第6話 何気ない日常[1]
構えの姿勢をとっていたエディゼートとタブラは、少女らの勢いを殺すように抱きしめてみせ、それに合わせるように、少女らもそれぞれの純白の翼を広げて抱擁を交わす。
それぞれ異なる、春先にしては少し涼し気なデザインの制服を着た少女ら。
上がり
「えへへ、相変わらず大きいね、エディは」
両者のいる位置に若干の高低差があれどエディゼートの目線の方がまだ高い。するとそのまま少女は顔をエディゼートの胸元に埋めて大きく息を吸い込んだ。
エディゼートは嫌な顔も抵抗することもなく、そのまま少女が自身を堪能しきるまで吸われ続けた。いや、
一方でタブラはというと、自身より一回り大きな少女の胸下に顔を埋めるように抱かれながら何とも言い難い絶妙な表情をしていた。嫌そうではあるが、それは決して本心ではないことは確かだ。
「......なぁ、ラーサ。別にエディたちに対抗しようとしなくてもいいんだぞ?」
何とか顔を横に出してタブラはそう伝えるも、一向に少女――ラーサは放す気配がない。
「ダメです。こうしないとあたしのおにーちゃん大好き属性が薄れてしまいますので」
「別にそんなことはないのに......」
まるで小動物のようにつぶらな瞳、そして長いまつ毛。ラーサは透き通った癖のない白髪を黒紐によって後頭部で一つに結び、編み込んだ髪先は臀部の上より生える純白の龍尾まで伸ばしている。大まかな身体的特徴はタブラと血が繋がっているため類似点が多くある。ただタブラと決定的に違うのは、タブラの見た目は完全な人間であるのに対し、ラーサは尾と翼、そして特徴的な長く内側に折りたたまれた耳と頭側部から角が生えていること。
事情を知らない人が一見すると彼らは兄妹ではなく姉妹に、そして身長と体格的に姉と妹の立場が逆転しそうだ。だがラーサはそこまで身長が高いというわけではなく、むしろタブラが小柄である。
――そんな仲睦まじい兄妹の様子を見て対抗心を燃やすのは隣の少女も同じ。空色の瞳でエディゼートを捉えながら、
「ねぇ、エディ。ご飯にする?お風呂にする?それとも、わ、た、し?」
自身の胸元から上目遣いをする少女に対してエディゼートは目を合わせる。
「ご飯はさっき食べたし、風呂はまだいいし、カイレンはここにいるから着替えたいかな」
エディゼートはそっけない返しをするも、少女――カイレンは諦めない。
「じゃあ脱衣所に行こう。さぁさぁ」
カイレンに解放されたかと思いきや、今度は脱衣所の方へと催促される。ぐいと背中をカイレンに押されながら黒のレースアップブーツを脱ぎ廊下へ上がると、
「自分で着替えるから大丈夫だよ。それに、僕の制服が目当てなだけでしょ?この前制服を着た時にカイレンの甘い匂いがしたんだけど」
言及と同時にその場で立ち止まった。
「あ、わかっちゃった?この前エディが工房で寝泊まりして一人で寝なくちゃいけなかったときに着てたんだ。へへ、あの日はぐっすりだったなぁ」
その発言にタブラは正気を疑うような眼差しでカイレンらを見るも、彼以外普段と変わりない様子でいる。それも当然、これが拠点内の彼らの日常的なやり取りだからだ。
「はぁ、そんなことするくらいだったら僕の部屋で寝ればよかったのに」
「ちっちっち。違うんだよエディ。微かに感じる気配を楽しむのがいいんだよ」
後ろに回っていたカイレンは腕をエディゼートの腰へと回して抱きしめた。
「......ねぇ、タブラ。カイレンのこの様を見てもなお僕のことを変態と言うの?」
突然振られた話に対しタブラは依然としてラーサに抱擁されながらも顔を何とか向けて、
「あぁ、もちろん。昔のカイレンはこんなんじゃなかったのに、きっとお前から発しているであろう変態フェロモンのせいで変態が伝染したんだ。絶対そうに違いない」
またしてもエディゼートの眉間にしわがぐいと寄る。だがエディゼートを擁護するのは何も彼自身だけではなかった。
「もー、ひどいよね。私からしてみれば別にこれくらい普通のことなのに、タブラが初心すぎるんだよ。――まだ自分から彼女と手すら繋げていないのに」
「なっ!?べ、別に手ぐらい繋げるさ!それに、人の基準を俺に押し付けるな!俺は、俺は誇り高き白龍なんだぞ!」
必死に反抗する姿勢を見せるも、ラーサの胸下にすっぽりと収まるその様からは全くと言っていいほど威圧感がなかった。
「そう言うおにーちゃんは、ちなみに彼女とどこまでできるようになったのです?」
頭上から、刃物よりも断然鋭利な言葉がラーサより投げかけられる。
「そ、それは......」
一同の視線が集まる。言葉に詰まり、どうにか逃げ場を探そうと目を泳がせたその時――、
「――ほら、お兄ちゃんを困り顔にさせるのはそこまでだよ。ラーサちゃん」
その声は廊下の奥からだった。
