第16話 森に潜む脅威
初めての戦闘から三週間が経った。
あの日以降、私は一日も欠かさずノース森林に訪れてリッグヘッドボアーを狩っている。
魔物は正確に言えば生物とは違う分類らしく、基本的に人間を含む生態系において害でしかないらしい。
だから、いなくなるまで狩り尽くしても何の問題もないと。
残酷な話ではあるが、存在することで他の全てにデメリットを与える存在なら、私も殺すことに大きな罪悪感を感じないですむ。
もちろん今日も現在進行形で森に入っている最中だ。
初級炎魔法 《炎球》
魔力を込めて飛ばした火の玉は、目の前で駆ける猪にうまいこと命中した。
そして、しばらくするとその身体はぴくりとも動かなくなった。
この一週間でリッグヘッドボアーを一撃で仕留められるだいたいの魔法の強さが分かった。
弱すぎても逃げられるし、強すぎてもオーバーキルで魔力が勿体無い。
もともと魔力が少ない私にとって、一日の稼働率は魔力をいかに効率的に使うかが重要なのだ。
「……よし。これで八匹目。」
回収した魔核を布袋に入れると、すぐさま近くで逃げるもう一匹に狙いを定めて追いかけた。
リッグヘッドボアーの討伐は、ほとんどの冒険者は精力的に取り組まない。
普通の冒険者は『市民募集』でもっと効率が良い仕事があるし、せいぜい別の要件で立ち寄ったこの森でおまけ程度に討伐するくらいだ。
一匹900ルモしか稼げないし、丸一日猪を追いかけてもたかが知れてるから妥当と言えば妥当だ。
だが、今の私にはこれが生命線。
弱くて戦う以外の選択肢がない私にとって、ここでの猪狩りは数少ない安定した仕事なのだ。
ここ最近の私の一日のルーティーンは、
午前5時 起床、森に出発
午前6時 森に到着、狩り開始
午後2時 狩り終了
午後3時 冒険者同会で報酬を受け取る
午後4時 魔法特訓開始
午後12時 特訓終了、食事
午前1時 就寝
こんな感じだ。
現状、冒険者同会のロビーの端っこを勝手に占領している状況は変わらず(迷惑かけてごめんなさい)、必要なのは食費くらいだ。
だから、お金を稼ぐよりも魔法の特訓をして、もっと稼げる仕事を探した方が良いと考えた。
その結果、8時間の労働と8時間の魔法特訓が日課になっている。
一日で稼げる金額はリッグヘッドボアー10匹分の9000ルモ、あっちの世界で言うところの3000円だ。
日給3000円と聞けばまだマシに聞こえるけど(マシではない)、森にいる間は常に魔力を使って戦っているのだ。割に合う仕事とはとても思えない。
いくら弱い魔物といっても、集中力を欠いて突進を喰らうと致命傷だし、なんなら掠っただけでもツノの威力は相当なモノだ。
それを七時間なのだから、森を抜けた時にはその時点でヘトヘトだ。
なんなら、魔法を使ったのに逃げられてしまい、完全に無駄撃ちになることもある。そうならないようにさらに魔力を使って集中するのだから、体力の消耗はフルマラソンを毎日走っていると勘違いするくらいキツい。
まあそこらへんの精神疲労に関しては、ここ数年で培われてきた社畜精神でどうにかなる。
一日四時間も眠れるなら充分すぎるし。
もちろん、仕事を早めに切り上げる分、魔法の特訓をすることも忘れない。
特訓を始める時点で仕事を終えているため魔力はほぼ残っていないが、大々的に魔法を実用して鍛えなくても、少しずつ威力の高い魔法を学習していくことはできる。
初級魔法、低級魔法、中級魔法、と段階的にレパートリーを増やしていくことも大切だ。
街の雑貨屋で安いフードを買ったこともあり、最低限自分の耳を隠せるようになったことも大きい。
これのおかげで食べ物屋に立ち寄ることもできるし、直接刺されるような視線を向けられることもない。
楽とは言えないけれど、少なくとも一時期よりも私の生活基準は向上していると言えた。
しかし、全てが順調に思えているときこそ、視界に映らない落とし穴があるものだ。
♦︎♦︎♦︎
八匹目のリッグヘッドボアーを倒してから、残りの二匹を見つけるのには相当苦労した。
しかし、そういう事態も慣れたもので、焦らずに探し続けた結果なんとか目標の個体数を撃破することができた。
「……っノルマ達成。」
目の前で結晶化していく魔物の死体を眺めながら、小さく呟く。
よかった。
今日も10匹の目標を達成することができた。
最後の一匹はやけにしぶとくて、逃げ回るのを必死に追いかけた結果随分と森の奥の方に来てしまった。まあ片道を戻るだけだから迷うことはないだろう。
全身にこめていた集中力をスッと抜くと、一気に強張っていた力が抜けた。
ほとんど作業と化している仕事とはいえ、絶対に集中力を切ってはいけない緊張感はあまり精神衛生上良いものではない。
「……はぁ……はぁ……しんど。」
体力も相当削られた。
八時間も森の中を駆け回っていたのだから当然なのだが、仕事が終わった後に一気に押し寄せる身体の痛みはやはり耐え難いものがある。
「……っ……帰ろう。修行もしないと。」
時計なんて持っていないからあくまで感覚だが、今日は少し時間がかかってしまったような気がする。
ここから森の出口までもかなり遠いこともあって、息を整えて早めに来た道を戻ろうとしたその時だった。
ここから目視できる少し離れた池のところで、水を啜っている一匹のリッグヘッドボアーが見えた。
群れではない。一匹だけだ。
一匹見つけるのに数十分はかかる獲物が、今目の前にいる。しかも単独だしこちらに気がついてもいない。
(せっかくだし、あれも討伐しておこうかな)
そう思って、静かに距離を詰めた。
しかし、私の足はそこで止まった。いや、止まらされた。
一瞬、何が起こったのか自分でも理解できなかった。
気を緩めたせいか?いや違う。
あまりにも唐突に、身体が跳ね上がった。
比喩的なことではなく、実際に、ビクッと。
そして、自分の起こした行動を理解すると同時に、ありえないほどの心臓の高鳴りを感じた。
ビリビリと全身に鳥肌が立ち、尻尾の毛は垂直レベルで逆立っている。
身の危険を感じているのだ。
いますぐこの場から逃げろと、自分の中に潜む本能が悲鳴をあげている。
……なぜ?
