第21話『瓦礫の街と無差別な惨劇』

 林の中に停まった汽車から、ワルシャワを覗き見ていた。

「ワルシャワってのはな、古き良き、美しい街のはずなんだ──」

そう呟くアダムの街は、どこなのだろうか。

 夕陽に照らされた街は、黒い煙を上げ、黒い瓦礫がれきを積み上げていた。

「アダム──? 」

 リクは隣で呆然と立ち尽くす炭鉱夫を恐る恐る見上げた。

「ここ、本当にワルシャワなの? 何かの間違いじゃなく? 」

「ああ、本当だ──」

 つぶやくようにアダムは答えた。

「嘘だって思いてえけどな──本当だ」

 まるで自分に言い聞かせているみたいに──……

 すると、ずっと黙って前方を見ていた運転席の鬼──ポッドが フゴフゴ 鳴き始めた。

「《醜い、醜い》あっははは! 」

「《人間は なんて下等なイキモノなんだ》ひひひ、ひひひ! 」

 木の ふたごがポッドの言葉を訳す。

「どういう意味なんだ? 」

 アダムがポッドに向いた。

 と、ポッドは また フゴフゴ と鳴いた。

「なんつってる? 」

 今度は石炭を火室に くべる ふたごを見下ろした。

「アダム」

 アダムは今にも破裂してしまいそうな表情を浮かべている。

 そんなアダムを余所に、ふたつは笑みを浮かべている。いや、カノジョ等の顔はペンキで描かれているため、その表情しかできないのだ。

「《どういう意味だと? 》あっははは! 」

「《オレより詳しい人間がいるじゃないか》ひひひ、ひひひ! 」

「《“そいつ”に聞けばいい》あっははは! 」

「《“そいつ”が答えればの話だがな》ひひひ、ひひひ! 」

「“そいつ”? 」

 フゴッフゴッ!

「《すぐに来る》あっははは! 」

「《終わりは始まったのだ》ひひひ、ひひひ! 」

「すぐ来る──? 」

 リクが連絡通路を見たそこに。「あ」

「おう」

 ニックの姿があった。なぜか、どこか、緊張した様子だ。

「どうしたの? 」

 リクが尋ねると、ニックは、「いや」と引きった表情を見せた。

「アダムから運転室に行くと聞いたきり、中々戻って来なかったから、何かあったのかと思ってな」

「何かあった──? 」

 アダムは前方を見据えたままニックに言った。

「こっちが聞きてえよ。これは何だ? 」

「これは──」

 ニックは、アダムの視線の先を見て眉をひそめた。

「とにかく、中に戻ろう」

 と、話を逸らしたニックに、アダムは「おい」と視線を向けた。

「ポッドが言ってたんだ。“これが何なのか知ってる奴が すぐ来る”ってな。そしたらニックが来た。なあ、答えてくれ。何が起きてるんだ? どうしてワルシャワの街は崩壊してるんだ」

