつーんだ。俺は、故郷に残るという選択肢があるヤンさんに嫉妬したりしたよ。けどよ、違ったんだ」

「違った? 」

 リクは、アダムの言葉を繰り返した。

「ああ。劇場に行った時、ヘンリクの言葉で気がついたんだ。もしかしたらヤンさんは、俺を守ろうとしたんじゃねえかって」

「アダムを? 」

「もし俺が家出計画を成功させたところで、行く当てなんてねえ。そんな俺が、唯一 知ってる場所。それは、ヤンさんの家しかねえんだ。ヤンさんは俺に、逃げる宿を用意してくれてたんじゃねえか。そう思ったんだ」

「逃げる宿──」

 だから、とアダムは続ける。

「行ってやらねえと。もう これが最後のチャンスかもしれねえ。ヤンさんは俺を守った。だから今度は、俺がヤンさんとの約束を守らねえと──」

 リクは、ゆっくり、うつむいた。

「お願いだ、リク」

 消え入りそうな声で、アダムが言った。

「どうしても、行かなきゃいけないんだね」

「ああ、そうだ」

 アダムが優しい声で言う。

「行かせてくれ」

 リクは、奥歯を噛み締めた。目から涙が ぽろぽろ 落ちる。

「行かせてくれ──」

 アダムが懇願こんがんするようにリクに言う。

 リクは、こくん とうなずいた。両手を下ろす。

「ありがとな」

 アダムはリクの肩に手を置いた。

 リクは袖で涙を ごしごし 拭くと、アダムを睨み付けた。

「約束して欲しいことがあるの」

「な、なんだ? 」

 アダムの顔が引き攣る。

「絶対、絶対に、空襲警報が鳴ったら逃げてね! あと、それと、この時代でも、元気に生きてね! 」

「お、おう」

「妖精たちの予想なんて覆して! おじいちゃんになるまで元気でいるんだよ! 」

 一気に言って、「約束して! 」とリクは大声を出した。

 そんなリクを見て、アダムが「ぷ」と吹き出した。

「わかった。元気でやるよ」

 リクの肩を軽く叩き、「だから、他のやつらにも言っといてくれ。元気でやるから心配すんなってな」と言った。

「嘘吐かないでね! 」

 リクはアダムの肩を思い切り どつく。

「痛っ! あのなあ……」

 アダムは肩を擦りながら、眉を弧の字に曲げた。が、すぐに いつもの悪戯いたずらっ子のような笑みに戻り、「じゃあ」とリクを見下ろした。

「行ってくるな」

 リクも、こみあげてくる感情を喉元で抑え、笑みを見せる。

「うん。行ってらっしゃい! 」

 もう二度と会うことはないだろう。

「じゃあな」

 アダムはリクに手を振ると、足元のシャベルを拾った。鉄柵を超え、地面に降り立った。

「またな! 」

 一度だけ振り向く。

 リクが おおきく手を振ってるのを確認すると、アダムは笑顔を浮かべ、大股で歩き出した。

「元気でね! ちゃんと ご飯食べてね! ちゃんと寝てね! 」

 リクは、アダムの背中が夜の闇に完全に消えてしまうまで、叫び続けた。

「危なかったら逃げるんだよ! 地元の人を頼って! 体調に気をつけてね! アダム──」

 アダムの姿が見えなくなって、リクは その場に崩れ落ちた。

 堪えていた涙が止まらなくなって、えんえん と声を上げながら、泣いていた。

 すると、コツコツ と連絡通路を歩いてくる音が聞こえた。

「行ったか」

 声を掛けられ、上を向くとアントワーヌの姿があった。

 相変わらず、寝巻に ボサボサ の頭だ。

「行っちゃった」

 リクは答えた。

「ごめん、引き留められなかった」

「あいつが望んだのなら仕方がない」

 アントワーヌは静かにリクに言った。そしてリクの肩に、自分が着ていたカーディガンを掛けると、「おい」と声を掛けた。

「寒いだろう。中に入るぞ」

「うん……ありがとう、トニ」

 リクは なんとか立ち上がると、アントワーヌに続いて室内へ入った。

「あ」

 1号車の廊下には、従業員たちが集まっていた。みんな俯き、レアは すすり泣いていた。

 みんな、リクとアダムのやりとりを聞いていたらしい。

「ごめん、みんな」

 リクは、笑顔を見せ、従業員たちを見回した。

「留められなかったよ」

 震える声で言うと、また、涙が流れてきた。

「リクのせいじゃない」

 ゾーイが後ろの方から言う。

「そうだよ。ありがとう、アダムを見つけてくれて」

 コリンが悲しそうな笑顔を浮かべながら言った。

「さよなら、言えなかった」

 ミハイルが ぼんやりしたまま言った。

「それにしても、リクを泣かせるだなんて、許せないわ! 」

 レアが涙を拭きながら言った。

「そうですね! 女性を泣かせるだなんて! 罪な男ですよ、アダムさんは! 」

 ソジュンは鼻をすする。

「本当ね! 今度会ったら、リクが泣いたうらみ、晴らさなくちゃ! 」

 レアの顔に、笑顔が見えた。

「アダムはね、私との約束守ってくれるって言ってた」

 リクが言う。

「元気でいる、おじいちゃんまで長生きする! だから、また会えるよ」

「そうだな」

 ニックが笑って、リクの頭に手を置いた。

「また会える」

 ニックの力強い言葉に、従業員たちの表情が緩む。と、ひとり いつもの仏頂面のままでいるアントワーヌが運転室の方を見た。

「そろそろ出発だ」

「そう言えば、そうだった! 」

 リクが慌てて言うと、足元で カランコロン 鳴る音が聞こえた。

「出発、出発―! あっははは! 」

「オ仕事、お仕事! ひひひ、ひひひ! 」

「あ! マリア! マルコ! 」

 木でできた双子は従業員たちの足を器用に避けながら走ってくると、リクを押しのけ連絡通路へと消えていった。

「全く、あいつらは元気だ」

 アントワーヌが呆れたように言った。

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