第8話 何気ない日常[3]

 昼食後、カイレンらはショッピングに行くと言って早々に出かけていった。拠点内でもずっと制服を着ていたのはその準備のためだった。広々とした拠点内に残ったタブラは久々の休暇と満腹感から長い昼寝を始め、エディゼートは黙々と絵を描き続けていた。


 気づけばすっかり日は傾き始め、空の際が橙色に色付く頃。帰ってきたカイレン達は日用雑貨や食品などを大量に買い込み、それに合わせてタブラは最新の願力駆動式給湯器に自身の願力を注ぎ込んで空になっていた浴槽をお湯で満たした。


 ――そしてついにその時は来た。昼前より決定した、工房全員での入浴だ。

 露天風呂は脱衣所に併設するシャワー室のさらに奥にあった。その脱衣所の外で、タブラは一人悶々とした表情で下を向き立ち尽くしている。


「......うぅ」


「どうしたの?タブラ」


 仲睦まじく脱衣をする女性陣の傍ら、脱衣所内のエディゼートは縛っていた後ろ髪をほどいてタブラに声を掛けた。


「いや、その、お前以外と入るのは想定してなくて。......何と言うか、ここに俺がいていいのかって......」


「大丈夫ですよ、おにーちゃん。ほらっ」


「うわっ!?......って、あれ」


 ラーサに手を引かれるもタブラは目を背けてしまう。だが、恐る恐る瞼を開いてみると、ラーサたちは体を覆うようにバスタオルを巻いていた。長髪のエイミィとラーサは髪が湯船に浸からないようにタオルでまとめ上げている。


「これだったら問題ないですよねっ。さぁさぁ、おにーちゃんも早く着替えましょう」


「ちょっ、俺は一人で着替えられるって!うわっ、力つよっ!?」


 タブラは逃げようとするも、気づけばラーサに長い尾を巻き付けられて強固に拘束されていた。


「ふふん。この中じゃ私が一番力持ちですから、抵抗しても無駄ですよ?」


「ひいぃっ!」


 ラーサにてきぱきと手際よく着衣を引ん剥かれるタブラは、抵抗することもできずに声を上げることしかできない。

 あっという間にタオルが巻かれ入浴の準備が整えられると、タブラはラーサに背中を押されて扉の奥へと早々に消えていった。丁度その時、腰にタオルを巻いたエディゼートは後ろからの視線に言及をする。


「......あの、カイレンとエイミィ。先に行っててもいいんだよ?」


 するとカイレンは首を横に大きく振って、


「ううん。見てるだけだからお構いなく。へへ、相変わらず背中が大きいね、エディは」


 細身ではあるものの、エディゼートの身体は日々の鍛錬によって引き締まっていた。


「一応、鍛えてるからね」


「さすが私のエディ。あぁ、思わず抱きしめたくなる魅惑のボディ......」


「もう抱きしめてるけど......」


 手拭いを手に取りいざ風呂へ行こうとした瞬間、背後よりカイレンに拘束されるように抱きしめられエディゼートは身動きがとれなくなる。すると何故か同じく待っていたエイミィが、


「エディ、ちょっと背中触るよ」


 そう言って、エディゼートの背中に手を当て集中するように目を閉じた。上から下へ、脊椎をなぞるように触れられエディゼートはくすぐったさに震えながらも声を殺して耐えた。


「どう?エイミィ」


 エイミィがエディゼートの身体検査をしていることに気付いたカイレンは手を離してそう尋ねる。


「うん、特に異常はない感じだね。後でタブラの検査もしないと」


「ふふっ、さすが私のエイミィ。救護の女神と呼ばれるだけあって、身体検査はお手の物」


「あはは、その呼び方は少し恥ずかしいよ」


 そう言いながら翼と尾が揺れる。エディゼートからしてみれば、今日だけで二度も身体検査を受けることとなっていた。他人の健康状態が気になって気になって仕方がないのは、吸血族の女性に世話焼きが多いため。そういう種族なのだ。


「エディ、目の方は大丈夫そう?」


「大丈夫だよエイミィ。いつも通り、二人の光が綺麗で眩しくて色が良く見えないけど」


 まるで調子の良さげなことを言うが、エディゼートにとってはありのままのことを伝えただけだった。

 正確に言うと、エディゼートは色が認識できない訳ではない。ただ、色を認識するよりも願力を認識する特殊な神経の方が過剰に反応してしまうのだ。それでも明暗は判別することができるため、日常生活においては特に致命的な支障となることはなかった。


