第7話 何気ない日常[2]

 着替えを終えると、エディゼートらは早速海沿いの景色が見える居間へと向かっていった。


 この拠点は、タブラとラーサの故郷であるミクニ帝国の建築様式を取り入れただけでなく、所々にメンバーの要望が取り入れられた造りになっている。庭園があるのは、エディゼートのためだ。

 今、エディゼートの手にはスケッチブックと鉛筆が握られている。くつろぎながら絵を描くことはエディゼートの趣味の一つだであった。


 潮の香りが微かに鼻をくすぐり、引き戸が開け放たれ畳が敷き詰められた居間に到着すると、そこには既にくつろぎの模範となっている女性陣らがいた。


「おぉ、白と黒の大きなビーズクッションがいっぱい」


 正面に広がる大海原を前に、体をクッションの中央に埋める形で座っているカイレンらは談笑をしていた。すると二人が来たことに気付いたラーサが振り返り、


「あ、来ましたね」


「あぁ。それにしても、どうしてこんなにたくさんのクッションが?」


 タブラの疑問に対して続けてラーサが答える。


「これらはあたしが所属している技術科の人たちが開発したもので、おにーちゃんが帰省しているときに依頼が来たんです、私たちに宣伝広告用のモデルになってほしいって」


 ラーサの隣のカイレンが得意げな表情で頷いていた。


「へぇ、そんな依頼も引き受けるんだ。まぁ、暇なときは何でも屋みたいな感じだしな」


「はい。そしたら何と広告効果が想像以上に大きかったらしくて、その謝礼として人数分のクッションをくれたのです。キャッチコピーは、――龍すらもダメにさせてしまうくつろぎを、だそうです。おや、さっそくエディがダメになりましたね」


「......ふぅ、僕はダメ人間」


 ラーサが説明している間に、既にエディゼートは用意された白いクッションへと飛び込んでいた。腰を掛けるとまるで呑み込まれるように体が沈み込み、エディゼートの緩んだ表情を見れば気に入ったかどうかは一目瞭然だ。


「ははっ、龍すらもダメにか。それにしても、モデルを依頼されるとは。さすがグラシアの各学科のモテ女が集まっただけはあるな」


「「えへへへへ~」」


 カイレンとラーサは調子よさげな声にして、エイミィは気恥ずかしそうに微笑んでいる。タブラに用意されたのは黒いクッションで、メンバーそれぞれの白黒のイメージカラーと逆になるようになっていた。ちょこんと腰を掛けると、大柄のエディゼートと比較してその様はまるでケーキの上に添えられた小さな果実のようだ。


 ――白影一同揃って横に並び、眼前に広がる日の光を散らした海辺を無心で眺める。

 誰一人として言葉を発さない静かな時間が少しの間流れ、


「ふふっ、何だかこうしてみんなでゆっくりするのも久しぶりだね」


 カイレンは縁側の方へと足と腕をピンと伸ばして伸びをした。


「そうだね。でも、明日からまた忙しくなりそう。お兄ちゃんが研究室で新型の願魔獣の情報をまとめてるから、明日工房の人たちと一緒に聞かなくちゃ」


「あぁ、エイミィお兄ちゃんの難しい話を聞かないといけないのかぁ~」


 難儀な顔をするカイレンの全身から力が抜けて項垂れる。


「ふふっ、なるべく簡潔にまとめてっておねだりしておいたから大丈夫だよ」


 エイミィは昼食の仕込みを終えたのか、先ほどまで付けていたエプロンを外していた。


「あー、早くおにーちゃんの強化パーツをいじりたいです。それと試作機の飛行試験も」


 そう言ってラーサはクッションの隙間から延びる自身の尾を抱きかかえていた。

 技術科に所属するラーサは白影工房のメカニック担当だ。先日のタブラの武装もラーサが考案し開発したものであった。


「そういやあの装備、火力の割に願魔獣の素材を流用しているだけあって意外と軽かったな。その代わり、馬鹿みたいに疲れるけど」


「あれはおにーちゃん用の特製仕様なので、一般的なものの倍近い願力が必要なんですよ」


「えっ、そうだったのか。まぁ正直、低級願魔獣に対しては威力が過剰だったしな」


 先日の性能試験を兼ねた戦闘では、単位体積当たりの願力圧縮率が非常に高い青願の願魔獣を容易く射抜いたので、その威力の高さは言うまでもない。タブラ自身が青願であるためなおさらだ。


