第4話


 必死で起き上がって胸元を押さえて前を見る。あの異国の男がセシリアを庇って立っている。チラと薄青い瞳がセシリアを気遣う。

「お嬢さん、大丈夫かい」

「はい、ありがとうございます」

 黒い服を着たならず者がドスの利いた声で脅す。

「おい、怪我をしたくなかったら色男の真似をするんじゃねえ。大人しくそれをこっちに寄越しな」


 セシリアを庇っている異国の男はニヤリと笑う。

「あんたら傭兵だろう。これから大事な戦ってぇ時に、怪我がしたいのかい? それとも火傷がいいか」


 男の手が軽く持ち上げられる。その手の先にめらめらと燃える火の玉がひとつ。それを見て黒い服のならず者の集団がザッと引いた。

「ま、魔術師か」

 異国の男とセシリアを庇うように人垣ができる。彼らは皆、男と同じゆったりした服を着て、油断なく身構えている。


 黒っぽい服を着た傭兵たちの中から大柄な男が出て来て「てめえら引け」と後ろの男どもに低い声で命じる。

「で、でも」

「行くぞ。戦の後は娼館を確保してある」

「「「おおっ!!」」」

 男たちは黒い塊になりどこかに消え去った。


 ネリーが横合いから出てきて、泣きながら縋り付いた。

「お嬢様、ご無事で」

「あまり無事ではないわね」

 ドレスを引き裂かれた。髪もグシャグシャで腕に擦り傷もある。この格好で大通りを歩くのは不味かろう。

「ふふ、度胸のある娘さんだな」

 声の方を見るとあの男だ。日に焼けた肌と薄青い瞳、鈍色の髪の青年だ。


「異国の民ですわ、お嬢様。近付いてはなりません」

 ネリーがセシリアの身体を庇って男を睨みつける。

「でも、この方はわたくしを助けてくれたのよ」

 男が手を出してセシリアを立ち上がらせる。腰に巻いていた布を解いて、肩から着せ掛けてくれた。


「まあ、ありがとう」

 礼を言うと目を瞬かせた。

「お嬢さん、こんな所で何をしてるんだい」

「わたくしはあなたを見ていたの。目が離せなくて、探したの」

 男が嬉しそうに笑うと並びの良い歯が覗く。細い三日月のイヤリングが銀色にチカリチカリと踊る。腰に下げている太刀は曲刀で、ゆったりとした異国の服を着ている。


「俺は東の国から商売をしに来た」

 男はセシリアの腰に手を回し歌うように話す。

「長い船旅だった」

 異国訛りはあるけれど流暢な話しぶりだ。

「俺には何人も嫁がいる。そいつのひとりにしてやろうか」

 ニヤリと笑って引き寄せる。


 男の頬を平手で叩くとびっくりした顔をした。

「残念ですわ。帰りましょう」

 男に布を押し付けて侍女に向き直る。

「悪かった。嘘だ。俺はまだ独り身だ」

 男はセシリアの腕を掴んで引き留めた。


「嘘」

 睨みつけて腕を引き払おうとしてもびくともしない。腕を取って腰を引き寄せて歩き出した。

「本当だ、異国の花嫁を探しに来た。こちらの女は皆、俺の事を遊び相手かお飾りにしか見てくれない。だが──」

 男は言葉を切ってセシリアの手に唇を寄せる。

「あんたは違うんだろ」

「信じられない、あなたみたいな人が何故? からかっているの?」

 近くで見れば見るほど綺麗な男だ。

 日に焼けた肌はなめらかで、二重の切れ長の瞳は薄青く宝石のように煌めいて、きっとアリスターみたいに女に追いかけ回されているだろう。


 先程この男と一緒に助けてくれた人たちは、すでに周りに散って、セシリアたちの後ろを侍女のネリーが必死で追いかけて来る。

 この男も身分のある男なのだろうか。


「どうして嘘を」

「一夜の相手ならばそれでも良い。でもそうじゃないのなら、奪うまで」

 セシリアの胸に歓喜が押し寄せる。どうしたんだろうこの気持ちは。悪魔か魔物か何かに魅入られたのか。

「お前を攫って連れて帰ろう」

「まあ、嬉しい。でもあなたの事を何も知らないわ」

「俺もあんたの事を何も知らない」

 これは恋だろうか。分からない。アリスターから逃げたいだけだろうか。そうかもしれない。


「あなたは私を船に乗せて、見知らぬ国へ連れて行ってくれるの?」

「船は直ぐ外の港の沖に停泊している。我々はこの大陸を商売しながら移動した。商談は終わって、船に乗って帰る為に、船を停めた港のあるこの国に戻って来た」


 そうだ。この国には大きな船が停まれる港がある。祖父がセシリアを連れて船を見に行った。港は大きくて白い帆を幾つも付けた帆船が犇めいていた。白い鳥がたくさん飛んで、潮の香がして──。



 手をつないだ男が口を開こうとした時、声をかけられた。

「セシリア! 何をしているんだ」

 アリスターが護衛と兵士を引き連れている。銃を構えて物々しいが、侯爵家の御子息が何でこんな街の広場の外れに。

「王都で騒乱があった。私も鎮圧に出ている」


 王都の近隣や下町にはならず者がいて無頼者がいて物騒だと聞いていた。そんな者が街中にいるのか。あの男たちは傭兵だと彼が言った。傭兵とは雇われて戦をする者たちの事だ。そんな者が街中で何を──。

 言葉は知っていても現実として頭の中で咀嚼できない。

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