第3話
馬車で大通りに出ると街は騒がしかった。
大通りも噴水のある広場も聖堂の周りも人出が多い。旅芸人やらが音楽を奏で、大道芸を披露する。行き交う馬車も多いし旅人も多い。
今はやっと夏が終わって空は澄み渡り、朝夕涼しくなって一息ついた頃で、秋の祭りはまだ先なのに、王都の近辺だけでなく街中まで騒がしい。
「お嬢様、危のうございますよ。今日は人相の悪い者が多うございます」
侍女のネリーがセシリアの身体を引き留める。裕福な平民の娘の格好をしているが、美しい姿勢と丁寧に手入れされ垢ぬけた美貌は、化粧をしていなくても隠せない。浮気者のアリスターが我妻にと望んだほどであるが、本人は早々に心を打ち砕かれ、自分の価値に気付きもしない。
「そうね」
ネリーに気のない返事をしながら、セシリアはぼんやりと旅芸人を見ていた。異国の者らしい軽業師が大通りで踊っている。
まだ見ぬ異国には憧れる。成績が良ければ隣国に留学できると聞いたけれど、この前両親に聞いたら「とんでもない」と叱られた。セシリアは箱入りのまま嫁に行くしかないのだ。
軽業師は曲の一節ほど剣の舞を披露し、やんやの喝采を浴びていた。余興でナイフを取り出す。お手玉のようにナイフをポンポンと高く放り投げて操り、水玉を出してナイフを投げる。
水玉が弾けナイフも弾ける。弾けた端からピンクの花びらになって零れ、風が吹いて空一面に舞い上がる。
観客からどよめきと拍手が起こる。優雅に一礼して、男は飛び上がっていなくなった。
日焼けした肌に薄青色の瞳。鈍色の長い髪を無造作に革ひもで編んで結んでいた。豹のような、素早くて、しなやかで、危険な感じのする男だった。
もっと見ていたかったのに、不意に居なくなってしまった。セシリアは見つからない失せ物のようにその男を探した。
「何処に、行ったのかしら」
「お嬢様、危のうございます」
「だって──」
よそ見をしていて人にぶつかってしまった。
「まあ、ごめんなさい」
「よそ見をしないでこっちを見て欲しいね、綺麗なお嬢さん」
異国訛りの軽やかな声が降って来た。探した彼が目の前にいる。
「まあ」
軽く手を取った男を見る。男がにこりと笑うと綺麗な歯が見えた。
「お嬢様、今日は無頼の徒が多すぎます。危険ですからもうお屋敷に帰りましょう」
「待って、もう少し」
ネリーに気を取られている隙に男は居なくなった。
(あの人は何処に行ったの?)
人が多くて紛れて分からなくなる。いつの間にか侍女ともはぐれて、ひとりになっていた。遠巻きにするのは人相の悪い男どもだ。セシリアの心に警鐘が鳴り響く。こんな所にひとりでいたら危険だ。
手薄な所に向かって走り出す。令嬢が走るのを見て少し慌てたのだろう、遠巻きの輪が崩れる。ドレスが走り難いと思いながらセシリアは必死になって足を動かした。普通の令嬢よりは少しは鍛えてあるけれど、たいして変わらないかもしれない。自分も井の中の蛙で大海を知らない。憧れるだけで何も知らない。
黒い塊のように人が押し寄せて来る。避けようとしたら、いきなり手を掴まれた。「きゃあ」と、悲鳴を上げる。髭を生やした人相の悪いならず者達だ。
「おい、コイツ別嬪さんだぜ。戦いの前に戦利品が入るったあ、幸先がいいぜ」
「何をするの、お離しなさい!」
怯えながらも睨みつけて言った。
男たちの下卑た嘲笑を浴びせられる。
「げへへ、まじでお嬢様じゃねえか」
「上玉だ」
ならず者たちによって担ぎ上げられた。
「いやあーー! 助けてーー!」
侍女はいない。護衛の者もいない。何でこんな時に街に出たのだろう。
男たちはセシリアを担ぎ上げて裏通りに入った。
「ここらでいいだろう」
空き地を見つけてセシリアを降ろすと一人がのしかかろうとする。セシリアは身を捩って逃げて、スカートの隠しから小型のレイピアを取り出して構えた。
「触らないで!」
男たちはにやにやと下卑た笑いを浮かべる。
「お嬢ちゃん、怪我するぜ」
「こういうのもそそられるぜ、なあ」
ひとりが手を掴もうとしたのを肘で当身を食らわせ、もう一人が抱き付こうとしたのを身を屈めて逃げる。そうやってちょこまかと逃げたが、ひとりが足払いを食らわせ、もう一人が伸し掛かった。持っていたレイピアは手首を締め付けられて離れて行った。
「ああっ……」
「いい声だ、もっといい声で泣かせてやるぜ」
ならず者に寄ってたかって押さえ付けられた。暴れて拳骨で叩くと他の男がセシリアの両手を掴んで頭の上にあげる。
(ああ、こんな所で凌辱されて殺されるのが私の人生だったのか)
男の手が気持ちが悪い。怖気立って唇を噛む。
(舌を噛んで死んでしまおう)
そう思った時、のしかかっていた男がドンと横に弾け飛んだ。手を押さえていた男も居なくなった。
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