だって、目の前にいるのは何匹も討伐してきたただの猪だ。今更怖くて戦えないような相手ではない。
頭ではちゃんとそう思っているのに、どうしてかドクンドクンと高鳴る心臓の音は止まらなかった。
そして、数秒後、私はその正体を知ることになる。
ドンッ………ドンッ……ドンッ…
耳の奥に響き渡るかのように、地面が揺れる音がした。
何かの足音だと、本能的に理解した。
何かが私の方に近づいてきている。
とてつもなく大きい、明確に私を脅かしている正体が。
私は瞬時に可能な限り音を立てずに木の後ろに身体を隠した。
ほとんど無意識だった。
その数秒後、森に生える高々な木々を薙ぎ倒すような音が聞こえて、足音は最大レベルに大きくなった。
同時に心臓も急ピッチで鳴り続けていたが、今の私が感じていたのは、すぐ近くの巨大な生き物の気配だけだった。
その巨大な生き物は、そこで足を止めた。
ひゅー…ひゅー…と特殊な呼吸音を出しながら、その場にとどまる。
突然の恐怖にガクガクと揺れる身体を精一杯動かして、顔だけその巨大な怪物がいるであろう方向へと向けた。
そこには、5メートルはくだらないであろう、二足歩行の化け物がそびえ立っていた。
悪魔のような見た目で、体は細い。でも、その不気味さと威圧感は明らかに上記を逸していて、明確に味方にはなれないことを理解させてくる。
片手には先ほど私が狙っていたリッグヘッドボアーが紙屑のようにくしゃくしゃに丸められて収まっていた。
そして、瞬きする暇もなく、手に丸めた肉塊を口の中に放り込んだ。
リッグヘッドボアーの血がぼたぼたと池に流れ込み、その部分が赤く染まる。
恐怖で動けなかった。
なんだ、あれ。
なんでこんな化け物が、この森にいるんだよ。
頑張って理性的に考えられることはそれだけだった。それ以外は全部恐怖の感情で染まって崩れ去った。
「………ひっ……ふっ…………ふ……」
今すぐに悲鳴をあげたい。
というか、体は実際にそうしようとしていた。
それをなんとか両手で口元を押さえて我慢するのが、今できる唯一のことだ。
しかし、こういうのはお決まりというべきか、それとも運が悪いというべきか。
吐息が溢れる口元に全集中を込めていた私は、足元にあった木の小枝を踏み直してしまったのだ。
パキッ
絶望的すぎる音が自分の足音から聞こえた時、できることは何もない。
物音に気がついたのだろう。
巨大な化け物は私が隠れていた大きな木を一瞬して片手で吹き飛ばした。
ゴッという風を切る音と、その直後の大木が破裂する音を聞いてようやく振り返る。
ちっぽけな人間を眺める、大きな悪魔と対面した。
(あっ、終わった。)
そうとしか思えなかった。
なんなら、完全に諦めがついて逆に冷静になったりもした。
化け物はこちらを興味深くじっと見つめていたが、やがて長い爪をもつ大きな左手を振りかざす。
順調に行っていたと思っていた生活にも、大きすぎる穴があった。
危険な魔物が少ないと言っても、あくまでも『少ない』なのだ。『いない』なんて誰も言っていないし、現にこんなにヤバいやつと対面してしまった。
誰も積極的に猪狩りしないのは、こういうことがあったとき利益と釣り合っていないからなのかもしれないなぁ、なんて今更呑気に考えつつ、ゆっくりと受け入れるように目を閉じた。
だって、絶対勝てないもん。
本能が勝てないって言ってるもん。
少なくとも、本能がこんなに拒否してたら、戦闘もクソもない。
たった一週間だけど、生き物を殺してお金を稼いできたんだ。こういう結末になることだって全く考えてなかったわけじゃない。
短い人生でした。さようなら。
全てを諦めきった私だったが、ここでまたしても予想外が起こることをこの時は知らない。
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