第3話『人だかりと泣き女』

 リクとソジュンが2号車につくと、そこには人だかりができていた。みんなが集まっているのは、2号車の末端、206号室の前だった。

「どうしたの? 」

 リクは目の前の大男に声を掛ける。

「リク、おはよう」

 大男はリクを見下ろすと、呑気のんきに挨拶した。

 男の名前は“ニック”。リクと同じ炭鉱夫として働いており、証拠に、ニックもリクと同様、白いワイシャツにジーンズのオーバーオールを着ている。

「おはよう」

 リクも手短に挨拶を済ませる。と、すぐに。

「アダムの部屋だよね? 何かあったの? 」

「ああ、それが、朝起きたら部屋中が水びだしになっていたそうなんだ」

「水びだし⁉ 」

 リクは目を おおきくした。

「それって──」

 泣き女バンシーじゃ──

「そう……」

 リクの言葉に頷いたのは、大男ニックではなく、彼の後ろにたたずむ美少年であった。

 黄土色の髪の毛で目を覆う、この美少年の名前は“ミハイル”。汽車のスチュワートとして働くカレは、一見ふつうの人間に見えるが、正体は〈入れ替わりの精チェンジリング 〉という妖精である。

泣き女バンシー、アダムの部屋に出た……」

 ミハイルは いつもの ぼんやりとした顔で言った。

 泣き女バンシーとは、〈入れ替わりの精チェンジリング 〉と同じく妖精の名だ。これから亡くなる人の死をいたみ、泣く女の妖精である。カノジョらは亡くなる者の衣服や物などを洗う。

 泣き女バンシーは以前にも汽車に現れたことがあった。その時は本当に生死を彷徨さまよった経験をしたこともあり、カノジョたちの死への嗅覚きゅうかくは本物だ。

泣き女バンシーがアダムの部屋に出たって──」

 とリク。

「で、アダムは? 」

「ああ、アダムなら──」

「濡れた部屋で悲嘆ひたんに暮れているわよ」

 ニックの後ろに立っていた金髪の女性が こちらに振り返って言った。

 重たいフリルのドレスを身に まとう彼女の名前は“レア”。汽車のウェイトレスをしている。

 今日も今日とて完璧に化粧をし、金色の髪の毛を巻き上げたレアは、呆れたように溜息を吐いた。

「朝起きたら部屋中 水びだしになっていたんだもの。それは同情はするけれども、酷く落ち込んでいるみたいよ、それはもう尋常じゃないくらい」

 どうやら高価なものまで濡れちゃったみたいで、と、美しきウェイトレスのレアは小声で付け足した。

「それは、大変なことになりましたね」

 言って、ソジュンは眉を弧の字に曲げた。

「アダムの準備が出来次第だが、朝食までにアダムの部屋を掃除しようと思っていてな」

 大男ニック。

「そろそろ出て来てくれると有難いんだが──」

「あの様子じゃ、厳しいんじゃないかな」

 と言うのは、ミハイルと同じくスチュワートの“コリン”だ。身長145センチの ちいさなスチュワートは、閉ざされた扉を横目で見ると、「だって」と続けた。

「ひどい有様だったんだから! 」

「“ひどい有様”って、部屋が びしょ濡れだってことだよね? 」

 リクが聞くと、「そうだよ」とコリンは首を上下に動かした。

「アダムの部屋から悲鳴が聞こえたんだ。それで駆けつけてドアを開けてみたら、水が溢れ出てきて──」

 と、モップを担ぐコリンは廊下を指し示した。

 なるほど、206号室の扉の前には確かに黒く濡れた染みができている。

「コリンが大急ぎでモップ担いで走って行くんだもの。私たちも飛んで来たって訳よ」

 レアが言った。

 リクは今一度、アダムの部屋の前に集まったメンバーを確認した。全員汽車の従業員たちだ。

 まずは、美しきウェイトレスのレア、そして同じくウェイトレスの“ゾーイ”、炭鉱夫ニック、スチュワートのコリンとミハイル。みんな閉ざされたアダムの部屋のドアを見つめている。

 「泣き女バンシーだなんて──不吉な予感がするよ」

 褐色かっしょくの肌が魅力のウェイトレス、ゾーイが こっそりニックに話しかけていた。

「アディの様子は? なにか、具合悪いとかあるのかしら? 心配だわ」

 レアがゾーイに尋ねる。と、ゾーイは首を傾げて、「きのう見た限り、変わった様子はなかったと思うんだけど」と、また ヒソヒソ と答えた。

 リクも昨晩のアダムを思い出す。

 アダムは 元気に嫌味口を叩き、強請ねだる従業員たちのためにピアノを弾き、夕食の後片付けを キビキビ こなし──ゾーイの言う通り、特に変わった様子はなかったはずだ。

 しかし、以前泣き女バンシーが来た時も、被害者に特に変わった様子は見られなかった。はずなのに、泣き女バンシーの登場により日常が一変してしまった。今回も そうなのだろうか。何はともあれ、不安だ。

 「アディは いつになったら出てくるのかしら! 」

 しびれを切らしたのは、レアだ。美しきウェイトレスは、胸まで伸ばした金髪を「ふんっ」と後ろへ払うと、扉に一歩近づいた。

「ねえ、アディ。部屋が濡れてしまってショックなのは よくわかるわ。でもね、いつまでも クヨクヨ していても何も解決しないじゃない。朝食の時間もあるし、そろそろ出てきて頂戴よ」

「そうですよ、アダムさん」

 ソジュンもレアの後ろに隠れるようにして言う。

「それに、早く掃除しないと、家具に水がしみてしまいます」

 ふたりの説得が効いたのだろうか、部屋の中から反応があった。

「ああ──……」

 部屋の主は低い声で答えると、引き込み戸を ガラリ と開いた。

 部屋から出てきたのは、部屋の主、アダム。白っぽい金髪を後ろに まとめ、リクとニックと同じく白いシャツにオーバーオールを着ていた。

 アダムは どこか やつれた様子で集まった従業員たちを ひと通り見回すと、溜息を吐き深く項垂うなだれた。

「同情するわ、アディ」

 レアが伺うように言うのに、アダムは また力無く「ああ」とうなずいた。

「見てくれ、もう まったくのずぶ濡れだ。ベッドも、コレクションしてた楽譜たちもだ」

「それは災難だったね」

 ゾーイが同情の意を示すと、アダムは「災難どころじゃねえ」と首を振った。

「ベッドは別に濡れて良い! いや、濡れて良いもんなんてねえけどよ。問題は楽譜だ! 世界中から集めたレアもんだぜ? 一枚一枚きっちりファイリングしてたのが、一夜にして パー だ! 毎晩 寝る前に眺めてたんだ。それが生き甲斐がいだったってのに──俺はこれからどうすればいいんだ……」

 アダムは そこまで言うと、ヘナヘナ と その場に しゃがみこんでしまった。

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