第30話『怒りの指揮官と罰』

ワーヌは2人掛けのテーブルに寄り掛かるように座り、リクたちはアントワーヌの前に一列に並ばされていた。

 「なぜ無断で行動した! 」

 アントワーヌは机を拳で叩くと、リクたちをにらみ付けた。

 いつも冷静な彼が、ここまで感情をあらわにするのは珍しい。

 リクは珍しい物を見る目で指揮官を見つめていた。

「無断でなくて、どうやって外出の許可が出るのよ」

 レアが言い返す。

「外出の許可など出さない」

 アントワーヌが返すと、レアは「ほら! 」と声を あげた。

「トニを通すと外に出られないんじゃない! ここはね、アディの故郷なの。ちょっと降りてみて何が悪いっていうのよ! 」

「こんな状況下だぞ! 」

 アントワーヌも負けじと叫び返した。

「生まれ故郷だから下車させろ? 馬鹿を言うな。空には爆撃機が飛び回り、街を破壊しつくしている。人が人を殺すために! そんな状況下で、生まれ故郷だから降りてみたい? 降りてみて何ができる! お前らに戦争が止められるのか? 人を救えるのか? ただ自分の命を闇雲に危険にさらしただけだろう! 」

「何も できなかった訳じゃない! 」

 今度はリクが声を あげた。

「なんだと? 」

 アントワーヌが標的をリクに合わせる。

 しかし ここで引かないのがリクだ。リクは強い眼差しでアントワーヌを見つめ返した。

「私たち、劇場に行ったの。瓦礫がれきの中、ちゃんと残ってた。劇場で お芝居を見させてもらった。面白い舞台で、私たちの方が お礼を言いたかったけど、劇場の人は、私たちの劇を見てくれてありがとうって、何度も何度も言ってきた。ねえ、トニ。私たちの下車には意味があったんだよ」