「ところで、エディは何を描いているんだ?」


 タブラの隣に座るエディゼートは、黙々とスケッチブックに何かを描きつけていた。その手には迷いがなく、線を重ねるようにして大まかな輪郭を形成していく。


「ちょっとした小遣い稼ぎ。ファンのために武装したタブラを描いてる」


 頭頂部から後頭部へと湾曲する双角、突起の少ないなだらかな鱗の上から纏う魔願変換の補助機能を搭載した装甲、皮膜に傷一つない雄大に広げられた両翼、照準器を覗く鋭く見開かれた切れ長の目、そして四つ又の拡張パーツが取り付けられた特徴的な兵器の銃身。まだ細部は描き込まれていないが、それは射撃体勢をとるタブラの上半身の姿だった。


「なんだ、いつもみたいないやらしい絵を描いてるわけじゃないのか」


「それは芸術に対して失礼だよ。......でも、ちょっぴり過激な方が高く売れる」


「ちょっぴり過激な絵のせいで、俺がシスコンだという変な噂が立っているんだが?前に描いた、湯船で俺がラーサに寄りかかっている絵だよ。ったく、仲間をモデルにあんな絵を描けるだなんて、とんだ変態の所業だ」


「作品を見た人によって捉え方はそれぞれだし、丁度いい題材かなと思って......。ごめん、ごめんて」


 タブラに至近距離から直視を受けて苦し紛れに言い訳をするも、逃れられないと悟りエディゼートは諦めて謝罪をした。


「あたしはあの絵、とっても気に入っているので部屋に複製品を飾ってますよ」


 ラーサから衝撃の事実が伝えられる。だがそれはエディゼートにとって都合の悪いことだったようで、「あ、まずい」と言って気まずそうな表情を見せた。隣の事情を知らないタブラは目を見開いて、


「えっ、あれって複製品が出回ってるのか!?」


「はい。芸術科と技術科が共同で開発した写真機の現像試験が成功したとのことで、たくさん複製してもらいました。多分、白影工房のファンの人なら持っている人は多いと思います」


 尾を振る笑顔のラーサとは裏腹に、タブラは唖然としてエディゼートの方を見た。その表情は次第に乾ききった不気味な笑みへと変化し、エディゼートはスケッチブックで顔を覆って現実から逃避しようと試みた。が、


「おのれエディーッ!」


「うっ!?あぁっ、あはっ、く、くすぐったいよタブラ!僕はただ、描いただけでっ、それ以上のことはっ、ひひぃっ」


「お前が元凶である以上許さーんっ!」


 タブラに背後から脇腹をくすぐられたことにより、防御態勢は完全に解除されてしまう。身悶えるエディゼートと襲い掛かるタブラの様子を見ていたカイレンはクッションを持ち立ち上がると、


「もうっ、タブラばっかりエディとイチャイチャしてずるい!私もっ」


「うわっ!?」


 カイレンは抱えたクッションを振りかざしてタブラを吹き飛ばす。そしてタブラとエディゼートのクッションの隙間に自身のクッションを置いた。

 くすぐられ息を荒くしたエディゼートは天井を仰ぎ見て、


「はぁ、はぁ、助かった。あぁ、でもすごい窮屈......」


「窮屈で幸せだね、へへ」


 エディゼートからこぼれた言葉など意に介すこともなく、カイレンはエディゼート側に体勢を傾け、そして後方に倒れたタブラに対して挑発的な表情を見せつけ勝ち誇った。だが当のタブラはエディゼートが強奪されたことなど心底どうでもよく、ただエディゼートにじっと視線を送り続けながら自身のクッションへと戻っていった。

 そんな人口密度が一気に上昇した右側の様子を見ていたラーサが、


「あっ、これってエディの都合のいい女属性と従順なペット属性を強化するチャンスなのでは!?」


 そう呟きながらクッションを抱えて立ち上がると、空いていたエディゼートの右側へと位置を移動した。そして自身の長く細い尾をエディゼートの肘掛けになるように差し出した。


「さぁさぁエディ、こっちはひんやりすべすべですよ」


 するとエディゼートはラーサの尾に肘を掛けながら、一度描くのを止めてそっと撫でた。


「うん、左側が暑いから丁度いい。さすが僕の都合のいい女を自称するだけあるね」


「はいっ。これからもファン第一号として、精進して参ります。――おぉ、相変わらず絵が上手ですね。パーツの細部まで再現されてる」


 ラーサがぐいと覗き込む。さらに窮屈になるも、エディゼートの意識は既にスケッチブックの中へと向かっており気にする素振りはなかった。

 だが、その様子をこれまた何とも言えない表情で見つめるのはタブラだ。


「あぁ、もうこの工房もおしまいだ......。まともなのはもうエイミィしか残ってない......」


 頭を抱えるタブラにエイミィから苦笑いが聞こえる。


「あはは......。でも思い返せば、交流会で知り合った時はみんなエディと喧嘩ばかりしてたよね。結局、エディに誰一人として勝てなくて軍門に下って、でもエディは威張らず優しくて。だからみんな、エディのことが大好きなんだと思う」


