第6話『アダムとショパン』

 お客様の寝台車の掃除を終え、リク、アダム、ニックの炭鉱夫3人組は、ふたたびアダムの部屋の片づけをすることにした。

「マットレスはミカが運転席まで運んでくれたらしい」

 空っぽの部屋を前にニックが言った。

 “ミカ”というのは、ぼんやり妖精ミハイルの愛称だ。ミハイルは一見して華奢きゃしゃはかなげな少年なのだが、内実は真逆だ。誰よりも力持ちで食欲旺盛しょくよくおうせい。底なしのバキュームのような胃袋と、鬼をも恐れる怪力の持ち主なのだ。

ミハイルにとって分厚いマットレスなんて、たんぽぽの綿毛のように軽い代物だっただろう。

「楽譜、だいぶ乾いたみたいだけど、一枚ずつがして修復できないかな? 」

 収納ケースを覗いてリクが言うと、ニックが「どうだろうな」と首を傾げた。

「やってみるのもいいが、破けてしまう可能性もあるな」

「破ける⁉ 冗談じゃねえぞ! 」

 ニックの言葉に、アダムは目を大きく見開いて叫んだ。

「でも このままだったら ずっと くっついたままだよ」

 リクが言うと、「くっついたままだと⁉ ふざけんじゃねえ! 」と、また叫んだ。

「どうするの? 」

「どうするってったって……」

 問いに、アダムは今度は しょんぼりとしてしまった。

 カピカピ に乾いた収納ケースの中から楽譜だった塊を取り出すと、赤子を あやすように優しく表面を なでた。

「破ける──いや、でも、このままにはしておけねえよ……」

 しばらく そうやって ブツブツ 思考にふけると、決意した様子で「よし」と顔を上げた。

「よし、剥がしてやるぜ! 」


 レアが朝ごはんを食べ損ねた従業員たちのために用意してくれた、紅茶とサンドウィッチの入ったバスケットを開けながら、リク、アダム、ニックは作業を はじめた。

 塊になった楽譜を、丁寧に丁寧に剥がしてゆく。

「あ、ちょっと破けちゃった! 」

「おい! 俺の宝物だぜ! 丁寧に やれよ! 」

「なら、アダムが全部ひとりでやってよ! 」

「まあ、まあ、ふたりとも、落ち着け」

 少しずつ、元の姿に戻ってゆく楽譜たちを見て、リクはあることに気がついた。

 どの楽譜の作曲者名も、すべて同じなのだ。“Chopin”──ショパン。

「ショパンばっかり。好きなの? 」

 リクが聞くと、アダムは「おう」と頷いた。

「好きっつーか、憧れっつーか、そんな存在だな」

「憧れ? 」

「ああ」

 アダムは、紙を ゆっくり剥がしながら、首を上下に動かした。

「こいつの演奏を はじめて聴いたとき、鳥肌が立ったよ」

「え⁉ アダムって、ショパンに会ったことあるの? 」

 リクは びくり として聞いた。

 一方アダムは、なんてことなさそうに、「ああ」と笑顔を見せた。

「同郷で、同い年なんだよ、俺と

「こいつって──世界的偉人に向かって……って、同い年⁉ 」

「なんだよ、わりいかよ」

 リクの驚きに、アダムは口を ひん曲げた。

「俺が こいつと はじめて会ったのは……俺が7歳か、8歳か、それくらいの時だったな」

 アダムは語る。

「天才ピアニストが現われたっつって、俺の父親が飯の席に呼んだんだよ。いやあ、正直ビビった。世の中には、こんな才能を持ったやつがいんのかってな」

「それで、アダムはピアノを弾き始めたの? 」

 リクが聞くと、アダムは「まあ、半分は そうだな」と答えた。

「でも、自分でやってみて、中々うまく弾けねえ。だから父親に頼んで、いろんなピアニストに教えを乞うたりしたんだ」

「いろんなピアニストにって……アダムって本当に お坊ちゃんだったんだね」

 楽譜を また一枚 剥がして言うリクに、アダムは、「でも そんなんしても、全然あいつには届かなかったけどな」と笑った。

「でも今は この汽車専属のピアニストだ。アダムの演奏はピカイチだ」

 と、ニック。

「ところで、楽譜を元通りに戻したら、きょうの夕飯後にでも一曲、弾いてくれないか? 」

「ああ、いいぜ」

 アダムは頷き、また3人は黙々と作業に入った。

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