「もう、私たちが綺麗で眩しいだなんて、エディったら女誑し」


 そう言ってカイレンはエディゼートの背中を軽く叩いた。


「ありのままを言っただけだよ。さて、ぼちぼち行こうか。体が冷えちゃう」


「そうだね。タブラ達が待ってる」


 こうしてカイレンの言葉を最後に、手拭いを握りしめて三人は揃って湯船がある方へと歩みを進めていった。


――――――


「ふあぁ~」


「......極楽」


 湯船に浸かるカイレンの言葉に呼応するように、目元に手拭いをのせたエディゼートも表情を緩ませる。

 眼前に広がるのは、港町シェフターレが誇る恵みの大海。水面は後方より差す夕日を淡く照らし返し、いち早く夜を迎える準備を整える遠方は空と海の境界が曖昧になっている。彼らにとっては見慣れた風景だが、その様はまさに絶景であることに違いはない。

 右手より、ラーサ、タブラ、エディゼート、カイレン、エイミィの順で肩を並べている。


「案外、入ってしまえばどうってことないもんだな」


 頭に手拭いをのせたタブラはぼんやりと景色を眺めながらそう呟いた。背丈が小さいからか、あと少しで水面に口先が浸かりそうだ。


「そうなんです、むしろ距離が縮まった気がしませんか?裸の付き合いというやつです」


「距離は......、確かにラーサとはかなり近いが」


 ここぞとばかりにラーサは所有する属性を強化しようと試みていると思いきや、


「ふふっ、これでおにーちゃんと仲良くお風呂に入れる妹属性の獲得です!」


「あ、新たな属性がまた増えた......」


 自称属性コレクター・ラーサは嬉々としてタブラに頬を擦り寄せ、終いにタブラは隣のエディゼートの元まで追いやられることとなった。だが、窮屈な思いをしているのは何もタブラだけではない。エディゼートも両隣から圧力がかかり窮屈そうに身をすぼめている。


「カイレン、別にラーサ達に対抗しようとしなくてもいいんだよ?こんなに湯船は広いのに、窮屈でしょ」


「いい?エディ。人に囲まれて窮屈なのはいいことなんだよ。だからほら」


 するとカイレンはエディゼートの正面に座って背を預けた。何か言いたげな顔をするも、カイレンがこうなった以上どうすることもできないことを知っていたエディゼートは、諦めて黙り込んで空を仰いだ。


「こうすれば隣にエイミィが来れるでしょ?さぁさぁ、エイミィもこっち来て」


「あっ、うん。えーとそれそれじゃあ、失礼します。えへへ」


 控え目な態度でありつつも、エイミィはエディゼートに過度に密着しない程度まで近づいた。エディゼートは隣のエイミィの翼と尾が落ち着きなく動いていることに気付いていたが、これまた何も言わずに極楽を享受した。

 白影工房全員が余裕を持って浸かれるようにと設計されたはずの湯船は、その意図を一切汲み取らない利用者によって過密状態となった。大きな敷地に構える拠点で人口密度が局所的に過密になるのは、彼らにとっては日常的なものだ。それだけ、互いに互いを信頼できる何かをそれぞれが持ち合わせているのだろう。


 ――他愛もない話が続き、ある程度湯船に浸かって体が温まってきたところで、女性陣は体を洗いに湯船から出て行った。今はタブラとエディゼートが空いたスペースを広々と使って足と腕を広げている。


「なぁエディ」


「どうしたの?」


「俺がいない間に他の皆とこっそり入りやがって。いくら仲が良いからといって、お前には恥ずかしいという気持ちがないのか?」


 事実を述べると、確かに肉体的に男なのはエディゼートだけだ。そしてトーステル王国には混浴の文化はおろか湯船に浸かる文化もない。当然、湯に浸かるのはタブラの故郷である南方ミクニ帝国の文化だが、混浴は一般的ではなかった。


「うーん、恥ずかしいって気持ちだったら昔はあったよ。でも、タブラのせいでなくなったというか、そういう感情を殺さなくちゃってなったというか......」


「ん?どういうことだ?何で俺のせいで羞恥心が消えることになったんだ?」


 タブラにとっては何気ない質問だった。――だが、その後タブラは衝撃的な事実を伝えられることとなる。


「だってほら、昔のタブラって人の姿の時でも僕と一緒に水浴びをしたり一緒の布団で寝てたりしたでしょ?こう言うのはあれだけど、そのせいで当時の僕の心は滅茶苦茶に搔き乱されてたんだ。――見た目は女の子でもタブラは男の子だ、タブラは男の子だって。師匠が言ってたんだ、仲間に手を出すとろくなことにならないから絶対に慎めって」