徐々に足音は近づき、声の主が対に顔を出す。白いエプロンを身に着け現れたのは、白影工房並びに白影小隊の初期メンバー最後の一人。
「エイミィ!」
「ふふっ、おかえりなさい。二人とも」
タブラは現れた救世主で吸血族の少女の名を心底頼もしそうに呼んだ。
長いまつ毛と切れ長の目には青い瞳、黒く細長い尾に尖った耳先、腰元から生える長く艶のある漆黒の翼、そして口元から時々覗かせるのは特徴的な鋭い歯。黒髪の先を白い組み紐でサイドテールにまとめ、落ち着きと気品のある様相がエディゼートらと同い年ながらもどこか大人びた雰囲気を醸し出している。
「あれ、その様子だともうお昼ご飯の支度をしてるの?」
エディゼートの問いかけの通り、エイミィは袖の捲られた制服の上からエプロンを着ていた。
「うん。今日はタブラが久しぶりに拠点に帰ってくるから、好物の唐揚げでも作ろうと思って台所で仕込みをしてたんだ」
「おぉ!さすがエイミィだ!俺のことをよくわかってる!さすがみんなのお母さんってだけあるぜ」
突如として舞い込んできた朗報に、タブラは目を輝かせた。一方でエイミィは羽と尻尾を揺らし苦笑いを交えつつ、
「あはは、私はみんなのお母さんじゃないよ。あ、そうだ。二人とも、部屋着に着替えたら居間に来てみて。くつろぐのにぴったりないいものを貰ったんだ。きっとエディは気に入るはずだよ」
またもや突如として舞い込んできた朗報に、今度はエディゼートが瞳を輝かせた。
「おぉ、くつろぐのにぴったりなもの。タブラ、こんなところに立ってないで早く着替えよう」
もはやカイレンに束縛されていることもお構いなしにエディゼートは体を脱衣所の方へと向ける。
「そうだな。――よし、各自かいさーん。ラーサもカイレンも俺たちを解放すべーし」
「「はーい」」
カイレンとラーサの返事が重なると、両者は手を離して左手側の通路へエイミィたちと歩いていった。
やっとのことでエディゼートらは解放されると、右手側に向かって足早に廊下を歩いてく。
建物の中央、木枠のガラス窓から見える中庭の小さな庭園には、外にある池より流れる水の通り道とささやかな植生ができている。今は小さな
角を曲がり海辺側にある脱衣所に辿り着くと、それぞれの部屋着である
エディゼートは黒の、タブラは藍色の作務衣をそれぞれ手に取ると、互いに背を向けて着替え始める。その最中、
「はぁ、俺もラーサみたいに背が高ければ。それに、このやけにくるくるした髪の毛のせいで余計に幼く見えるのもなんかなぁ」
そう言いながらタブラは鏡に映る自分の姿を見て髪先をいじる。癖毛と直毛、低身長と高身長。こればかりは遺伝によるものなので仕方がないとわかっているが、悩みの種であることに違いはなかった。
「でもいいじゃん。僕が見てきた龍の中で、タブラが一番綺麗でかっこいいんだから。もしも龍になれるんだったら、僕はタブラみたいなのがいい」
「......そりゃどうも」
鏡越しに映るエディゼートの紛れもない本心をぶつけられむずがゆい気持ちにさせられるも、顔を合わせずにいることで何とか飲み込む。
「(俺からしてみれば、無駄に背の高いお前が羨ましいってのに)」
龍としての威厳からか、タブラは本心を全てさらけ出すことはなかった。だが人の姿だとどこかついうっかり弱音や悩みが口に出てしまうのは、エディゼートのことを一番の理解者だと思う節があるからだろう。
考え事をしていたせいか、手が止まっていた時間が長かったタブラよりも先にエディゼートは着替えをある程度済ませていた。地面に置かれた人工龍尾はまるでとかげが尻尾を自切したようだ。今は白の靴下を履いている。
「はぁ、やっぱりこの締め付けの少ない恰好が一番楽だね」
エディゼートらが着用している制服は体のシルエットがくっきりと浮き出るようになっており、更に腰元のベルトや履いていたブーツなどを合わせるとその圧迫感は相当のものとなる。
「ははっ、俺もだ。この体、胸だけデカくなりやがるからなおさらだぜ」
タブラは制服の留め具を外していくと、まるで束縛から解放されたようにさらしの巻かれた上半身を反らして伸びをした。
「確かに、制服もタブラ自身も窮屈そうだよね。いつもボタンが弾け飛ぶんじゃないのかってひやひやしてる」
「なっ!?余計なことをいちいち言うな!自分が変態だからって好き勝手言いやがって!ふんっ!」
「いてっ」
大振りの平手打ちがエディゼートの臀部にぶち当たり、爽快な音が響き渡る。痛そうに直撃部をさするエディゼートの姿をタブラは何度見たことか。
姿が変わると性別も性格も変わってしまうタブラ、そしてそんなタブラを構わずにはいられないエディゼートの、何気ないやり取りの一部始終であった。
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