第2話『ホブゴブリンと謎の忠告』

 世界各国ありとあらゆる場所や時代を巡る汽車、通称“無番汽車むばんきしゃ”。海上を走る漆黒の汽車。

 朝日が顔をかすめ、“リク”は夢から目覚めた。枕元の電波時計を見ると、時刻は朝の10時過ぎ。

「うわっ! 完全に寝過ごしちゃった! 」

リクは慌ててサイドテーブルから丸眼鏡を手探りで見つけて掛けた。

 ベッドの下に置いた革靴に足を入れ、パジャマから白ワイシャツにジーンズのオーバーオールという いつもの作業服に着替える。

 リクは14歳ながら、汽車で炭鉱婦たんこうふとして働いている。ただ、炭鉱婦といっても、炭鉱がなければ仕事もない。汽車が走っている間は、お客様の寝台の清掃や お給仕など、雑用係として働いているのだが。

 それにしても。

「いつもならアダムが起こしに来てくれるのに、きょうは どうして来てくれなかったの! 」

 そわそわ する手つきで長い髪の毛を頭の上でお団子にして、リクの準備は完了! 

 引き込み戸を開け、廊下に出る。

「あれ? 」

異様なほど静かだ。

「もしかして、みんなも朝寝坊かな? 」

 つぶやく。と、「え? 」廊下のむこうに茶色い、ボール玉が落ちているのに気がついた。食堂車へ続く扉の方ではなく、シャワー室の方の扉の前に転がっている。

 近づいてゆくと、ボールの詳細がだんだん見えてきた。

 ボールは直径40センチほど、ツルツル の表面ではなく、茶色い毛で覆われた、おおきな毛玉だった。気のせいか、それとも汽車の揺れのせいだろうか? 毛玉は プルプル 震えているように見える。

「なんだろうこれ……誰かの落とし物? 」

 触れようとして、「うわっ! 」リクは後ろに飛び退いた。

 毛玉が伸びたのだ。

いや、伸びたのではない。正体を現したといった方が正しいだろう。

 狐のように尖った耳、子犬のような黒目がちな小さな目、中央に豚の鼻、口の両端から鋭く尖った黄色い牙が生えている。もこもこ した冬毛に包まれたソレは、いたずら妖精ホブゴブリンだった。

ホブゴブリンお客様? どうしてこんなところに──」

 リクは ずれた丸眼鏡を直しつつ、ちいさなに尋ねた。

 そう、この汽車、世界各国あらゆる時代を巡る不思議な汽車は、お客様も摩訶不思議。妖精、妖怪、幽霊から はたまた悪魔や神様でさえ乗車するのだ。

 目の前にいるホブゴブリンなんて よくいる お客様の内の1匹だ。

「フゴッ! 」

 ホブゴブリンは鼻を鳴らした。片手を上げているのを見るに、どうやらリクに挨拶したらしい。

「おはようございます」 

 リクも挨拶を返す。

「ところで、どうしてここに? 」

 言うと、ホブゴブリンは「フゴッ」と また鳴いた。

「どうしたの? 」

「フゴッ! 」

「お腹空いたの? 」

「フゴッフゴッ! 」

「ごめんだけど、朝食は11時からだから、もうちょっと待って欲しいんだけど」

「フゴッフゴッフゴッ! 」

「参ったな」

 リクは口を曲げた。このホブゴブリン、人間の言葉が喋れないようだ。

「フゴッフゴッフゴッフゴッ! 」

 しかし必死にリクに何かを訴えかけている。そうなると、リクという人間は放っておけないのだ。何が何でも、事情を聞いてやりたくなる。

 リクはオーバーオールの肩ひもを掛け直すと、お客様の目線に屈んで、にっこり笑顔を見せた。

「何かあったの? 」

「フゴッ」

「うーん、何かあったんだね。それはそうか、そうじゃなくちゃ従業員用寝台ここに来ないもんね。何があったの? 」

「フゴッフゴッ」

「なるほど、なるほど、文法的にいうと これが主語かな? 」

「フゴッフゴッフゴッ! 」

「で、これが動詞だ」

「フゴッフゴッ」

「これが形容詞だね! でも、うーん、何が言いたいのか さっぱり分からないよ」

 そんなヘンテコな会話を繰り広げていると、ガラリ、背後で扉が開いた音がした。

 振り向くと、「あ! 」扉をあけた主と目が合う。

「おはよう、リク──と、お客様? 」

 扉の前には、白いコック服を着た黒髪の好青年がたっていた。彼の名前は“ソジュン”。服装の通り、汽車の料理長を務めている。

「廊下が やけに賑やかだと思ってたら、リクだったんだ。お客様も。どうしたの? 」

「うん、それが、お客様の言葉が分からなくてね──あ、そうだ! 」

 リクは手を打ち合わせた。

「ジェイ、お客様が なんて言ってるか、聞き取って欲しいんだけど」

 “ジェイ”とは、ソジュンの愛称である。

 リクの言う通り、ソジュンは人間でありながら妖精の言葉を聞き取ることができるのだ。

「いいよ」

 人の好い料理長は「よろこんで」と ばかりに笑顔でうなずいた。

 リクと一緒に膝をついて、ホブゴブリンと正面に向き合う。

「お客様、どうなさいました? 」

 ソジュンが尋ねるのが分かったのだろう。ホブゴブリンは「フゴッフゴッ」と話し始めた。


「なるほど、なるほど」

 リクには理解できなかったが、ひと通り話を聞き終えたソジュンは、難しそうな顔で頷いた。あごを指ではさんだまま、何か考え始めた。

「どうだったの? 」

 リクに声を掛けられ、「はっ」と思考から戻って来た青年は、「そうだね」と首を傾げた。

「それが、よく分からなかったんだよ」

「よく分からなかった? 」

 どういうこと? リクは尋ねる。

「だって、なるほどって」

「言ってる内容は ちゃんと聞き取れたんだ。でも、こちらからの言葉は届かないからね」僕は妖精たちの言葉が分かるってだけで、多くの妖精たちは人間の言葉を聞き取れないからね「むずかしいことを言ってたんだ。まるで、暗号のような」

