第1話『執事の手記』
268 歴史好き女子の集い 2018/11/15(木)01:34:02:47 ID:HHFP/006
フランス貴族ヴンサン家についてですが、248番様の仰る通り、かの有名なポーランド
貴族、ジェンスキー家と同一と考えて間違いないでしょう。
理由は3つあります。
1、ポーランド史からジェンスキー家についての記述が無くなるタイミングと
フランス史にヴンサン家が登場するタイミングが重なっていること
2、 ジェンスキー家とヴンサン家の家族構成、長兄の名前が一致していること
3、 ジェンスキー家に仕えていた執事の手記が発見されたこと
1、2については皆様も触れていることなので、今回は3について詳しく書きたいと思
います。
発見された手記の作者はヤンという名前の男性で、1793~1832年まで
ジェンスキー家に仕えていたとされています。
手記の内容を見る限り、恐らく執事長という立場なのではと推測されています。
ジェンスキー家がフランスへ亡命する際、職を解かれています。
以下手記は2017年にマンション建設予定地から発掘され、1年後ポーランド史誌で発表されたものです。羊皮紙に書かれたものですが、小さく折り畳まれ道具箱の底に
雑誌に起こされた文字(ポーランド語、一部フランス語)を私なりに翻訳してみました。
私の情報としましては、都内の大学に通う一般大学生で専攻も薬学と、ポーランド語は
趣味ですので、解釈違い、誤訳あると思います。以上ご理解の上、続きをお読みくださ
い。
第1話『執事の手記』
私は、旦那様にお仕えすることができ、大変幸福でございました。旦那様は
しかしここでは、私の坊ちゃまについて書かせていただきます。
私は坊ちゃま……いいえ。アダム様と、大切な約束を交わしたのです。
私の人生は、旦那様への忠誠と共に、アダム様への愛で満たされております。
アダム様は本当に不思議な方でした。
偉大なるジェンスキー家の跡継ぎとして生まれ、旦那様から絶大なる信頼と熱心な教育を施されていたはずなのですが、アダム様は全く旦那様と正反対だったのです。
極端に口数が少なく、内向的で、私にご命令される時でさえ、目を伏せ、呟くようにお話しされる。何かを
視線は俯いておられるか、遠くを眺めておられるか、かと思えば向かいに立たれた方をただ黙って、何も仰らずに、ジッと、見つめておられるだけ。ふくろうのような目。そんな、全てを見透かしておられるような目は、どんな大物でさえ、それも、アダム様を教え育てられた旦那様でさえ、一種の恐れを抱いておられました。
あらゆる物を含んでおられるのに、何もない、空っぽな目です。
アダム様のことを、“容れ物のような人物”と表現した方もおられるようなのですが、何と言ったら良いのでしょう、素直に書いてしまってよろしいのでしたら、当時の私も、全く同じ印象を抱いておりました。
その場にあるだけの、“置き物”のような方だ、と。
アダム様は、ご身内で弟君であるテオ様や妹君のイレーナ様、時には旦那様や奥様にさえ恐れられ、気味悪がられておりました。
イレーナ様は表向きでは兄であるアダム様を慕っておられるように振舞われるのでございますが、陰では暴君として知られるテオ様と共に、執拗な嫌がらせを なさっておられましたのを、私は知っております。いつかは、大切なお体に火傷の痕が残ってしまわれるところでした。あの事件を思い返しますと、今でも血の気が引きます。
本当に、お二方とも、アダム様に酷く当たられるのです。
しかしアダム様ときたら、テオ様やイレーナ様から何をされても、ひと言も仰らず、ただ遠くを見つめておられるばかり。
一部品の無い方々は、アダム様の事を馬鹿だなどと噂しておられましたが、それは断じて違います。むしろ、私の執事人生で、アダム様以上に秀でた方には出会ったことがありません。
どの学問をやらせても、アダム様の右に出る者はなく、時にはその手の専門家の先生方ともお手紙を やり取りされ、意見を交わされるからです。ただ ご本人が、どの学問に対しても深くご興味を持たれないだけで。
しかしアダム様にも、ひとつだけ、ご趣味がございました。
ピアノの演奏を聴かれることです。
国内でも屈指のピアニストの方々を お部屋に招いては、お隣で静かに耳を傾けておられました。演奏が終わると、彼らに2、3質問をし、また、曲を弾かせます。
その時だけは、アダム様の穏やかな、お優しい お顔を拝見することができるのです。
先生方がおられない日も、度々アダム様の部屋からピアノの音が聴こえて来ました。
