第5話 拠点への道中

 龍の時とは違い、人の姿のタブラの声は正しく少女そのものだった。

 エディゼートはその愛くるしい容貌に耐え切れず、思わずタブラの柔らかな頬を無言で突いている。


「......」


「や、やめろッ!触るな!変態!」


「......」


「気味が悪いから何か言え!というか、突くな!ふんっ」


 終始表情をあまり変えることなく淡々とタブラの頬を堪能し終えると、ようやくエディゼートは手を離した。解放されたタブラはふくれっ面を見せながら、いくつかの瓶詰を屋台の女店主に銅貨数枚と共に手渡した。

 その様子をどこか微笑ましそうに見ていた女店主が、


「ふふふ。相変わらず、昔からタブラ君とエディ君は仲がいいわねぇ」


「はい。僕たちは最高の相棒なので」


「ふふっ、タブラ君はそうじゃないぞって言いたげな顔をしているけど」


 店主が言うように、タブラは腕を組んで鋭いながらも威圧感の全くない目つきでエディゼートを睨みつけていた。

 店主は商品を袋に詰め終えるとそのままタブラに手渡した。


「いつもご利用ありがとね。黒胡椒をおまけに付けておいたから」


「本当ですか?ありがとうございます。――ほらエディ、持て。行くぞ」


 流れるようにタブラはエディゼートに袋を押し付けるとると、足早にその場を去っていった。


「またのお越しを」


 店主に見送られるエディゼートは一礼すると、先方を行くタブラに追いつこうと足取りを速めていった。

 やっとのことで追いつくと、タブラは機嫌が悪い振りをしていた。小さな歩幅を忙しなく動かして離そうとするも、エディゼートにまた追いつかれる。


「ごめんって。人の姿のタブラを見たのが久しぶりでつい」


 そう言うと、タブラはようやくエディゼートと歩調を合わせて歩くようになった。


「......はぁ、どうせそうだと思ったよ。というか、案外早く終わったんだな。学長との食事会」


 すると先ほどの出来事を思い出してか苦笑いを交えつつ、


「はは、学長に意地悪されそうだったから早々に出て行った」


「そうなのか?ふーん。でもさ、何で食事会を朝にしたんだ?別に昼とか夜でもいいだろ」


「理由は簡単、朝が一番出される食事の量が少ないんだ。それでも、今も少し苦しいけどね」


 そう言ってエディゼートは荷物を抱えていない左手で腹部をさすった。その様子を見かねたタブラは何を思ったのか片手を差し出し、


「ん。それならやっぱ荷物は俺が持つよ。少し重たいし」


 目を合わせてくれなかったが、小さな声で気遣いを見せてくれた。だがエディゼートはその様子を目元を緩ませて見つめるだけで、荷物は渡さなかった。


「大丈夫、これくらい。やっぱり優しいね、タブラは」


 タブラは褒められると照れ隠しでそっぽを向いてしまうのをエディゼートは知っていてそう言った。だが予想に反してタブラは腕を組んで正面を見ながら、


「当たりめぇだ。難儀を抱えて生きてる分、俺は強くて優しいのさ。はぁ、でもそう思うと俺って存在は本当に何なんだろうなぁ。龍なのか、人なのか。雄なのか、女なのか。まったく、アイデンティティが崩壊しそうだぜ」