 ね? リクは笑い掛けるが、アントワーヌの表情が緩むことはなかった。微笑み返す代わりに、指揮官は、「で? 」と冷たく言い返した。

「綺麗ごとは言い終えたか? 」

「ちょっとトニ! 」

 と、レア。

「リクに対して何て口聞いているのよ! 」

「綺麗ごとだろ」

 アントワーヌに食いつくレアに言い返したのは、なんとアダムだった。

「アディ、何言っているの? 劇場の人たちは、あんなに喜んでくれたじゃない」

「トニの言ってることが正しい。俺たちは、ただ自己満で汽車から降りて、劇場に行って、幸運にも感謝して貰っただけだ。何にもしてねえ」

 アダムは拳を握り締めると、リクとレアに向いた。

「リクとレアは俺の我儘わがままに付き合っただけだ。俺は生まれ故郷のために何かしてやりたくて、俺がレアたちを引きずり出した。すまねえ」

「ちょっと、アディ──」

 謝らないで、とレアがささやいた。

「お前が仕組んだのか? 」

 聞くアントワーヌに、「この偉大な計画を思いついたのはアタシたちよ! 」と、頭上に浮かぶリーレルが答えた。

「偉大? あの馬鹿なプーカを使うことがか? 」

「そうだ、プーカ! 完璧な変身だったのに、どうしてバレたの? 」

 リクが尋ねると、アントワーヌは「はあ」と、肩を落として溜息を吐いた。

「きのうまでは まともにコミュニケーションが取れていた従業員が、ある朝 突然“フゴッフゴッ”と鳴きだしたんだ。馬鹿でも分かるだろう」

「ありゃりゃ」

 リクは、「フゴッフゴッ」と鳴く自分を想像して、少し可笑しい気分になった。

 アントワーヌはニックを問い詰めたが口を割らなかったため、仕舞には気の弱いソジュンをおどしにかけ、白状させたらしい。

「ゾーイに至っては、レアは普段からこうだと、訳の分からない主張をしていた」

 そう言うアントワーヌの表情から、疲れが感じ取れた。指揮官という立場も大変なのだろう。

「とにかく、お前らに何もなかったのが、不幸中の幸いだ」

 アントワーヌが言った。

「トニ……! 」

 珍しいアントワーヌの優しい言葉に、リクが感動しかけた時、「それでだ」とアントワーヌがさえぎった。

「お前らに与える罰だが──」


 シャワー室。

「ちょっと、ちょっと、待ってよ! わっ! 」

 いてっ! スルリ と手を すり抜けていった猫の“ディン”を追いかけて、リクは転げた。

「ディン! おとなしくしろ! 」

 アダムも泡塗あわまみれになりながら、ディンを追いかけ回す。

「まったく、どうして こんな可愛くない服を着ないといけないのよ! 」

 Tシャツにスウェットという珍しい服装のレアは、ディンのことなど そっちのけで不機嫌に眉を寄せた。

「お前らに与える罰だが」

 言って、アントワーヌは「おい」と調理室に声を掛けた。と。

「ど、どうも」

ソジュンが出てきた。彼の胸に、彼の愛猫、ミイラ猫のディンが抱かれていた。

 食堂車に腐敗したディンの臭いが漂う。どんよりと甘ったるい、強烈な臭いだ。

「この猫を風呂に入れろ」

「ディンを? 」

「お風呂に? 」

 リクたちは顔を見合わせた。

「実は──」

 と、ソジュンが頭をいて話し始めた。

「レアさんたちのことを吐いた代わりにと、指揮官から提案があったんです。何でもしてやるから、何をして欲しいかって聞かれて──で、そろそろディンをシャンプーしてやりたいんですが、時間がなくてと言ったところ、快く了解してくださって」

「何ですって! 」

 レアの叫びに、ソジュンは ビクリ と肩を震わせた。「でも、でも」と手を振る。

「てっきり、指揮官がしてくれるのかと思っていたんです! 本当です! そしたら、レアさんたちへの罰の内容だったなんて! 」

 ディンは本当に お風呂が苦手なんです。お湯を見ると、あっちこっち逃げ回っちゃって、今まで ひとりで何とか入れてたんですが、今回は お三方が協力してやって頂けると聞き、いやあ、申し訳ないです。

「“よろしく お願いします”って──本当に何よ、この暴れ猫! 」

 ディンを追いかけるリクを目で追いながら、レアが床を踏みつけた。

「アダム! そっち行った! 」

「よし、任せろ! 」

 ぴょんぴょん 逃げる先にアダムが待ち受ける。が。

「うおっ! 」

 掴みかかろうとするアダムの手を飛んで避けると、器用にも額を蹴って逃げ出した。

「もう! 」

 ぜえぜえ と肩で息をして、リクは天井を見上げる。

「ジェイは一体どうやって ひとりで お風呂に入れてたの? 」

「ジェイは何者なんだ」

 尻餅を ついたままでアダムも言う。骨に皮が ひっついただけのディンは、その体に見合わない運動量で、止まることなく逃げ回っている。

「レア! 捕まえて! 」

「無理よ! きゃあっ! 」

 ディンはレアの美しく化粧された顔を駆け上って行った。

「もう! 最悪よ! 」

 レアは地団駄を踏んだ。


 ようやくディンを洗い終えた頃には、もう窓の外には夕陽が差していた。

「はい、ジェイ。綺麗になったディンだよ」

「相変わらず臭いは すげえけどな」

 リクたちはソジュンの待つ調理室にディンを連れて行った。走り回って疲れたのだろう、ディンはリクの腕の中で心地よさそうな寝息を立てていた。

「ありがとうございます。大変だったでしょう」

「お疲れ様」

 調理室にはゾーイも居た。

「そろそろ お客様の夕飯の時間だけど、頑張った ご褒美に、はい、これ」

 と、ゾーイが皿を3人の前に出した。

「わあ! クッキーだ! 本当に いいの? 」

「ええ、どうぞ」

 ゾーイは頷き、クッキーの乗った皿を置いた。

「で? 外は どうだった? 」

 クッキーをむさぼる3人に、ゾーイが尋ねた。

「酷え状況だった」

 と、アダム。

「劇場に行ったんだって? 」

「うん」

 クッキーを ひと口に頬張って、リクが頷いた。

「凄かったよ! みんな演技が すごい上手くて。見入っちゃったもん」

 興奮して話すリクに、ゾーイは「ふふ」っと笑って、「そうだったんだ」と首を上下に動かした。

「こんな現状だってのに、他人を喜ばせてやろうっつー覚悟が感じられた! 凄えよ、ほんと」

 アダムも目を キラキラ させて話し、が、次の瞬間には目を伏せてしまった。

「俺は何もできなかった。空襲が来るって分かっていながら、汽車に逃げ帰るしかなかった。自分の不都合ばっか考えてよ」

「アディ……」

 ゾーイはアダムの手に手を重ねた。首を振って、「仕方ないよ」と続けた。

「私だって、何か できるなら喜んでするよ。でも、規模が違いすぎる。国と国の戦いだもん。私たちの力じゃ、足りなすぎる」

「そうよ、アディ」

 レアも静かに言った。

「悔しいのは分かるわ。けれど、しかたがないの」

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