第15話『過去と現在』

 俺ん家は、そうだな、自分で言うのもなんだが、結構でけえ家だったんだよ。俺はそこの家の長男として生まれた。長男っつーからには、家を継ぐ。そこを継ぐってなったら、みんな目の色変えて俺を見る訳だな。男なら、どうやって俺と友人になろうか、女なら、どうやって俺に近付こうか、そんな人間の欲望を感じる日々だった。

 みんな俺に近付こうと、嘘の笑顔浮かべてさ。思ってもねえ お世辞並べて。

 坊ちゃま、坊ちゃまって擦り寄ってきてさ、みんな俺がもってる特権を欲しくて堪らないって感じだったぜ。


 「さすがはジェンスキー家の坊ちゃまですわ」

 そう言って、客人は作り笑いを浮かべた。

 アダムと歳の近い娘を持つ、女だ。この女はアダムの家に足繁あししげく通い、ジェンスキー家を継ぐアダムと関係を築こうとしているのだ。

 アダムは無表情の まま女に頷くと、煙草を吸った。

 よく こんな無感情な置き物みたいな人間と喋れるな。と、アダムは ぼんやり考えながら、煙草を灰皿で押し消した。

「ところで、この度は どのような ご用件で。父は現在 留守にしておりますが」

 ボソボソ と喋るアダムに、女は口の端を 一瞬、引きらせた。が、すぐに また巧みな作り笑いに戻った。

「なにを おっしゃいますか! お坊ちゃんに会いに来たのですよ。わたくしは お坊ちゃんが大好きなんですから」

 お坊ちゃんも 私のこと気に入ってらっしゃいますでしょう? と、女は冗談を飛ばした。アダムは「はあ」と曖昧あいまいな返事をし、笑みも浮かべないまま、また新たな煙草に火を点けた。

