第17話 森の支配者
大きな鎌のような左手が、私を一刀両断する直前、その手の動きはわずかに腹の中を抉ったところで静止した。
「………?」
どう考えても死ぬ以外にありえなかった状況の中で、心臓を壊す刃が寸前で止まったことに混乱した。
ゆっくりと目を開けると、そこにはまたしても驚愕の光景が広がっていた。
怪物の爪先は確かに腰と腹の間くらいのところに刺さっている。身体の側面のため、致命傷ではないが確かに痛みも感じる。
だが、私の身体と同じくらい太い手の指以外は、
消え去ってしまって、存在していなかった。
そして、今の今まで怪物の本体があった場所には、水色っぽい色の混じった透明な物体が立っていた。
物体というより、液体?
粘着性が強そうで液体と個体の狭間に定義されそうな何かが、怪物の体のほぼ全てを覆い尽くしている。
怪物の方は、もう完全に絶命してスライム状のそれに溶かされているようだった。
一瞬でも命の期限が長引いた安心感と、目の前で起こっていることの理解のし難さが余計に脳内をパンクさせる。
何なんだこの液体。
怪物は何でこんな液体にやられたんだ?
『うーん。ちょっと待ちすぎたかなぁ。味が腐り始めちゃってる。』
慌てふたむいていると、どこからか話している女の人の声が聞こえた。
「っ……誰かいるんですか?」
『ん。こっちだよー。見えてるよね?』
年齢的には二十代くらいの女性のその声は、目の前のよくわからない液体から確かに聞こえた。
「……えっと、人……なんですか?」
どう見ても人じゃないだろ。
と心の中で突っ込みつつも、言葉を話すのだから人間種じゃないのかと疑問をぶつける。
『んや。人じゃないよ。通りすがりのそこらへんの魔物。』
魔物?
いや確かに見た目はモンスターっぽいし、人が魔物かで言ったら魔物っぽいけど。
『君とおっきいのが戦闘になってたところに、ちょうどお腹を空かせた私が立ち寄ってね。大きい方をガブっと食べちゃったんだけど、怒ってる?』
「いや全然。」
『それはよかった。』
なんかフレンドリーな魔物だな。
ていうか魔物ってしゃべるやつもいるのか。
とりあえず、命を助けてもらったってことでいいのかな……。
異質な感じはするけど、悪意とかは特に感じない。
「あの、助かりました。私じゃあの魔物に勝てなかっただろうから。」
正直動心する要素が多すぎて、あれやこれやと混濁しているが、何はともあれ私を殺そうとしていた魔物を倒してくれたのはこのスライムみたいな魔物ということで間違いはないらしい。
だからとりあえずお礼を言っておく。
『……あー、私が横槍を入れたから、味方だと思ったんだね?それなら別にお礼なんていらないよ。君のことも食べるし。』
「………………………。」
うん。お礼は言わない方が良かったようだ。
なんかポップな感じで言っているけど、簡単に説明すれば、絶対に勝てないと思った化け物を瞬殺したとんでもない化け物が今から自分の身体を食べると言っているのだ。
はいおわり。
短い人生でした。さようなら。(二回目)
「……せめて一思いに一撃でお願いします。」
『んー?なんか勘違いしてない?』
「…………。」
『確かに君のこと食べるけど、君が魔物じゃないなら、魔力を吸い取るだけだよ。死んだりはしない。』
「あ、肉体は死んでも精神は死なないという美しい話……?」
『いや。別に肉体も死なないよ。明日には元通りになるし。』
………ほんと?