「暗号? 」

「うん──」

 一言一句、たがわず話すよ? ソジュンは そんな前置きをして口を開く。


  《人間よ、ワシの言葉が聞こえるか! いまから貴様に忠告してやる。心してワシの言葉を聞くんだぞ。

 人間よ、あの悲鳴が聞こえたか! あれが全ての前兆だ。いや、が来た。引き金は引かれたのだ。

 人間よ、あの泣き声が聞こえたか! 不吉を運ぶ あの泣き声が。それは死者をいたむ すすり泣きだ。

 人間よ、あの姿が見えるか! 真っ黒な衣装に身を包むオトコの姿が。それは お前らの力となる。

 人間よ、この言葉が聞こえるか! 注意するのだ。すべての現象を見届けよ。

 すべてが終焉しゅうえんに向かっている。抗うなら抗え! ワシは忠告に来た。いいか、人間よ。すべてに終わりは付きものなのだ。すべてが終焉に向かう。それを よく見届けるのだ。》


「なにそれ」

リクは ぼんやりとした様子でつぶやいた。

「わからない」

 ソジュン。

「悲鳴だの、泣き声だの、終焉だの抽象的すぎて──何が何やら……」

 と、ホブゴブリンが ふたたび「フゴッ! 」と鼻を鳴らした。

「ん? なになに」

「フゴッフゴッフゴッ! 」

「え、そんなあ」

 ホブゴブリンの言葉に、ソジュンは頭をいた。

「何て? 」

 尋ねると、ソジュンは困った顔でリクへ向いた。

「重大なことを教えてやったんだから、きょうの朝食はエッグマフィンにしろって言うんだ。きのう食べた感動が忘れられないんだって」

 ふつか続けて同じ朝食は出せないよ、どうしよう、と おどおど する料理長に溜息を吐いていると──

「フゴッ! 」

 悲鳴が聞こえた。

 ホブゴブリンが また鳴いた。

「なんて? 」

 リクが尋ねると、ソジュンは「うん」と顎を指でつまんだ。

「急げって」

「フゴッ! フゴッ! 」

「2号車に急げ──」

「フゴッ! 」

「始まるのだ──」

「フゴッ! 」

「さあ、行くのだ」

 リクも、言葉を訳したソジュンも首を傾げた。

「何が始まるって? 」

 リクが尋ねると、ホブゴブリンは苛立たし気に バタン と足を鳴らした。

「フゴッ! 」

「とにかく行けってさ」

 リクとソジュンは顔を見合わせ、また ちいさな お客様へと視線を戻した。

「分かった、とにかく行ってみるよ」

 リクが言うと、ホブゴブリンは、今度は満足気に「フゴッ! 」と鳴いた。



 リクとソジュンが駆けてゆき、誰もいなくなった廊下で、ホブゴブリンは「フゴッ」と鼻を鳴らした。

 廊下一帯に張られた窓ガラスに視線を移す。窓の外では朝日を浴びる青い冬の海が延々と広がっている。

「フゴッ、フゴッ」

 ホブゴブリンは海に向かって鼻を鳴らす。すると、「ごめん、ごめんって」窓の向こうに、走行している、足場なんてない窓の向こうに、人影が現われた。

 人影は窓に手をつけると、開閉しない窓を、液体が流れ込むように すり抜けて汽車に侵入してきた。

ようやく、人影の全貌ぜんぼうが見えた。漆黒のスーツを着た、異様に背の高い細身のオトコだ。

オトコは足元のホブゴブリンを見下ろすと、にっこり と口角を吊り上げた。怖いほど顔の整ったオトコである。青年にも少年にも見える。

「ソジュン君がいて まじで助かったよね、キミの言葉を ちゃんと聞き取って貰わないといけなかったからさ」

 オトコが言うと、ホブゴブリンは「フゴッ」と鼻を鳴らした。

 はかなげな見た目とは不釣り合いの、くだけた喋り口調だ。

「“彼がいなかったら どうしてたのか”って? 」

 オトコは くすくす 笑う。

「どうもしないし。だって彼はキミとリク君との騒ぎを聞いて、部屋から出てくるって。出てこない選択肢なんてないよ。キミの言葉はソジュン君たち──特にリク君には絶対に聞いて貰わなくちゃいけなかったんだから、無理にでも聞かせるっしょ? 」

「フゴッ」

「いやあ、それにしても、キミの協力は非常に助かったよ」キミ、口上めちゃくちゃうまいじゃん? 「キミに頼んで良かったって感じ。ありがとね。今朝のエッグマフィンは難しいかも知れないけど、後ほどオレから たんと お礼をさせてもらうよ」

 オトコは それだけ言うと、煙のように姿を消した。

 静まり返った廊下に残されたホブゴブリンは、「フゴッ」と鼻を鳴らすと くるり と背後の扉に向き、お客様用の寝台に戻って行った。

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