第29話『別れと帰還』

 舞台後、リクたちは楽屋に通されることになった。

「こんな中、見に来てくださって ありがとうございます! 」

 パック役の女性が手を伸ばしてきた。

「こちらこそ! 面白い お芝居を ありがとうございました! 」

 リクが言う。女性は首を傾げたが、アダムが後ろから翻訳してくれた。

「空襲の中、私たちに出来ることはないか、ずっと考えていたんです」

 と、“パック”は言う。 

「私たちには空襲に立ち向かう力はありません。爆撃で焼かれる家を建て直す力も、家族や友人の代わりにもなれない」でも、「みんなに、非日常を楽しんでもらうことなら、できるかもしれない」

「そうです」

 とハーミア。

「劇場に足を運んでいただいた お客様に、少しでもなぐさみになるかもしれない。そう信じて、芝居を続けているんです」

「正直、いろいろ言って来る人はいます」

 ライサンダーが肩をすくめて言う。

「若い男なんだから、もっと国の役に立てってね」

「これでも、充分みんなの役に立ってるのに」

 リクが眉を弧の字にして言う。

 アダムが訳すと、ライサンダーが「ありがとう」と笑顔をくれた。

「みなさんは、旅の方ですか? 」

 後ろで髪を解いていたヘレナが立って言う。

「まあ、そんなもんです」

 と、アダム。

「ですよね」

 ヘレナがアダムに向いて言う。

「あなたのポーランド語、ちゃんと伝わってはいますが、なんだか ちょっと変な感じ。古いと言うか、なんというか」

「ちょっと、ユリア。失礼だわ」

 ハーミアは注意しつつ、しかし、心から楽しそうに笑った。

「でも、ごめんなさい。本当に そんな感じなのよ。どちらでポーランド語を習われたの? 」

「あ、いや……」

 アダムは困ったような表情を見せた。

 それはそうだ。アダムは正真正銘、れっきとしたポーランド人なのだから!

「えと、なんていうか──時代が……」

 と言い掛けて、レアに足を踏まれた。

「アディ」

 小声で叱られる。

「ダメだよ」

 リクもアダムに忠告した。

 ありとあらゆる場所と時間に停車する蒸気機関車に乗っている。言っても信じて貰えないだろうが、もし信じられたとしても、それはそれで大変なのだ。時空を超えることは、危険を伴うのだ。

「フ、フランスにいた時に、友人から教わったんです。ポーランド語が趣味とか言ってまして」

「あら、どうりで! 」

 ハーミアは「うふふ」と可愛い笑い声を漏らした。

「でも、お上手よ」

「ありがとう」

 アダムが苦笑いで感謝を述べる。

「ところで」

 ヘレナ──ユリアが口を開いた。

「みなさんは、どうしてここへ? 1日中 空襲があるのよ。どうして危険なポーランドへ来られたの? 」

 尋ねられて、リクたちは顔を見合わせた。

「どうしてって言われても──」

「どうして、ねえ」

 リクとレアが苦しい笑みを交わしているのを見て、「えっと」と、アダムが声を出した。

「昔、お世話になった人がいて──その人がワルシャワにいると伺ったので、会いに来たんです」

「あら、そうなのね! 」

 と、ハーミア。

「大切な方なのですね」

 ユリアの隣に並ぶディミトリアスが胸に手を当てて言った。

「街は危険です。どうか、お気をつけて」

 ライサンダーが言う。

「大切な方と、無事 会えることを願ってます」

「ありがとう」

 アダムが柔らかく笑った。

「ところで──」

 今度はリクが口を開いた。

「みなさんは、毎日 舞台をやってるの? 」

 アダムが訳すと、劇団の人々は「ええ」と頷いた。

「できる限り毎日、劇場は開くことにしているんです。でも──」

 劇団の人々が静まり返った。

「どうしたんですか? 」

 アダムが尋ねると、「実は」とパックが口を開いた。

「このメンバーでやるのは、きょうで最後なんです」

「最後? 」

 ええ、とパックが頷く。

「この、ライサンダー役の」ヘンリクというのですが「今度、戦地に行くのです」

「え」

 リクは言葉に詰まった。目の前が真っ白になった。

「そんな顔するなよ」

 ライサンダー──ヘンリクが言う。

「俺にだって、守りたいもんがあるんだ」

「守りたいもの──」

 アダムが繰り返した。


 感謝の言葉に見送られながら、リクたちは劇場を後にした。

「劇、面白かったね」

 リクが言うと、レアが「そうね」と笑った。

「はじめて劇場で お芝居みたよ」

「あら、そうなの? 」

「うん。迫力あって、のめり込んじゃった」

 リクとレアの会話は、壊滅的な街の中では異常に見えた。

 リクたちが微笑ましい会話をしている一方で、リーレルに続き先頭を歩いているアダムはうつむき、暗い顔をしている。

「アダム? 大丈夫? 」

「ああ……」

 答えるが、上の空だ。

「ヘンリクのこと考えてる? 」

「……」

 アダムは黙り込んだまま、足元に散る瓦礫を踏んで歩いた。

「あ」

 突然、リーレルたちが止まった。

「どうしたの? 」

 リクが尋ねると、リーレルは「早く汽車に戻った方がいいわ」と言った。

「空襲よ」

「早く帰らなくちゃ」

 リーレルの言葉に、リクとレアは歩行スピードを上げた。が、アダムは立ち止まってしまった。奥歯を噛み締め、苦しそうだ。

「アディ? 」

「アダム! 早く行くよ! 」

 リクから手を引かれ、アダムは はっとした顔を見せた。

「アダム! 空襲! 早く帰らなきゃ! 」

「あ、ああ」

 3人は早足に歩き始めた。

「街の人たちに、空襲のこと伝えなくて大丈夫かな」

 せめて劇場の人たちにでも、と言うリクに、レアは「ダメよ」と首を振った。

「確かに劇場の人は、私たちのことを信じてくれるかも知れない。けれど、言ったところで、劇場の人たちは街の人たちに伝えに行くでしょう。本当に空襲が来る。街の人たちは、私たちのことを怪しむかもしれないわ。私たちは完全なる余所者。私たちが敵を呼んでると思われても可笑しくないもの」

「けど──」

 後ろ髪を引かれるリクを、今度はアダムが引っ張った。

「レアの言う通りだ。俺たちは帰った方がいい」

「劇場の みんな、大丈夫かな」

 リクは、アダムに引かれるまま、瓦礫の街を後にした。


 リクたちが汽車に辿り着くのと ほとんど同時に、リーレルたちの言う通り、空襲が はじまった。今まで歩いてきた道を、爆撃機が通り過ぎる。

「劇場の人たち、ちゃんと逃げてるかな? 」

 リクが尋ねると、「逃げてるわよ、きっと」と、祈りにも似たレアの返答があった。

「さあ、戻りましょう」

 電源車の扉を開けて。

「え! 」

 リクたちは飛び退いた。

 扉の向こうに、不機嫌なアントワーヌの顔があったのだ。

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