第12話 世界の諸事情
フォーリトーレム人民王国、城塞都市ロゼリカの王城最上階にて───
こんこん、という大きな扉をノックする音を聞いて若き女王アンリザートはそちらに意識を向けた。
「入って。」
抑揚なく入室の許可をすると、声に反応して魔具である扉がゆっくりと開く。
そして、中から自分よりもさらに若いのが一目見るだけでわかる少女が顔を見せた。
「アンリザート様、こちら、本日行われた都市指揮官総統会議の書記文書です。」
「そう。そこに置いておいて。」
「はい。では私はこれで失礼致します。」
女王を前にしてもまったくその平生的な様子を崩さない少女は、書類を丁寧に置いてその場を去ろうとする。
「待ちなさい、ルミレト。」
「はい。」
「あなたの意見を聞きたいわ。各都市の状況をどう見る?」
長い歴史を持つフォーリトーレム人民王国のなかで、史上最年少14歳で地域安全保障大臣に選ばれたルミレト・ローゼリア。魔法、知識、管理能力、その全てで優れた彼女のことを、アンリザートは好んではいなかった。
ルミレトには謎の点が多すぎる。
それでいてあまりにも優秀すぎる。
彼女にその気があれば、女王であるアンリザートの地位すら脅かせるかもしれない。
今は従順である少女がいつ牙を向くかを見抜くことは、同じく天才と崇められた女王にすら難しかった。
しかし、優秀であることには間違いない。
そして、この国が現在彼女を必要とするほどの不況に陥っているというのも。
その力をうまく制御していくことがこの国の復権の第一歩だ。
「そうですね。各都市の経済状況は、国のそれと同じくどこも芳しくありません。最大の金鉱採掘都市であるロックゼトルの金鉱採掘量は過去最低を記録し貿易額も低迷。その他の都市も商品物の物価高騰、北にあるヴァルディーテあたりではヴィッツテリア帝国からの安価な鉱石の流入の影響も大きそうです。」
「……ヴィッツテリア帝国からの輸入には制限をかけているはずだけど。」
「密輸でしょうね。山脈の国境には手があまり回ってませんので、山に住んでいるヴィッツテリア住民からすれば簡単に我が国に出入りできます。なんならあちらの国では公式的に密輸を推奨しているとか。」
忌々しいやつらめ。
国際ルールも守れないなら国交の意味がないだろうに、奴らは警告しても一向に不義理な行動をやめない。
ただでさえフォーリトーレム国が主要としている鉱石生産は衰退しているというのに、隣国からの密輸はあまりにも致命的すぎる。
女王に就任したてのアンリザートの支持率は、昨今の劇的な経済の悪化によって今や不信感で溢れている。
なんとしても国民の信頼を取り戻さなければ、このままなら革命もあり得ることだ。王としての支配にはあまり興味はないが、自分の命がかかっているのなら話は別だ。
この国に起こっている問題は深刻な経済不況だけではない。
現在世界には四つの純人間支配の国があるが、フォーリトーレムを除く全ての国で他種族排除の動きが広がっている。獣人や亜人に権利を認めず、自分たちだけで国を形成しようという風潮が大きいのだ。
そして、我が国もそれに同調するよう周りから圧力をかけられている。
もともと純人間のみの国であった二つに加え、フォーリトーレム国と同じく多種族国家であった隣国までもが、最近になって他種族を排除し始めた。
アンリザートとしては、母である前女王が築き上げた、全ての種族が平和に暮らせるこの国のモットーを無くしたくはなかった。
しかし、現実には非情な考えが広まっている。
「聖剣教め……」
いくら歯噛みしても仕方がないことなのは理解しているが、今の八方塞がりの状況の中では呟きたくもなる。
「聖剣連合ですか。彼らからはまた催促が?」
「ええ。ついこの間も純人間以外は追い出すように勧告がきたわ。」
いわゆる聖剣教、もといそれらの親玉である聖剣連合。
純血主義を掲げて勢いを増している組織だ。
この世界には、聖剣使いと呼ばれる神から与えられた剣を扱える人間が何人かいる。
聖剣に選ばれるのは純人間だけ。そしてその大半は、戦の形勢を覆すほどの力を持っていて、国民から尊敬の的になっている。
それだけならただの英雄だから別にいいんだ。
ただ、彼らの最大の問題は、完全な純血主義を持っていることだ。
純人間以外は認めず、それ以外は自分たちのテリトリーから追い出す、最近になってそんな過激な主張をするものが増えた。
今更になってそんな差別的な考えを持ち始めた理由はわからないが、少なくとも多種族国家であるフォーリトーレム国としてはその考えを簡単に受け入れることはできない。
しかし、国民の声はどうだ?