 アダムが煙草を吹かす音だけが、広い接待室に響く。無口なアダムと、たった1分だけでも会話を弾ませるのは難しい。女は居心地の悪そうに手を擦り合わせた。

「最近は、また一段と寒くなってまいりましたわね」

 と、女。

「そろそろ雪でも降るかしら」

「この部屋は お寒いですか? 」

 アダムが視線を向けると、女は ピクリ と肩を震わせた。

 まるで幽霊でも見たように。

「い、いえ」

 女は顔を引き攣らせたまま、首を振った。

「丁度良いですわ。お心遣いいただきありがとうございます」

「そうですか」

 ところで、と、アダムが続けて口を開いた。

「いま、何時ですか? 」

「いま、でございますか? 」

 突然の問いに、女は顔に疑問を浮かべながら、懐中時計を取り出して見た。アダムも上着から時計を取り出す。

「14時10分ですわ」

「そうですか」

 アダムは自身の懐中時計をにらみながら、「んん」とうなった。

「どうやら、ズレているようですね」

「ズレている? 」

「私の時計では、いまは14時20分です。どちらかがズレていますね」

「あら」

 これは、不愛想なアダムが客人に よくやる悪戯いたずらである。女の時計は狂ってなどいない。アダムは わざと女と違う時間を言っている。

 女はアダムの顔色を伺うと、「では」と、口を開いた。

「おそらく、私の時計がズレているのですわ。直さないと」

 そう言って、女は時計のネジを巻いた。

 アダムは その一連の動作を冷たい瞳で見つめると、「はあ」と溜息を吐いて時計をポケットに仕舞った。

 この女も皆と同じだ。

 アダムを まるで領主か何かのようにあがめ、特別あつかいをする。たとえ真実が白だとしても、アダムが黒だと言えば黒だと口を合わせる。

 もうりだ。

 アダムは時計をポケットに仕舞おうとする女に「すみません」と声を掛けた。

「私の時計が狂っていたみたいです。あなたの時計は正しいですよ」


 客人を帰したあと、アダムは まっすぐ自室へ向かった。

 父親が外出して、予定という予定がない日は、自室にこもっていることが多い。

 扉を静かに締めると、ジャボを外し、ベッドの上へ放り投げた。ジャケットも放り出すと、シャツのボタンを外す。

 と、扉をノックする音がした。

「坊ちゃま。お茶のご用意が出来ました。いかがなさいますか」

 扉の向こうで執事が様子を伺っている。

 アダムの了承がなければ、執事は扉を開けることすらできない。父から そのようにしつけられているからだ。その些細なことすら、アダムの首を絞めるようだった。

 アダムは乱れた服装のまま、扉に近付くと、小さな声で、「いえ、結構です」とだけ伝えた。

 忠実な執事は、「さようでございますか。では、失礼いたします」と、靴音を響かせ去って行った。

 はあ。

 アダムは深い溜息を吐いた。ようやく、ひとりだけの時間だ。

 孤独は好きだ。誰からも傷つけられることはないし、誰も傷つけない。

 アダムは部屋の中央に置かれたピアノの、椅子に腰掛けた。

 部屋の中にピアノがあるのは、家族の中でアダムだけだ。

 父親と母親の部屋にも、兄妹たちの部屋にも無い。いつもは無欲なアダムが珍しく頼んで置いたグランドピアノだ。

 鍵盤蓋を開く。鍵盤に手を置く。心が すっ と軽くなる。

指をうずめる。微かに音が鳴った。

 また、違う指に体重をかける。

 先程よりも おおきく音が鳴った。

 アダムは肩を震わせると、鍵盤から指を離した。

 譜面台に目をやる。譜面台には、様々な楽譜が置かれている。これまで、アダムを訪れた作曲家や演奏家たちからプレゼントされた楽譜たちだ。

 アダムは品定めをするかのように楽譜を一枚ずつめくっていった。

 この曲にしよう。

 先月 屋敷を訪れた演奏家から貰った楽譜だ。

 が、作曲したものらしい。

 楽譜を開き、鍵盤に手を置く。

 手で音符を追う。

 あいつらしくない、重厚なようであってそうでない、ぎこちないメロディ。

 音楽学校に通ってから、あいつはどこか変わってしまったのか? アダムは曲を奏で続ける。

「あ」

 楽譜が途切れる。

 音楽家たちがいる時は楽譜を捲る係の執事がいるのだが、今はいない。

 ページを繰ろうとして、アダムは手を止めた。続きを弾く気が起きなかったからだ。

 アダムは鍵盤の上で固まってしまったかのように制止した。

 静寂が部屋を支配しようとした、その時。

 コンコン。

 扉が叩かれた。

「アダム様」

 しわがれ声がした。

 アダムは弾かれたように扉の方を見た。

「ご休憩中申し訳ございません。紅茶を お持ちいたしました。いかがでしょうか」

 扉の向こうからの提案に、アダムは口角を微かに上げた。

「ああ、ありがとう。ぜひ、いただきたいです」

 アダムが許可すると、ゆっくり扉が開いた。向こうから現れたのは、齢70にはなるであろう老人だった。

 アダムはピアノの椅子から立ち上がり、紅茶の乗ったお盆を持つ老人を迎えた。

「ありがとう、ヤンさん」

 この老人こそ、ジェンスキー家執事長のヤンという男だ。

「ヤンさん、きょうの調子はどう? 」

「元気で ございますよ、アダム様」

 ヤンは クシャッ とした笑顔をアダムに向けた。

「アダム様も お元気そうでなにより」

「ああ、そうだね」

 アダムは笑顔で頷いた。

 この日はじめて見せる笑顔だ。

「さきほどはミュラー様の お相手お疲れ様で ございました」

 ヤンは深々頭を下げると、アダムに紅茶の入ったカップを手渡した。

「ありがとう」

 アダムは紅茶を受け取ると、さっそく口をつけた。

「ピアノを弾かれておられていたのですね」

「ああ──……で、お父様は? 」

「さきほど お戻りになりました」

「そうか……」

 アダムは視線を下に落とした。

最近、アダムの父は外出の機会が増えた。それに反比例するかのように、アダムに会いに来る客人の数が減った。客人が来なくなることは、アダムにとっては願ったり叶ったりなのだが、外から帰ってくる父の挙動を見ると、例えようのない不安に駆られる。何かが起こりそうな、それも、この世が終わるような、そんな予感だ。

「そういえば、アダム様」

 ヤンが上目遣いにアダムに呼び掛けた。

「なに? 」

「きょう、旦那様は夜にもテオ様を連れて お出掛けされるようですよ」

 ウィンクする。

 そんな やんちゃで従順な老執事に、アダムは また破顔した。

「きょうは逃走日和だな」

 そうですよ、とヤンは片方の口角を クイ と引き上げた。しかし、すぐに真剣な顔になった。

「しかし、昨今なにやら不安定でございますから。アダム様も お気を付けくださいませ」

「……そうだね」

「では、わたくしはこれで。後ほど、カップを回収しに まいりますので。おくつろぎ中、お邪魔してしまい申し訳ありませんでした」

 いいや、とアダムは柔らかい笑みで執事を見送った。

 やはり、ヤンも気がついている。ここ最近、何かが可笑しい。いままで辻褄つじつまが合っていた歯車が狂いだしたような、そんな些細ささいな違和感だ。


 「国が無くなるとなったのは、それから しばらく経った頃。俺たち家族はフランスへ亡命することになった」

「国が無くなる……」

 なんだか壮大で想像できないや。とリクは眉を寄せた。

「俺は亡命には反対だった。俺の家は利益のために今まで なんでも切り捨ててきた。それが、ついには生まれ育った母国まで切り捨てるのかと。父親に抗議もしたさ。しかし、ジェンスキー家を守るための一点張りだった。だからせめて、ヤンさんだけでもと俺はヤンさんに一緒に亡命することを勧めた。だが、それも駄目だった」

「それは、アダムの家のため? 」

 リクの質問に、アダムは「いいや」と悲しく笑って首を振った。

「ヤンさんが断ったんだ。“わたしは国を捨てられない”ってな。俺も同じ気持ちだっただけに、ヤンさんの頼みを拒否できなかった」

「その後、ヤンさんは どうなったの? 」

 コリンが尋ねた。

「知らねえ。亡命してから、会ってねえし、手紙の やりとりもねえんだ」

 はあ、とアダムは溜息を吐いた。

「今頃なにしてんだか──」

「きっと元気だよ」リクは満面の笑みで言った。「ね? ニック」

「え、あ、ああ」

 突然 話を振られたニックは、少し戸惑った様子でうなずくと、「きっと ご無事で元気にされてるだろう」と言った。

「アダムは今でも故郷に帰りたいの? 」

 リクが聞いた。

「どうだろうな」

 アダムは困った笑みを浮かべ、首を傾げた。

「でも、もう裏切りたくねえって気持ちはある。もう切り捨てるのは御免だ」

「アダム──」

 リクがかける言葉に悩んでいた、その時──

 ガラリ、と勢いよく扉が開いた。

「あ! あんたたち! 」

 扉の方を向くと、レアが仁王立ちで立っていた。

「ひと息つくのは まだよ! 夕飯の準備ができたから運んで頂戴! 」

「あらら」

 リクが言うのと同時に、「ははは」という笑い声が聞こえてきた。アダムだ。

「ここは賑やかで いいなあ」

 アダムがつぶやいたのを、リクは聞き逃さなかった。

「そうだね」

 リクも、そっと呟いた。

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