 最初は平生を保っていたタブラの表情も、エディゼートの発言の内容を噛み砕く度に次第に青ざめ引き攣るように変貌していく。


「えっ、まさか......、まさかその影響でエディは......!?」


「うん。僕がタブラに変態って言われるのは、――タブラのせいでもあるんだよ」


 首を傾けるエディゼートの浮かべる不気味な笑みを前に、血の気が引き小刻みに震えるタブラは口をパクパクとさせた。

 頭を抱え、現実から目を背けるようにエディゼートの視線から逃れると、


「......あっ、あぁ、ああああああああぁ」


「えーと、大丈夫?タブラ。何で僕から離れてくの?」


 嗚咽と共にタブラは湯船を這いずりエディゼートから距離をとった。そして端まで辿り着くとようやくエディゼートの方を見て、


「い、嫌だ。俺が、この俺が、この変態の生みの親だっただなんて......」


「えーと、確かにタブラが原因の一つでもあるけど、一番大きな原因は僕の師匠だから大丈夫だよ?あんまりフォローになってないかもだけど......」


「......いや、悪いのは全部俺だ、俺なんだ。俺が無頓着だったあまりにエディをド変態にしてしまったんだ。あぁ、すまないエディ。散々お前のことを変態野郎と罵って。俺は最低だ、そのことに今まで気づかなかっただなんて。何が誇り高き白龍だ、仲間の心を搔き乱してしまう邪龍じゃないか......。最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ......」


「......どうしよう、タブラが今まで見たことないくらい卑屈になっちゃった」


 再び視線を逸らされてしまったエディゼートは途方に暮れていると、体を洗い終えたカイレン達がタイミングを見計らったようにやってきた。


 事情を知らないカイレンは離れた二人の距離を見ていたずら気な表情を浮かべて、


「あれ、エディ。もしかしてタブラにいたずらしちゃった?」


「さすがの僕でもそんなことはしないよ。でも、それ以上に面倒なことに......」


 カイレン達が湯船に浸かると、エディゼートは事のあらましを全員に説明した。自身に混浴に対する羞恥心がない理由、そしてタブラが卑屈になってしまった理由を。

 ――全てを話し終えると、最初に聞こえてきたのはラーサの笑い声だった。


「ふっ、ふふふ。おにーちゃん、そんなことで卑屈になってたのですか?」


「......うるせぇ。なんか、申し訳ねぇって気持ちになったんだよ」


「でも、どうして申し訳ないって思うのですか?ほら、顔を上げてエディの顔を見てください」


 ラーサに促されタブラは渋々顔を上げると、そこには普段と変わりない、無愛想にも思えるエディゼートの顔があった。


「何も考えてなさそうでしょう?」


「何も考えてない訳じゃないんだけど。でも、別にタブラのことを悪い奴だなんて思ってないよ、これだけは確か」


 エディゼートはラーサに対して一言訂正すると、腕を組んで優しい口調でタブラに言い聞かせた。


「ほら、本人もそう言ってます。そうなれば、あとはおにーちゃんが勝手に一人で立ち直るだけですよ。それとも、あたしの慰めが必要ですか?」


 まるで挑発するような声音でラーサはタブラに語り掛ける。その様子を前にして、タブラはラーサが自身に何と言いたいのか、その内容をある程度推測することができた。――そんなくだらないことで卑屈になるな、と。

 そうわかったのならば、誇り高き白龍はいつまでもしょげていられない。


「......はぁ、慰めはいらねぇよ。これは勝手に俺が卑屈になってるだけだ、ラーサには関係ない」


「そうですか」


「あぁ、それに、この”変態野郎”が今更そんなことで俺を悪者にするってこともないのはわかってるさ。あーあ、ちょっとエディにかまってやろうって思っただけなのに。――フッ、ここにいる皆、俺の演技の前に騙されたってことなのさ!ハーッハッハッハッ!」


