第32話 魔物たちの蹂躙
ギルの言葉と共に、私たちは一斉にその場から駆け出した。
来た時と同じ道だったが、来る時に感じていた張り詰めた緊張感はなく、ただ逃げるように心臓を高鳴らせて走り抜ける。
意気揚々、とまでは行かなくても、少なくともある程度の成果を求めて北に訪れた私たちだったが、これほどの魔物の数はやはり私たちにだけではなくギルにとっても予想外だったことのようだ。
結果的に魔物たちを放置して逃げるという実質的な敗走を余儀なくされた。
冒険者になりたてで、まだこういう緊急事態に対する対応について無知であった私だったが、それでも今回の魔物討伐はあまりにも一冒険者には厳しいものだということが分かる。
魔物たちの群れを見つけた瞬間は思いもかけず固唾を飲み唖然としてしまったほどだ。
普段魔物を討伐するためにあちこちを探し回っているのが馬鹿らしく思えるほどの数、そしてそれらが軍隊のように真っ直ぐ前に侵攻してくる異様な光景。
どう考えても止めなければいけない。
しかし、止めようにもそこに突っ込むことそれ自体が無謀な自爆としか思えないような絶望的な状況に私たちは陥った。
可能な限り抵抗はしたが、やはり私たちだけでは力不足。
相棒のリーシュの強さは言うまでもないが、どれだけ強くても一人なのだ。ただでさえ魔物であることを悟られないように人間に擬態することを強いられているのに、その状態で全ての魔物を消滅させるなんて流石に無理だろう。
結論として私たちは現在進行形で森の木々の合間を縫うように駆けて撤退している。
「おいラダ!もっと早く走れ!」
「……無茶言うな。この装備でお前らと同じような速さで走れるわけないことは分かるだろ。」
先頭を走るラダに向けてギルが叫ぶが、彼の言う通りいかにもな甲冑の重装備では現状でも全速力。
そうでなくても、戦闘中に怪我をしたザイセを背負うレックスもいるのだ。彼は物魔法を使えるようで身体能力を向上させて遅れることなくついてきているが、これ以上は厳しいだろう。
「ギル落ち着いて。心配しなくてもまだ魔物たちは追いついてきてない。変に焦ってアクシデントが起こる方がよっぽどまずいよ。」
一つの集団として行動している以上、各々最善を尽くしたとしてもその動きには差が出る。
事態が事態だから仕方ない面もあるが、ここでリーダーであるギルが焦ってチームの輪を乱せば、それこそパニックに陥りかねない。
今は冷静になることだ。
幸い魔物たちはまだギルの魔法に足止めを喰らっているようだし、最悪追い付かれても私とリーシュがまだ殿として戦える。
「………そうだな。悪い、取り乱した。」
私の一言にギルも納得したようで小さく頷くと、私たちはそのままのスピードで森を駆け抜けた。
♦︎♦︎♦︎
森の外に向けて走っているのだから当然とも言えるのかもしれないが、私たちは特に魔物に出会うことなく森を抜けることに成功した。
見晴らしの良いところに出たところで一度ザイセに応急措置を施すために草原のある位置に留まることにした。
「レックス、ザイセは大丈夫そう?」
「……ん、ああ、たぶんな。カテアが生魔法を使えるから、ある程度の傷なら治癒できてる。しばらく目を覚まさないかもだが、少なくとも死にはしねえ。」
よし。
かなり深い傷を負っていたようだから不安だったが、彼女が無事なら死者はゼロだ。
全体から見れば雀の涙とはいえ、ある程度の数の魔物を倒した上でこちらの損害がなければそれは成果と言えるだろう。
……他に問題があるとすれば。
「……………。」
「……………。」
「……………。」
「……………。」
常日頃からパーティを組んでいて、友好な関係であろうギルたちが何も口に出さない。
死者を出さずに脱出することに成功したというのに、歓声を上げることもお互いを鼓舞するような言葉も出てこない。
誰もが現状を憂うように俯き、陰鬱な表情を浮かべている。あるいは疲労からくる気力の消失か。
それだけのことだったのだ。
魔物は危険とはいえ対策さえすれば普通の冒険者でも楽に倒せる、それが一般的な解釈であり、私だって基本的にそう考えていた。
だが、今回の魔物討伐は明らかにその解釈を覆すものだった。
無論魔物一体一体があの龍のような強さを持つものではないが、それでも数や凶暴性は今まで戦ってきた魔物とはものが違う。