人間の英雄である聖剣使いたちが、多種族を退けることに積極的になっているこの状況の中で、風潮に流されないでいられるものはそう多くない。
ただでさえヴィッツテリア帝国のような他種族国家の市場での台頭により国が困窮しているのだ。純人間以外を非難する流れはこの国でも増えている。
「ルミレト。各都市は他種族を追い出したりはしていないのよね?」
「はい。アンリザート様の命令ですから、逆らうことなどあり得ません。……ただ、都市長にも、他種族の移民受け入れに対する反対の声が出てきています。特に、直で隣国から貿易利益を奪われているヴァルディーテでは市民がかなり移民反対の声をあげているようです。」
「………………。」
ヴァルディーテは最も山脈の国境と近く、ヴィッツテリア帝国の密輸事業の被害をもっとも受けている場所だ。非難の声が多いのも仕方がないか。
「……ヴァルディーテでの異種族移民受け入れを一旦停止するわ。あくまで密輸問題が落ち着くまでの間ね。それと、山脈の警備も厚くするし、ヴィッツテリア帝国にもより強く警告を出すつもり。ルミレト、反対意見はある?」
「……いえ、仰せのままに。それで少しは聖剣連合の声も小さくなるでしょう。ヴァルディーテに現在時点で滞在している他種族の住民についていかがしますか。」
「すぐに追い出したりはしないわ。……でも、間接的には街から離れてもらうことにはなるかもね。」
自分で提言しておいて何だが、アンリザートからすれば取りたくなかった選択肢だ。即位して早々に母からの教えを破ってしまうとは。
しかし我が国は例の聖剣連合のせいで人間の国からは孤立しているし、隣接している他種族国家とも親愛な関係とは言い難い。
ある程度、害を退けて世論に身を寄せないともはや国が持たないのだ。
「それと、もう一つご報告があります。」
「ん、なに?」
「亜人の国ラグディルク、獣人の国セラム、同じく獣人の国レグリスは近日中に正式に聖剣連合に対する反対声明を発表するそうです。」
「………そう。いよいよね。」
国の情勢が安定していないのは、なにも我が国フォーリトーレムだけの話ではない。
聖剣連合の台頭により、純人間とそれ以外の種族との対立は悪化の一途を辿っている。
ヴィッツテリア帝国やフォーリトーレム国のような多種族国家はまだマシなのだが、純亜人の国、純獣人の国は、明確に聖剣連合と対立する意を示しているのが現状だ。
これらの国では、聖剣抵抗軍と呼ばれる市民団体が発足していて、それが民意となりつつあると聞く。
純人間主義を掲げる聖剣連合と、それに反対して純人間を嫌悪し出す者、世の中は混沌とし始めており平和の二文字で示すことはまず不可能だろう。
今ルミレトが口にした国のうち、獣人の国レグリスはこの世界に存在する国の中でも最大級の国家規模を持つ。
もしもレグリスと聖剣連合の間で、何かしらのきっかけで戦闘が起これば……考えたくもないことだが、絶対にあり得ないとは言えない。
最近は異霓界から流れ出てくる黒魔力も減ってきて、ようやく共通の問題も落ち着いてきたというのに、今度は一度成された平和を壊すとは。
国内の話なら、ロックゼトルの生産鉱石が絶えつつあるのも気になる。調査隊をより多く動員なさなければ、余計にヴィッツテリア帝国との小競り合いが加速するだけだ。
あくまで噂だが、ロックゼトルの金脈を潰したのはヴィッツテリア帝国という話もある。もしもそれが本当なら、彼の国との決定的な断絶になるだろう。
いやでも聖剣連合との対立もあるし……考えることが多すぎる!
「ルミレト。私は、遠回しにでも聖剣連合の考えには反対意見を示すつもりよ。どう思う?」
「……いえ、私からは何も。ただ、いざ争いが起こった時、我々が聖剣連合と敵対するなら国民からの非難は避けられないでしょうね。」
「分かってるわ。そうなったらさすがに立場を選ぶわよ。」
女王として、早くも国の運命を導く決定機がきてしまいそうだ。
なんとか裏から手を回せれば良いが、一人では無理だ。
「協力してくれる?ルミレト。」
疑惑の余地が大きい彼女だが、そんなことを考えている暇などもうとっくにない。
猫の手だって借りたいんだから、怪物の手などもってのほか。
「もちろん。聖剣連合やヴィッツテリア帝国などアンリザート様の敵ではございません。もしものことがあれば、その場で聖剣使いでも将軍でも皆殺しにすれば良いのですから。」
今日初めて見せたルミレトのわずかな笑みは、恐ろしいほどに猛々しいものに見えた。
たぶん自分の見間違いだろう、とアンリザートは目を擦って、再度机の書類に視線を集めた。
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