第36話『最後の夜と出会いの曲』
その日の夕飯の席には、アントワーヌやレス⁼ファブリ以外の、ほとんどの従業員が集まった。
「あら、みんな お揃いなのね」
調理室から顔を出したレアが、席を埋める面々を見て言った。
「折角だし、私たちも食卓に混ぜてもらおうか」
ゾーイが言い、久し振りに、みんなで席を囲むことになった。
空襲のサイレンが鳴る。シチューを
「今回も凄いね」
「本当、いろいろ考えさせられる停車場だったわ」
レアが言った。
あしたから。あしたから、このサイレンを聞くことも、こんな残酷な光景を見ることもなくなる。待ち遠しくて堪らないはずなのに、リクは どこか、後ろ髪を引かれるようだった。
リクたちに優しくしてくれた劇場の人たちが頭を過る。あの後、劇場の人たちは ちゃんと逃げられたのだろうか? いまでも、戻って空襲を警告するべきだったのではないか、と悩む。
「本当に、明日の朝には出発するんだ……」
実感なく呟く。
「そうだな」
アダムがリクに答えた。
夕飯が終わり、従業員たちは自然とサロン室に集まっていた。
「アダム、何か弾いてよ! 」
と
「何が良い? 」
「ええ、どうしようかなあ」
悩むコリンを見てリクが、「あれがいいんじゃない? 」と口を挟んだ。
「アダムのオリジナルの曲! 」
「アダムのオリジナルの曲? たしかに前言ってたね! 」
「アダム、曲できた」
リクの言葉に、サロン室にいる従業員たちが食いついた。
「この前 完成したって曲! あの曲 本当に いい曲だったから、みんなにも聞いて欲しいな」
「おいおい」
アダムは困ったような笑みを浮かべた。
「駄目? 」
リクが聞くと、アダムは、「駄目っつー訳じゃねえけどよお」と頭を掻いた。
「いいじゃない! リクには聴かせられて、私たちに聴かせられないなんてないでしょう? 」
ソファに足を組んで座っているレアがアダムに言う。
一度 言ったら折れないレアに
「わかった、わかったよ! 弾きゃあいいんだろ、弾きゃあ」
「やった! 」
アダムが鍵盤に手を置き、サロン室内が静まり返った。
また、10分間の旅が はじまる。コリンやミハイルは、ピアノに しがみつき、目を キラキラ と輝かせている。レアやゾーイは椅子に深く座ったまま耳を澄ませ、ニックは曲の転調に いちいち驚いている。アダムも、あんなに嫌がっていたのに、心から楽しそうに曲を
リクは何でか、この光景を心に納めなければいけないような気持になった。この、幸せな一瞬を、よく見ておかなければならない。そんな使命感に襲われた。胸が そわそわ する。瞬きの時間さえも惜しむように、リクは懸命に、この何でもない光景を、胸の内に仕舞った。
「凄い! 凄いよ! 」
曲が終わり、コリンは手を激しく打ち鳴らしながらアダムに賞賛の言葉を贈った。
「アダムが作った、違うみたい」
ミハイルも、曲が気に入ったようだ。
「なかなか いい曲だったわね。明るくて。たしかに、アダムが作った曲じゃないみたい」
レアが素直じゃなく褒めた。
「凄いよ、アディ! 見直した! 」
ゾーイが拍手する。
「うん、いい曲だった」
ニックは何度も頷き、「それで」と、前のめりになった。
「何ていう曲なんだ? 」
「そうそう、何て曲なの? 」
コリンも飛び跳ねながら尋ねる。
「曲名? 曲名ねえ」
一方で、アダムは言いたくなさそうに視線を逸らした。
「いいじゃない。減るものじゃないでしょう? 答えなさいよ」
レアが参戦する。
やはり、レアに詰められると弱いのか、アダムは、はあ、と溜息を吐き、目を伏せた。
「……の曲だよ」
「え⁉ 」
リクは思わず聞き返す。
「聞こえなかった! 」
「だから! 」
と、アダム。
「『出会いの曲』だよ! 」
『出会いの曲』! リクは目を見開いた。
「素敵な名前! 」
「たしかに、出会いの ワクワク した感じが表されているな」
ニックが腕を組んで頷く。
「いい名前だね。なにか、モチーフが あって作ったの? 」
ゾーイが尋ねる。
アダムは、「まあな」と視線を逸らしたまま答えた。
「ある人のために作ったんだ」
「ある人? 」
リクが繰り返す。と、アダムは他の従業員たちが食いつく前に、「それ以上は言わねえぞ! 」と質問を締め切った。
「でもさ、この曲を贈られる人は幸せだろうね」
リクが言う。
「そうだね。こんな いい曲を作ってもらえるだなんて。きっと素敵な人なんだろうね」
ゾーイが頷く。
「彼女? 」
コリンが からかうように尋ねる。
「あら、コリン。せっかく いい曲を聞かせて貰ったのに、からかうんじゃないわ」
珍しくレアがアダムの肩を持った。
「アダム、彼女、幸せ」
ミハイルが ぼーっと言った。
「彼女じゃねえ! 」
アダムが顔を真っ赤にして言い返した。
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