いや、単純な強さや数というだけでなく、存在そのものが初めて見るような危うさを感じた。上手く言語化することができないけど、間違いなく危険ということはわかる異様さだ。
「これが『邪災』……。」
誰かがそう呟いた。
私だったかもしれない。
名前がつけられるほどの大災害。それなりの荒地は理解していたが、もはや数歩先の地獄のような光景だ。
ギルたちも邪災を体験したことはないと言っていたから、やはり今回の魔物たちの進行に寒気を覚えているのだろう。
完全に皆萎縮してしまっている。
「レイナ、やっぱりおかしいよ。」
そんな中、唯一傷心中の私に話しかけてくる声があった。
リーシュだ。
さっきから私が俯瞰して状況が見れてるのも、今回の討伐作戦で比較的安定した戦いができたのも、リーシュが側で手助けをしてくれたおかげだ。
いつのまにか芸術家のように繊細な剣を振るようになっている相棒は、私が倒しきれなかった魔物の後片付けもしてくれた。リーシュがいなかった時のことなんて想像するだけでも恐ろしい。
「そりゃ、あんなに魔物がわんさかいる状況はおかしいでしょ……」
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「うん。わたし、あんなに魔物に近づいて何匹も殺したのに、それでも感じなかったの。魔力を。」
「……………。」
防ぎ切ることさえ絶望的だった状況のなかで、因果を探るなんてそもそも不可能だと思って放置していたが、リーシュにはこの事態に対して抑えきれない違和感を抱えているらしい。
確かに、魔力の増幅を魔物である彼女が感じないのはおかしな話だ。それもあれだけ魔物の軍団に近づいた上で。
もしかしたらリーシュの気づきにこの問題を解決するヒントがあるかもしれない。
「リーシュとあの魔物たちには、何かしらの大きな違いがあるのかもしれない……。」
そもそもリーシュという存在そのものが魔物の中では特別なんだろうが、それでも本人がここまで疑念を感じているということは明確に異常なんだろう。
「リーシュは何か思いつく原因ある?」
「ぜんぜん。そもそも私とあの魔物たちの違いなんて若いか老いているかくらいだし。」
「………ふむ。」
……魔物は魔力によって生まれる。
だから魔力に反応する。
でも、リーシュは今回魔力を感知しなかった。
となると、あの魔物たちが特殊だったということか?
例えば『邪災で生まれた魔物は何かしらの特別な要素を持っている』とか。
「『邪災』って20年前くらいまでは割と起こってたことらしいけど、その時もリーシュは魔力を感じてなかったの?」
正直探ったところで何か意味があるかも分からないが、こんな事態になっている以上、無駄かもしれない情報精査もやるだけマシだ。
リーシュは何百年も生きてるし、ずっとここら辺にいたらしいから、過去の邪災のことも知っているはずだ。
「邪災って名前は今回初めて知ったけど、前によく起こってた魔物の増加のときはちゃんと魔力感じてたよ。」
……となるとアテは外れたか。
今回だけが特別。
数百年生きてきたリーシュですら初めての事態。
悪い予感がプンプンなんてどころの話ではない。
「他に考えられることがあるとするなら、魔力そのものがおかしいってことくらいかな。」
あの増殖する魔物たちは感知できて、リーシュは感知できない、そんな魔力。
だが、そんなものが存在するのかも分からないし、だったらなんなんだという話だ。
「わたしにはわかんないけど……。でも、きっと良くないことが起こってるんだと思う。」
「……だろうね。」
リーシュは険しい表情のまま、表情をわずかに緩めた。悪い方に。
「死んじゃダメだよ。レイナ。」
どこか物悲しげにこちらを見つめるリーシュの表情が、私がこの世界で生きることの難しさを物語っているような気だした。
そうだ。
生き続けないと。
幸せになるために私はここで戦っているのだから。
「大丈夫。この問題が解決したら、また一緒に買い物行こ。」
言ってから、これってまんま死亡フラグだなって思った。
わずかに視線が高いリーシュの頭を撫でながら、魔物が溢れているであろう森を見つると、侵食されるようにその様相が霞んで見える。
あの森も越えて、この草原も越えて、そして街へ。
それだけは防がなければ。
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