「まぁ......それはそうなんだけどよぉ。はぁ、変態野郎のくせして無駄にデカいし、無駄に頭がいいし、無駄に多彩で、無駄に強い。総合的に見るとすげー奴なのがムカつく。あと、妙に気遣いができるところもムカつく」


「ふふっ、昔のタブラはエディにべったりだったのにね。一緒に遊びに出かけたり、水浴びをしたり、同じ布団で寝たり」


「そっ、それはまだ小さかったからだ。今じゃあり得ない......と思ったけど、そうだ。エイミィ、今の露天風呂って清掃しないと入れない状態だよな?」


 エイミィはタブラの質問の意図が汲み取れない様子で首を傾げた。


「ん?水は抜いてるけどお湯を張るればすぐに入れるよ。実はここの露天風呂を利用したいって人がたくさんいてね。ほら、景色もいいし結構立派なものを作ったでしょ?だから予約制の貸し切り風呂として商売を始めたんだ」


「へぇ、俺がいない間にそんなことが」


「うん。定期的に整備と清掃をしてるし、今日は貸出しない日だから問題ないよ。でもどうして急にそのことを?」


 するとエイミィの問いかけに対してタブラはわざと声を大にして、


「――どうやら、エディは俺と一緒に風呂に入りたいんだとよー。なっ?エディ」


 タブラのその言葉に真っ先に反応したのはエディゼートではなかった。女性陣一同が面を喰らったようにタブラの方を見ると、すぐさま視線をエディゼートの方へと向けた。


「え、なんか言ったの?」


 一方でエディゼートは絵を描くことに完全に集中してタブラの言葉が聞こえていなかったらしく、突如として自身に集まってきた視線に戸惑いを覚えていた。


「あぁ、エディが俺と一緒に風呂に入りたいんだとよって言った」


 不本意な噂を流された報復とばかりにタブラはエディゼートを追い詰めるつもりで言うも、当人は一切取り乱す様子もなくなかった。どこか余裕すらもあるその様にタブラは違和感を覚えつつ、


「な、なんで余裕そうに構えてるんだよ?ほら、仮にも人である俺の体は女そのものなんだぞ?もっとこう、恥ずかしがるとかないのか?」


「ん?まぁ、タブラがいないときだけだけど、一緒にお風呂に入るくらいここのみんなとしてるし、別に今更恥ずかしがるってことも......」


「......えっ?」


 タブラから何とも間抜けな声が漏れた。

 思わぬ事実を突きつけられ、タブラの体は痙攣したように小刻みに震えだし、少しばかり顔が赤らむ。何とかして意識を平生に保とうと試みながら、


「カ、カイレン、そうなのか?」


「うん。当たり前でしょ?私の、いや、私たちのエディなんだから!」


 果たしてそれが理由になっているのかはさておき、まるで至極当然であるかのようにカイレンはそう言ってみせた。だがカイレンの証言に含まれた――私たち、という言葉からタブラは事実確認を次の者へ。


「ラーサ、お前も一緒に入ったのか?」


「はい、別に変なことはしてませんしされてませんよ。普通にみんなでお風呂に浸かっただけです」


 ラーサの言葉に嘘偽りはないと、兄であるタブラは長年の付き合いから判断することができた。だが、そう判断できるからこそ、受け入れがたい現実を突きつけられることとなっていた。ラーサの証言に含まれた――みんなで、という言葉からタブラは事実確認を最後の者へ。


「ま、まままままさか、エイミィまでも......!?」


「えっとー、あーそのー、うん。入った......よ?あはは......」


「――――――――――――――――――――――......」


 長い絶句の末、タブラの表情からは生気が消え失せた。


「へっ、へへ。へへへへへ」


 壊れた様子で、乾いた微笑を浮かべてビーズクッションの沼へと倒れて顔を沈めた。

 そして一言、


「――俺は、無力だ」


 タブラの小さな背中からそこはかとなく漂う哀愁を前に、一同はどうすればいいかわからず互いに顔を見合わせた。 だが、兄を思う妹が真っ先に声を掛ける。


「......おにーちゃん、今日はみんなで一緒にお風呂に入りましょうね」


「......」


 タブラから返事はなかったが、埋まった顔が頷くように少し動いたので反応はあった。

 思わぬカウンターパンチを喰らって意気消沈する兄のもとへと移動したラーサは、優しくその頭を撫でる。その様子を見ていたカイレンとエイミィは苦笑いをしていたが、一方でエディゼートは気に留める様子もなく再び鉛筆を握って紙へと向かっていた。


 ――こうして、本日の入浴は白影工房総員で行う運びとなった。結局、タブラの精神が回復したのは昼食の時だった。

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