何か特定の曲を奏でておられる、というより、音そのものを楽しんでおられるような、微かで、繊細な音でございました。
普段のアダム様は、このように、物静かで恐ろしく、一方お優しく穏やかな方でございました。
それでも一度だけ、旦那様へ反抗を示された事がございました。
アダム様が13のお歳の頃でございます。
私共従業員を含め、屋敷中が寝静まった深夜の事でございます。門番がベルで非常事態を知らせました。
“アダム様が裏の門から出て行かれた”
屋敷付近で保護されたアダム様は、驚くことに、普段と全くお変わりないご様子でございました。右手に銃を握られておられたものの、暴れるご様子もなく、俯いて、引き摺られるままにお部屋に連れ戻されておりました。
お部屋には旦那様の激しいお怒りが待っておりました。旦那様は、帰って来たアダム様を
目を逸らしたくなるような惨状でございました。奥様は失神し、あのテオ様でさえ、泣いて行為を止めたほどでございます。
しかし私には、旦那様のお気持ちが痛いほどわかります。
これまでのアダム様は、常に物静かで、旦那様の1歩後ろをついて歩いているような、忠実なお方でございました。この逃亡は、はっきり言ってしまえば、旦那様への裏切り行為でございます。
アダム様に対する旦那様は、第三者の私から拝見しても、微笑ましい
そして、恐らくこの折檻の持つもう1つの理由が、テオ様やイレーナ様への警告でございましょう。
この脱走を密告した人物は、何を隠そうイレーナ様だったのです。
テオ様やイレーナ様が、どうしてアダム様をこんなにまでいたぶられておられたのか。それは、アダム様がジェンスキー家の跡継ぎだからでございます。
次男として生まれたテオ様には、欲しくても得ることが困難な特権でございます。
テオ様やイレーナ様は、ご存じなかったのでございます。ジェンスキー家を継ぐということが、何を意味するのか、ということを。旦那様はその意味を、今回示されたのでございます。
長年旦那様にお仕えしております私は、旦那様がどんな苦労の元にこの地位にいらっしゃるのかを見てきました。その葛藤も同様でございます。
この折檻は、旦那様から坊ちゃま方への、愛なのでございます。
アダム様の手当てを、旦那様はお医者様でなく私に任されました。
お可哀想に。小さな背中は赤く腫れあがり、出血もされておりました。大人の私でさえ、唸ってしまうような有様でございます。しかしアダム様は泣きも唸りもせず、ただ、いつもの目で、静かに窓の外を見つめておられました。
驚いたのは、その時アダム様が、自ら私に お話しくださったことです。よく耳を傾けていないと聞き取れない、囁きに似た、微かな お声でございました。
“とても幸せな夢を見たんです。皆が僕のことを名前で呼んでくれていました。坊ちゃま、なんて、ちんけな言葉じゃなく。そこらの子供たちみたいに、呼び捨てで。僕は街を駆け回っていました。笑い合って、おちょくりあって、喧嘩もしました。ひどい殴り合いも。
僕はひとりの人間だったんです。ジェンスキー家の跡継ぎじゃなく。
ヤンさん、僕はね、僕は、本当は、当主になんかなりたくないんです。僕は人の上に立つべき人間じゃない。父様にはなれない。こんな家なんて欲しくない。この立場が欲しい人間がいるのなら、喜んで譲ってやります。
この話は父様には言わないでくださいね。本当に本当に痛かったし、辛かったんですから。あんなこと、もう2度と御免です。もう下手な真似はしない。もう2度と“
アダム様はそして、こう付け加えました。
“だから、次は、完璧に逃げ出して やろうって、そう思ったんです”
そう仰って口角を お上げになった お姿を見て、私はやっと、アダム様ご本人に出会えた気が致しました。
私はこの時以来、アダム様の共犯者でございます。
フランスに亡命される際、アダム様は私に手を差し伸べてくださいました。しかし私はここに残っております。旦那様から頂いた家で、外を眺めております。旦那様から、1通のお手紙をいただいたからでございます。
アダム様、おめでとうございます。私は、アダム様を信じておりました。
しかし私は同時に、心配でございます。こんな世の中でございます。アダム様。どうか、どうか、ご無事で。行くべき場所が見つかれば良いのですが、もしも、行き着く場所がなければ、私は、いつでもここで待っております。
親愛なるアダム様。私は、貴方の幸せだけを、願っております。
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