だとしたら全然どうぞご自由にって感じなんだけど。
でも、そういうことなら確認しておきたいことがいくつかある。
「あなた、何者?」
『だから、通りすがりの普通の魔物だって。』
私の知ってる魔物って、言葉も喋れないしこんなに社交的な感じでもないんだけどな。
「じゃあ、魔力を吸い取るっていうのは?」
『ああ……。魔物はね、魔力を補充することで存在を保てるの。君たちでいうご飯みたいなもの。基本的には魔物同士で食物連鎖が起こるんだけど、たまには君みたいな普通の生物からも魔力を摂取したいよね。』
先ほどリッグヘッドボーアを丸呑みにしていた背の高い怪物を、さらに彼女(?)が捕食したと考えると、確かに生態系っぽい感じはする。
『さっきのやつは思ってたより美味しくなかった。体が成長しすぎて魔力の密度が大きくなりすぎたんだね、きっと。それと比べると、普通の生物の魔力ってすごく美味しいんだよね。特に君みたいな若くて可愛い女の子なんて、毎日おやつに食べたいくらい。』
え、キモ。
いや、もちろん口には出さないけど、セリフだけ聞いたら警察が飛んでくるだろ。
なんかやけに絡み気が多い話し方だし、やっぱりちょっと怖い。別の意味で。
現実世界でもギリギリいそうでいなさそうなラインの気持ち悪さをもつお姉さんだ。そういえば昔高校の同級生にこんな感じのやついたような気がしないでもない。
……まあでも、魔力がすっからかんになるだけなら本当に大したことはない。
いつも私も寝る前は特訓で完全に魔力の底をついているし。
『ささ。優しく食べてあげるからこっちにおいで。』
どこに口があるのかもわからないスライムは、私の目の前で大きく身体を広げると、そのまま包み込むような形をとった。
その気になればいつでも私を殺せるような魔物が、よく分からないけど魔力を吸うだけで許してくれるらしい。何を考えているかわからないやつだ。
でも、いつその態度を覆すかも分からないし、ここは素直に従っておく方が良さそうだ。
そのまま足を動かして近づくと、ぎゅっと抱きしめるように魔物は私を一気に体内に取り込んだ。
ぐにゃっとした、いかにもスライム的な感触が全身を包み込んで、自分が体の中に入ったことを自覚する。
中が半透明なこともあって外の光景が見えるのがなんだか神秘的な感じだ。
わずかに熱がこもった液体状の体に包まれていると、こちらまで熱に温められるように力が抜けていく。この時点で魔力の吸い取りは始まっているのかもしれない。
冷静に考えて、なんで私はこんな体験してんだ?と思わなくもないが、成り行きでこうなってしまったとしか説明のしようがない。
温かい感触に包まれているうちに、眠るように意識が遠くに離れていくのを感じた。30連勤明けに久々に家のベッドに潜り込んだ時と同じような気分だ。
なんとなく、気分が良い。
こうやって眠った結果死んでしまったという実在経験があったりもするけど、今回もそうなったらその時はその時だ。
小さく息をつくと、浮いた体に感情も乗せていくように、何の抵抗もなくあっさりと意識を手放した。
♦︎♦︎♦︎
それから僅かな時間を挟んで目を覚ました。
体感的にはほんの数十分だっただろうか。
目を開けると、視界にはあたり一面木の枝と葉っぱ、それからその奥に青い空が広がっており、この場所が先程まで立っていたノース森林の奥地であると識別できた。
「今度は死ななかったか……。」
私を取り込んで魔力を吸い取っていたと思われるスライム(仮)は、どうやらミナセほど倫理観がぶっ飛んだやつじゃなかったようだ。
『あれ?もう起きたんだー。結構早かったね。』
後ろから聞こえてくる声に向き直すと、ぐでんぐてんと妙な動きで転がる液体がこちらに近づいてきていた。
「ま。早起きには慣れてるからね。」
結局こいつは何者なんだという疑問は残ったけど、とにかく今こうやって世界で生きているのはこの魔物のおかげであるということを忘れてはいけない。
「……私の魔力、もう吸い取ったの?」
『うん。めちゃくちゃ美味しかった。』
それは良かった……のか?
不味くて殺されてた世界線もあるかもしれないし、悪しよりは良きか。
「これでもう満足した?」
『ううん。美味しすぎてこれだけじゃ満足できなかった。』
「そう、ならもう帰っても…………………え」
満足してくれなかったの?
しかも、『美味しすぎて』って。
表情もないのに、スライムはどこかにやけるように声を高鳴らせる。
私は嫌な予感がした。
こういう時、なんだかんだよくないことが起こるのがレイナという人間なのだ。
そして今回もその例には漏れない。
『いやあ。あんまり美味しかったから、これから毎日君の魔力食べたいなって。』
……………………………。
嫌ですけど。
いやほんとに。
助けてもらったのはありがたいけど、もう金輪際関わりたくないんだけど。
「私、自分の魔力にそんなに余裕ない。毎日特訓と狩りしないといけないし、そもそも元々の魔力の量少ないし。」
なんとか必死にお断りの文言を伝えようとするが、彼女はその勢いを止めてくれる様子はない。
『ほんのちょっとだけでもいいんだよ。ね?』
「なんで私にそんなにこだわるの?同じような人はどこにでもいるよ?」
