第33話『目覚ましと穏やかさん』

 起きろー! 大声とともに、乱暴に扉を叩かれた。いつものアダムの目覚ましだ。

「起きたよう」

 リクは寝ぼけたまま声に応えた。

 アダムにサロン室に置いて行かれたリクは、そのあと結局 朝5時まで寝つけずにいたのだ。

「おーい、リク! 起きろ! 」

「起きてるって……」

「起きてねえだろ! 起きろ! 」

 叫ぶと、アダムは力いっぱい扉を叩いた。これ以上 叩かれたなら、扉に穴が開くかもしれない。リクは ようやく目を開いた。

 サイドテーブルの上に置いた時計を見ると、朝の9時。レアといい、どうして ここの人たちは、遅く寝ても早く起きられるのだろうか。

 リクはベッドに寝ころんだままで伸びをすると、「よし」上体を起こした。

「起きたよー」

 メガネを掛け、扉の向こうのアダムに知らせる。靴を履き、いつもの作業服に着替える。

「遅え! 」

 準備を終え廊下に出ると、アダムが腕組みして待っていた。

「おはよう、リク」

 アダムの後ろに立つニックが、穏やかにリクに挨拶した。

「おはよう、ニック」

 リクはニックにだけ挨拶をすると、アダムに ベ、と舌を見せた。

「けっ」

 アダムが吐き捨てた。

「ふたりとも朝食は? 」

 尋ねると、アダムとニックは「まだだぜ」と首を横に振った。

「じゃあ、ごはんからだな」


 朝食はクロワッサンにレタスのサラダだった。

 朝食の皿を出しながら、レアが、「今日が最後ね」と言った。

 そうか、リクは はっとして思った。今日でポーランドとも さよならだ。

「大変な時代だったけれど、たくさんのことを学べた気がするわ」

「そうだね」

 リクは隣で黙々とサラダを つつくアダムを覗き見た。

「アダム、心残りはない? 」

 尋ねると、アダムは困ったような笑みを浮かべた。

「心残りか。ねえっつったら嘘になるが、まあ、俺にできることなんざ、限られてるからな」

「そうだな」

 ニックがうなずいた。

「最後──」

 アダムが呟いた。


 倉庫室に寄りモップやほうきを準備し、いつものように お客様の寝泊まりする寝台車へ行く。

 最後の日とあって、寝台車は大量の妖精たちで溢れていた。

「まだ“対決”ってやつをやってるんだ」

 悪趣味、とリクは眉を寄せた。

「しかたねえさ。妖精たちにとって、人間の一生なんざ どうでもいいことだからな」

 アダムは言って、どいたどいた、と お客様を掻き分けて奥の部屋へ入っていった。

「お客様、悪いね、いまから掃除なんだ」

 アダムは人間の言葉が通じない お客様に ひと言 言うと、掃除を はじめた。

 きょうのアダムは、なんだか、穏やかだ。心なしか、いつも以上に丁寧に部屋の掃除を行っているようにも見える。きょうで故郷とも お別れだから、気持ちを入れ替えているのだろうか。それにしても、眉間にシワの寄っていないアダムを見れるのは嬉しい。

 リクは掃除をしながら、自然と口角が上がっていた。

 ひと通り掃除をし終えた後は、お客様の朝食の時間だ。

 予想通り、食堂は満席以上になった。調理室は てんてこまいだ。

「リク! こっちのお皿 忘れているわよ! 」

「わっ! ごめん! 」

 パンに合わせるスープを忘れる。これで2度目だ。

 リクは伺うようにアダムを見上げた。

「気をつけろよ」

 アダムは言って、笑顔で調理室を後にした。

「あれ」

 いつもなら怒号どごうが飛んでくるところなのに、怒られるどころか笑顔が返ってきた。あのアダムが! リクも、そしてスープを追加で作るレアも、ゾーイも、ソジュンも、それぞれ顔を見合わせた。

「きょうのアダム、何だか変だ──」

 リクが呟いた。


 朝食が終わり、休憩時間に入った。あとは昼を待つだけだ。

 リクは運転室に向かっていた。きょうで去る この街を、見ておきたかったのだ。戦時中でも、人を喜ばせることに全力を尽くす劇場の人たちがいる、この街を。

 連絡通路を抜けると、「あ」先客がいた。

「おう」

 ポッドに寄り掛かるアダムがリクに気がつき右手を あげた。

 アダムの頭上には、リーレルたちが飛んでいる。

「アダムとリーレルたち! ここで何してるの? 」

「アタシたちは働いてたのよ」

「働いてた? 」

 リーレルたちに言われて、リクは木の双子の姿がないことに気がついた。

「休憩に やってんだ」

「で、いまアタシたちも休憩中ってワケ」

 リーレルが言った。

「なるほどね」

「で? 」

 と、アダム。

「リクこそ どうしたんだ? 」

「街を見ておきたくてさ」

 答えて、リクはアダムの横に腰を下ろした。

 瓦礫の街を見る。劇場は無事だろうか?

「ねえ、アダム」

「どうした? 」

 アダムが おおきく欠伸をする。

「故郷との お別れは淋しい? 」

「お別れか……」

 お別れねえ──アダムは何度も、“お別れ”という言葉を繰り返した。

「正直 言うと、そうだな。思うことは、ある。仕方ねえんだよ」

「そうだよね」

 リクは首を上下に振った。

「すまんな」

 アダムが小さな声で言う。

「仕方ねえんだよ」

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