 空を仰ぎながら、独り言を言い切るとタブラは伸びをした。

 人と龍の両者になれるタブラが抱える難儀、それは雌雄が一致しないことにあった。それでも制服を見ればわかる通り、タブラの心は雄としての龍そのものだ。

 何とも間の悪い空気が立ち込めそうな予感を察知し、エディゼートが口を開く。


「あのさ、タブラ」


「ん?」


「その、拠点に帰ったらまた、昔みたいに一緒にお風呂に入ろうよ。せっかく大きな露天風呂を作ったんだ、一人で入るにはもったいない」


 これが今のエディゼートが言える全てだった。別にタブラがどんな姿であれ、僕には関係ないと。直接そう言わなかったのはエディゼートなりの美徳によるものだ。


「エディ......。フッ。この、変態野郎めっ」


「いてっ」


 爽快な一撃、タブラはエディゼートの背中を強く叩いた。すると体の神経と連動している人工龍尾が反射的にぴくりと動いた。


「はぁ、それじゃあ帰ったら湯でも沸かすか。でもいいかエディ?間違っても、俺に変な気を起こすんじゃねぇぞ?仮にも俺には将来を誓い合った人がいるんだ」


 忠告と共に疑いの眼差しを向けられると首を縦に振って、


「うん、変な気を起こさないのは当然なんだけどさ。それよりも、どうして僕って一度たりともタブラとか他の人にそういうことをしたことがないのに、変態扱いされてるの?」


 長年思っていた疑問をぶつけてみた。何故淫らな行為の一切を自らしようとしてこなかった自分がこんな扱いを多方面からされているのか。


「なに、それは簡単さ。お前の師匠が超のつく変態野郎だったから。時々生温かな気味の悪い表情をするから。それと、小隊のメンバー全員がお前のことを大好きすぎるから」


 返ってきた答えに納得がいっていないのはエディゼートの表情を見れば一目瞭然だった。眉間にしわがぐいと寄っている。


「いや、二つ目までの理由はともかく、最後のはあまり関係ないんじゃ......」


「いいや、関係ある。きっとお前が変態だから変なフェロモンが出てるに違いない。女を誘惑する変態フェロモンとか」


「でもそれを言ったらタブラも僕のことが大好きってことになるけど......」


「......」


 何気なく発せられた、その言葉がいけなかった。タブラは口をぽっかりと開け、みるみるうちに震えだしそして、


「あっ、あっ、ああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」


「――うぐッ!?」


 強烈な一撃が、エディゼートの腹部側面へと叩き込まれる。抱えた荷物が落ちないよう、よろけた体を人工龍尾で支えて何とか耐えてみせるも間一髪だった。


「馬鹿バカばかっ!!!よくも......、よくも俺をはめやがったな!やっぱりお前は変態だ!」


「もう変態でいいから!だからぽかすか殴るのをやめて、荷物が落ちちゃう」


 ここまで言ってようやくタブラは荒げた息を落ち着かせて手を止めた。エディゼートは殴られた箇所を痛そうに手でさすってタブラを見た。


「はぁ。龍の時はこんなに凶暴じゃないのに」


「うるせぇ。それと、すまん。つい力が入り過ぎた。文句があったら俺の脊椎に言ってくれ。人である俺がこういう人間だと記録している脊椎に」


 まるで自分の脊椎にしつけをするように、タブラは背中を自分の手で叩いた。


「そういえば、タブラが姿を変えられるのは脊椎に生体の情報を記録することができるからだったよね。さすがタブラの故郷ミクニ帝国だ、一部の技術者たちから変態の国と呼ばれているだけある」


「それは......、あながち否定できないぜ」


 ――そんな他愛のないやり取りを続けていると、四方が陸地だった景色も変わり気づけば海辺が見えてきた。

 整備された道の先、左手に見えるのが港町シェフターレだ。町全体の建物が白を基調とした石造りとなっており、内陸側へと湾曲した海岸線の先まで大小様々の家々が軒を連ねている。

 だがエディゼートたちが向かうのは右手側。シェフターレよりも標高が少しばかり高くなっている丘の方を目指した。


「はは。やっぱりこうやって見ると、この建物だけ少し浮いているな。だから町から離れたここに建てたんだけども」


 タブラがそう言うように、丘の上の傾斜が緩やかになった場所には一軒の木造二階建ての大屋敷があった。

 その建築様式はシェフターレのものとは大きく異なっていた。鼠色の瓦屋根に焦げ茶色の木の柱、その隙間を埋めるように漆喰の白壁があり、どこか落ち着きと気品のある仕上がりだ。周囲には屋敷を囲うように瓦を載せた漆喰の外壁が建てられており、中央の重厚な門扉は開け放たれていた。


「何だかんだ、今月は視察やら兵器の性能試験やらで忙しかったからここに来るのも久しぶりな気がする」


 学業が一段落していたエディゼートはグラシアを抜け出して大陸中を駆け回っていた。そしてようやく、今朝のレイゼとの朝食会を以ってしてすべての予定を終了させた。


「そうだな。俺も年明けから故郷に帰省してたし」


「あ、そうだ。タブラの彼女は元気だった?」


「あぁ、元気だったぜ。あ、それと俺にとっての朗報だ。どうやら体調も良くなってきたらしいから、手続きと引っ越しの準備が済んだらグラシア・アカデミーに転入するらしいってさ。拠点に空き部屋はいくらでもあるから、一緒に住んでもいいよな?」


 否定する理由もなし。療養中だったタブラの彼女が回復したことはエディゼートにとっても当然喜ばしいことですぐに頷き、


「もちろん。それにしてもよかった、元気になったんだ」


「そうさ。はは、まさか俺たちが開発している兵器の技術が医療にも役立てるとはな。今エディが装備している新型の人工龍尾、それに備わっている魔願変換の補助機能を流用した装置のおかげだってさ」


「なるほど。確かにそれだったら回復薬と違って体に負担がない、あぁ、これを謳い文句に何かいいことができそう......、へへ」


 断じてやましいことを考えてはいないが、その表情は完全に悪だくみをしている時のそれであった。


「はぁ、気味が悪いこと。まぁでも、願力は生体を維持するのに必要不可欠な要素だから、その補給を補助する技術は今後引っ張りだこになるだろうな。よかったな、兵器の開発費を補うチャンスにこぎつけて」


「うんっ」


 足取り軽やかに歩みを進めていくと、ようやく門扉の前まで辿り着く。


 潜り抜け敷地内に入ると、外壁に阻まれ見ることのできなかった和風庭園が両脇に広がっていた。松に銀杏いちょう、桜やかえでといった木々、地表にはそれらの周囲を囲うように白石が敷かれ、小脇には池とそこから流れる水の流れ道ができている。

 この空間だけ、まるで異世界に迷い込んだようだ。


 エディゼートらはそのまま建物の入り口へと続く道を行き、戸を開けて中へと入っていった。

 玄関の片脇には靴入れが置かれ、小瓶に添えられた生け花や壁に掛けられたシェフターレの町並みの風景画が質素な玄関内に彩を与えている。

 エディゼートがぴしゃりと戸を閉めると、


「「ただいまー」」


 二人の声が重なる。静まり返る廊下には人気がないように思えるも、それはほんの一間に過ぎず。すぐに声を聞きつけた何者かが二人のもとへと駆け寄っていく音が聞こえた。

 エディゼートは何かを察知したのか、手にした荷物と散弾銃を早々に置いた。タブラも何かに構えるように片足を一歩後ろに引いた。


「来るぞ、エディ」


「うん」


 迎え撃つ準備は整った。忙しない二つの足音は徐々に近くなり、そして――、


「「おかえりなっさーーーーーーいっ!!」」


 天然の翼と顕願ヴァラディアによって生成した翼を広げるのは、半人半龍そして純粋な人間。計二人の少女が、特大の笑みを浮かべて二人のもとへと文字通り飛来した。

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