『ところがどっこい。それがそうでもないんだよね。さっきちょこっと味見したんだけど、君の魔力の味ってなんか変わってるんだよね。長く生きてきたけど、こんなにマイルドな味は初めてだよ。』
なんだその何のメリットもないような特徴。
「そんなの知らないって。もう帰るよ。」
『じゃあ着いていこう。』
うわぁ。
絶対めんどくさいやつだこれ。
「こんなぐにゃぐにゃな物体が街に着いたら、速攻で他の冒険者に討伐されるよ。」
『人間の冒険者なんてよっぽどじゃない限り倍返しにできるから問題なし。』
さらっと怖いことを平気で呟く魔物。
沸点高そうだけど、怒らせたりしたら本当に危険なのはつい先程のことで判明済みだ。
とはいえ、このままこいつの言いなりになっていても私の魔力が吸い取られるだけで、人生計画に狂いがでる。困ったな。
「街を滅ぼしたら私も死ぬから本末転倒じゃん。」
「君だけは殺さないようにするよ。まあでも、確かに私も問題ごとを起こしたいわけじゃない。……そうだな、じゃあこうしよう。」
そう言ったのと同時に、魔物はスライム状の身体を自分からぐちゃぐちゃに変形し始めた。そしてしばらくすると、液体は人間の形に変形して、そこで固まった。
「ふぅ。これで人間っぽいし、私が魔物だってバレないでしょ?」
流暢に口を動かして、イタズラっぽく微笑む魔物は、どこからどう見ても人間の女の子にしか見えない風貌になっている。
体を変形させて人間に化けたのか。
若干茶色がかった綺麗な髪は肩より少し下くらいまで伸びていて、襟の毛先はくるっと跳ね返るように丸まっている。ウルフカットってやつかな。
顔の筋肉のつき方や身長の高さ的に、見た目は私より少し年上くらいの感じだろうか。
「どお?このカッコ」
「どうって聞かれても……。」
「これで私も人間の仲間入り。だから街について行ってもバレないでしょ?」
いや確かにバレないかもしれないけどさ。
「なんで私にそんなにこだわるの?」
転生したところを除けば、私はただの獣人だ。
まあ、顔とかはちょっと自信がないわけじゃないけど?
でも別にモデルみたいな顔立ちではないし、魔法も現状はただのへなちょこ以外の何者でもない。なんか魔力が美味しいとか言ってたけど、そんなことでこんなに付き纏われるとは思えないじゃん。
この魔物の話を聞くに、こいつは相当長い間強者としての立ち位置を保っていると見た。
私なんかに一目惚れするような太刀ではないだろう。色んな意味で。
「うーん。なんかよく分かんないけど、不思議な感じがするんだよね君。」
「よく分かんないのによくそんなに前のめりになれるね」
「よく分かんないからなおさらだよ。この歳になると、もう知りたいことがなくて退屈してたとこなんだ。」
そう言われても、私に不思議な要素なんて全然ないと思うんだけどなぁ。
……いや、ここまで来ると、もういっそのことこの女(?)を利用することも考えるべきか?
よく分かんないけど、こいつは私の魔力が欲しいらしい。そんでもってめちゃくちゃ強い
もしこの魔物を味方につけられれば、冒険者生活に良い結果をもたらしてくれる可能性もなくはない。
というか、こいつが私に謎の執着心を見せている以上、そう考えるしかない。
切り替えていこう。
「……………。」
「?」
「…………こほん。そういうことなら、私についてきてもいいよ。」
「ほんと?」
「ただし」
「ただし?」
「私の言いつけをちゃんと聞くこと、可能な限り私の頼みを了承すること、関係ない人を傷つけないこと、この三つが守れるなら。」
多分こういう系のやつって、何を言っても自分の発言を取り消さない。だから、こっちから条件をつけてそれを呑ませる。
人心掌握術じゃないけど、こういう駆け引きが通用するだけ物は言わぬ魔物よりはずっとマシだ。
「別にいいよ。それくらい。」
やはりというべきか、女は普通に私の言葉を了承した。まあ、その気になれば破っても何の問題もない約束だ。実力差がありすぎて、口約束としても効力が弱すぎる。
とはいえ、これで自分に言い訳できるから良い。七転び八起きだ。
「じゃあ行こっか。あ、君名前は?」
「レイナ。そっちは?……魔物に固有の名前なんてない……?」
「うーん。そうだなぁ。じゃあリーシュで。」
今適当につけたなこいつ。
長く生きてるっぽいのに、仮の名前すらないあたり、本当に人間たちと関わりがなかったようだ。
「ちなみに由来は?」
「なんとなく!」
はいはいそうですか。
そんなこんなで、私に二人目の友達(?)もとい初めての仲間(?)ができた。
はてなマークばっかりなのは許してほしい。
だって謎が多すぎるもん、この魔物。
すらーっと私の前に現れて、平気な顔で付き纏ってきてくる変わり者だ。
でも、何かの役に立つかもしれないし、抵抗しても無駄そうので受け入れることにした。
これまで通り、何でもありの世界で自分を納得させて生きていこう。
隣でニコニコしているリーシュを見てると、そう思うことが最善だと勝手に納得させられた。
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