 先ほどの卑屈さはどこへやら。爽快な笑い声を響かせタブラは完全復活を遂げてみせた。

 さすが、実妹とだけあってラーサはタブラの扱い方に長けていた。それも当然、属性コレクター・ラーサには、思い悩む兄を慰められる妹属性があるのだから。


「よかった、タブラがチョロくて」


「あん?なんか言ったかエディ?」


「いいや、何も。ただ、タブラからしてみれば僕はこれからも変態だろうから、いつでも罵ってくれて構わないよ」


「......その言い方だとなんか俺がエディの新たな扉をこじ開けそうな感じで嫌だな。ま、エディは誰が何と言おうと変態ということで、くらえっ!」


 するとタブラは握りしめた両手の隙間からエディゼートに向けて水を噴射した。狙いは違わずエディゼートの顔面に水が直撃すると、


「うわっ」


「へへっ!間抜け面を晒してやんの!男ならやり返してこいや!......って、あれ?」


 すると状況は一転、タブラは突然得体の知れない心の騒めきを感じた。それは命を狩り取られる恐怖にも近いもので、目の前にある感情の原因から動くことさえできなかった。


「はぁ。......タブラ、忘れたの?――本気になった僕の恐ろしさを。僕が『破壊の創造者』と呼ばれている理由を」


 立ち上がると、珍しくエディゼートは不敵な笑みを浮かべてタブラを睨む。するとエディゼートの手から顕願ヴァラディアによってタブラが龍の姿の時に装備していた兵器を生成した。

 すると一瞬にしてタブラの表情は青ざめ、


「ちょっ、ちょっと待ってくれ!こんな遊びにそこまでガチになるなって!」


「いや、宣戦布告を受けたからには徹底的に戦う。僕は白影小隊の隊長だから、この中で一番強くなくちゃいけない」


「そ、そのスタンスをこの場にまでもってくるなーっ!っておいっ、やめろ!やめてくれ!絶対痛そうな音がしてるそれ!絶対やばいって!ごめんなさい!今まで変態って罵ってごめんなさいって!だから許してーーーーーーっ!」


 照準をタブラに合わせ射撃体勢をとると、銃身から水面へと繋がる管から徐々に水が吸い上げられた。そして四つ又の先端部に水の渦が形成されそして――、


「散れ!」


「ひいいいいいいいいいいいぃぃぃぃっ!!!――――――――――――......って、あれ?うわっ!?」


 予測していた高水圧による痛みが到来することなく、自身がエディゼートに対して行った水鉄砲が顔面へと直撃した。タブラは何ともおかしな間抜け面を晒しながら状況を理解していない様子で、


「う、撃たなかったのか?」


「へへっ、タブラは僕の演技の前に騙されたんだよ。僕があんなことするわけないじゃん」


「えっ、俺は騙されたのか?」


 するとエディゼートは顕願ヴァラディアを解除し、黒色の具象化した願力は水と共に落ちて跡形もなく消えていった。

 その様子を傍らで見ていたラーサ達から笑い声が聞こえる。


「ふっ、ふふっ、おにーちゃん、いくらなんでも驚き過ぎですよ。小さい頃エディにコテンパンにやられたのがそんなにトラウマなんですか?」


「ち、ちげーし!クソッ、さては兄に対して生意気な妹属性を発動してやがるな!おりゃ!」


 そう言ってタブラは水面を薙ぎ払ってラーサ目がけて水を飛ばした。だが、乱雑に放ったその一撃は隣にいるカイレンとエイミィにもかかることとなった。このことが火種となって、水合戦の新たな参戦者が現れる。


「うわっ。......こ~の~、お返しだ!」


「ちょっ、ごめんってカイレン!ラーサも、上から水をぶつけてくるのはずるいぞ!」


「フハハ!今のあたしは複合属性の恐ろしい妹ですよ!さぁ、覚悟!」


「うん、皆元気だ。健康が一番」


「あはは......、そうだね」


 醜い争いを続けるタブラ達の傍ら、水が飛び交う荒れきった湯船であってもエディゼートとエイミィは微笑ましい眼差しでその様子を見ていた。


 ――結局、水合戦は湯船の水位があからさまに減少するまで続き、終わる頃には完全に日が落ちきっていた。

 久々に全員が集合することになった白影工房の拠点は、いつも以上に騒がしいものであった。 その日は明日から始まる白影工房の世界進出に向けた計画のため、全員早めに就寝した。ついに機能調整が完了した願力駆動式拡張型戦闘機の、性能試験だ。

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