「これは──」

 ニックが言い淀んだ、その時だった。

「戦争よ」

 答える声が聞こえた。

 声はニックの背後から聞こえた。

「レア」

 リクは声の主の名前を呼んだ。

「アナウンスがあったから外を見てみたら、驚いたわ。こんな時代に停まるなんて初めてよ」

 レアは落ち着いた口調で言うと、アダムの前に立った。

「パニックになるのは分かるわ、アディ。でも今は中に戻りましょう。私の知ってることなら何でも答えるわ」


 夕食時ということもあり、食堂車には仕事を終えた従業員たちが集まっていた。

 リク、コリン、ミハイル、ニック、ゾーイ、ソジュンが3つある4人用の席をそれぞれ囲み、レアとアダムが2人用の席で向かい合っていた。

 今までに体験したことがない停車駅の光景に、食堂車内は静まり返っていた。ただひたすら、ステーキを切る、ナイフと皿が擦れあう音が悲しく響いているだけだ。

「まず、アディが聞きたいのは、ここが いつなのかってことよね」

 沈黙を破ったのは、レアだった。

レアは、夕飯を前にしても手をつけないままのアダムに、冷静に話を始めた。

「私も詳しいことは分からない。けれど、私の歴史の知識から考えるに、第二次世界大戦の最中なんだと思う」

「第二次世界大戦? 」

 厚いステーキを切りながら、コリンが鸚鵡返おうむがえしに言った。

「第二次って、第一次もあったみたいな言い方だね」

「あったんだ」

 いつもと違いアダムと離れて座るニックがコリンに答えた。その重たい口調に、コリンは「そっか……」と下を向いてしまった。

「戦争中って訳か……」

 アダムが呟くように言った。

「そういうこと」

 レアが頷いた。

「ポーランドは──」

 と、けたたましい音が汽車内に響き渡った。

「なに⁉ この音! 」

「空襲警報だ」

 従業員たちがパニックになっている中、ただひとり、ニックだけが ずっしり と椅子に腰を落としていた。

「空襲警報! 」

 ニックの言葉を聞き取ると、リクは街を映す窓に駆け寄った。外は すっかり暗くなっている。

 リクの後ろから、アダムや他の従業員たちも続いた。

「空襲って何だ! 何が起ころうとしてる! 」

 アダムが叫ぶのが聞こえた。

「襲撃よ! 」

 レアが叫び返した。

「襲撃って、何だ! 」

 怒鳴り返した、しばらくも経たないうち、悪夢のような光景が、アダムの質問に答えた。

 真っ暗な空の彼方から、黒々とした爆撃機の大群が押し寄せてきたのだ。

 爆撃機は次々と街に爆弾を落とし、破裂させ、夜の闇に静まり返っていた街を一瞬にして赤く燃え上がらせた。

「なにを──してるんだ……? 」

 アダムは ほとんど絶句して尋ねた。

「あれは──空を飛んでいる、あの虫みたいなのは何だ」

「飛行機ってものが、アダムの世界には無かったわね。空を自由に飛べる、夢のような乗り物なの。それで、あれは爆撃機って いって、ああやって無差別に爆弾を落とすのよ。それで すべて奪い去って行くの。街も、人も、すべて」

 レアが静かに答えた。

「そんな──」

 アダムは窓に顔を押し付けた。リクも窓の外を、目を細めて見る。

 爆弾は容赦なく建物を破壊し、家を焼き尽くしている。

「やめろ! 」

 アダムが叫ぶ。

「やめてくれ! 」

 ほとんど泣き声のようだ。

「誰か、誰か やめさせろ! 」

 窓を両手で打つ。

「アディ……」

 レアがアダムの名を呼ぶ。

「アディ、何て言ったらいいのかしら……」

「誰が──」

 アダムが従業員たちを振り向いた。その瞳には、怒りが宿っている。

「誰が こんなことをしてんだ? 」

「誰って──」

「誰が やってんだって聞いてんだ! 」

 アダムの問い掛けに、従業員たちは視線を逸らした。

「ボク、知らない」

 ミハイルが ぼんやり答えた。

「くそっ! 」

 アダムは もう一度 窓を叩く。

 と──……

「ドイツ軍だ」

 部屋の奥から声が聞こえた。

 この惨劇さんげきの中、唯一席に座ったままでいるニックだ。

 ニックは はっきりと答えると、静かな目をアダムに向けた。

「ポーランドはドイツと戦争をしている」

「ドイツ──」

 ぽかん と繰り返すアダムの様子を見て、レアが「ニッキー」と声を出した。

「ニッキー、それ以上は──」

「ドイツ軍は、俺が この汽車に乗る以前に所属していた軍隊だ。俺は戦争の際、ドイツ軍にいた」

「ちょっと」

 今度はゾーイがニックに言った。

「それじゃあ──」

「アディ、これは──」

 ゾーイが制止しようと伸ばした手を、アダムは振り解いた。

「ニックは ずっと黙ってたっつーことか⁉ 俺がポーランド出身だってこと知ってただろ! それでいて黙ってたんだ! 」

「ちょっとアディ! 」

「アダム! 」

 みんなが止める隙もなく、アダムはニックに突進していた。

 ニックは逃げることもなく、身構えることもなく、ただ静かにアダムを見ているだけだ。

「アディ! ダメよ! 」

 レアが叫んだ。

「おい」

 アダムはニックを見下すかたちで歩みを止めた。

「話すのを躊躇ためらっていたのは事実だ」

 ニックは懇願こんがんする様子でもなく、淡々と話し始めた。

「アダムがポーランド出身だと知ったときは、正直、複雑な気持ちだった。ポーランドの敵がドイツなのと同時に、ドイツの敵もポーランドだったからな。アダムが俺と同じ時代の人間では無いことを分かり、言わない方がいいと判断してしまった」

 すまない、とニックはアダムの目を真っ直ぐに見据えたまま言った。

 アダムはニックを睨み付けながら、ギリギリ と歯ぎしりすると、「くそっ! 」と背を向けた。拳で自分の太腿ふとももを殴りつける。

「なあ、ニック。聞かせてくれ」

 ニックに背を向けたまま、震える声でアダムが聞く。

「ニックは、この襲撃に参加してたのか? 」

 まるで祈るように発せられる声に、ニックは しばらく黙って、ゆっくりと首を振った。

「いや。俺は この頃はまだ、軍にいない」

「そうか」

 アダムは息を吐くと、うつむいた格好のままで、食堂車から出て行ってしまった。


 若い炭鉱夫が後にした食堂車は、誰もが息の音も立てないように努めているようだった。

 ニック以外の従業員たちは、それぞれ視線を交わし合い、口を モゴモゴ と動かしていた。

「アダム、大丈夫かなあ」

 緊張に包まれた空間の中、最初に口を開いたのはリクだった。

「大丈夫じゃないんじゃない? 」

 ゾーイがリクに答えた。

「ショックでしょうね。故郷が こんな状況では──」

 レアが窓の外を見ながら、呟くように言った。

 リクもレアに つられて街を見る。

 空襲は終わり、暗い闇の中に、メラメラ と燃える火事だけが残っていた。人の気配は無く怖いくらいに静まり返っていた。

「みんな、無事かな」

 リクが また聞いても、今度は誰も答えなかった。

 ただ、瓦礫の降り積もった街を眺めているだけだった。

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