手芸部の乙女 (3)

 藤田さんは、奥でゴソゴソと作業をしている手芸部員から、直径五センチメートルくらいの布製品を受け取り、それをそのまま俺に手渡した。


「はい。五味さん」

「へ? これは?」


 俺は差し出されるままにその布製品を受け取った。楕円形のそれは、つい今しがた完成したものらしく、ほんのりと温かい。そして、何よりも手に吸い付くような柔らかさがあった。


 ぷにぷにぷに。


 柔らかい。ずっと触っていられそうだ。


 そんな俺の様子に満足したのか、藤田さんが俺の先ほどの質問に答えてくれる。


「ブラパッドです。ついにこのリアルさにたどり着きました」

「ブラ……パッド……これが」


 と言うことは、俺は間接的に小原さんの胸を……。いや、ダメだ。その思考は俺の本能を目覚めさせてしまう。


 俺は注意深く、特に下半身を意識しないように気をつけながら、ブラパッドを藤田さんに返した。


「あれ? もういいんですか?」


 本当はもっと揉んでいたかったが、それはちょっと口にできない。


「本当はもっと揉みたいんじゃないですか? 素直に言えば楽に慣れますよ、五味さん?」


 なんて、魅力的で挑発的な言葉なんだ。悪魔の囁きとはこれのことか。しかし、流されないぞ。頑張れ、俺。


「け、結構です」


 とその場をなあなあで収めようとしたところ、小原さんが堰を切ったように叫びをあげた。


「もっー嫌ですー! 揉まれるの嫌ですー! クーパー靭帯が伸びちゃうんですー! おっぱい垂れちゃうんですー!」


 まるで駄々をこねる子供のような喚きっぷりで、俺は少しだけ気圧された。


 どうあやしたものかと悩んでいると、あろうことか小原さんは目尻いっぱいに涙を浮かべた。


「ぐすっ……ぐすっ……ふええーん」


 そして、泣き出してしまった。


 高校二年生だぞ? いい年した女子高生が胸を揉まれただけで泣くか、普通?


 これが全久保ヶ丘学園生の姉の姿かよ……。まるで園児じゃないか。ま、まあ、これはこれで可愛いと言えなくもない。やっぱり顔がいいってずるい。


 いや、俺が知らないだけで、小原さんはずっと無垢なのかもしれない。同性であっても胸を揉まれたことがショックなくらいに。


 俺は本気で動揺した。あたりを見渡すと、結城さんと藤田さんをはじめとする手芸部の皆さんもオロオロしている。まさか、全員で寄ってたかって揉んだんじゃないだろうな? 流石に引くわ。ほぼほぼ婦女暴行事件じゃないか。


 俺は何とか小原さんを元気づけようと部室の中を物色する。何か、何かないか。ん? 木棚にあるのは、裁縫道具箱に古びたミシンに、それに……お手玉?


 握りこぶし半分ほどの俵状の布袋が四つ、木棚に並べられていた。それを掴んでみると、中にはビーズか何かが入れられているようで、正真正銘のお手玉だった。


「藤田さん、このお手玉、借りますね」


 俺は藤田さんの了解を得る前に、お手玉を三つ握り、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている小原さんの正面に立つ。


「ほら、小原さん。お手玉、ジャグリングだよー」


 俺は右手に二個、左手に一個の状態から、ジャグリングを始めた。技はメジャーにカスケードと呼ばれるものだ。カスケードは連なった小さな滝という原義で、左右のお手玉が中央で交わるように、左右のお手玉を交互に投げあう技だ。


 こんなこともあろうかと、宴会芸の一つとして練習しておいてよかった。


 シュッザクッシュッザクッと小気味いい音を立てながら、お手玉は宙を舞った。


 俺はお手玉に集中しながら、視界の隅にいる小原さんの表情を窺った。小原さんはマジ泣きだったようで、両目を真っ赤にしながらも、俺のお手玉に興味をひかれているようだった。


「これがカスケード。お次は……」


 俺は投げる手を一旦止め、右手に二個、左手に一個の状態で止めた。そして、今度は右手から左手に大きな弧を描き、左手から右手にお手玉を手渡すように小さな弧を描く。これでお手玉の軌跡は楕円になる。技の名前を。


「シャワーでーす」


 グルグルと回るお手玉に、小原さんの目は釘付けになっていた。よかった。どうにか泣き止んでくれたようだ。普段の小原さんには効かないかもしれないが、幼児退行している今なら通用する。


 俺はシャワーに小原さんの目が留まっているうちに、小原さんの興味をさらに逸らすように小原さんの参加を促す。


「では、お次は小原さんにも手伝ってもらいましょう!」


 俺はシャワーをしていた手を止め、右手に三個のお手玉を握り、左手で小原さんの手を取った。


「わらし、でうか?」


 まだ泣いていた余韻があるのか、舌足らずな言葉だった。そんな小原さんは痛々しくもあったが、それと同時に女の子って感じがして、とても扇情的だった。


「うん。小原さん。これを持って」


 俺は木棚に一つだけ残されていた四個目のお手玉を小原さんに手渡した。


「俺が合図したら、それを投げてくださーい。そして、四個のお手玉が見事できたら、拍手をお願いしまーす」


 俺は結城さんと手芸部の部員にわざとらしく囃し立てるように合図を送る。


「よっ! 日本一!」


 結城さん、褒め方下手すぎっ。


 俺は小原さんの正面で再びカスケードを始める。


「よっ、はっ、ほっ、どうぞ! 小原さん! 投げて! ほら!」


 俺は小原さんに投げるタイミングを指示する。


「え、えい!」


 小原さんは可愛らしい掛け声とともに、俺の目の前にお手玉を放り込んだ。ちょっと強いが、許容範囲内だ。


 俺は小原さんの投げたお手玉を受けたタイミングで、カスケードから2イン1ハンドという技にシフトした。実のところ、四個でお手玉するのはほとんど練習していない。そのため、比較的簡単な2イン1ハンドに技を変更せざるを得なかったのだ。2イン1ハンドは、実は片手で二個のお手玉を投げる技を、左右独立して行うだけだ。つまり、左右でお手玉がクロスすることはない。そのため、四個のお手玉の中では比較的簡単な技として知られている。


 しかし、そんなこと露とも知らないであろう小原さんは、自分の投げたお手玉が見事技に組み込まれたことに大いに喜んでくれた。


「わあ、五味君! すごいです!」


 俺はそんな小原さんの様子に安心しながら、ギロッと視線を結城さんと手芸部に移す。ほら、今だ。場を盛り上げてくれ。


 そんな俺の視線に気づいた結城さんたちは、思い思いの言葉で協力してくれた。


「よっ! 日本一!」


 だから、結城さんボキャブラリーが貧困すぎるって。


「見事です!」

「上手いですね!」

「凄いです!」

「ナイス女房役! お似合いだよ! ひゅーひゅー」


 なかばヤケクソ気味の囃し立て方だが、ないよりはマシか。


 再び視線を小原さんに向けると、小原さんは赤面していた。


「そんな、にょ、女房だなんて……。私、まだ誰ともお付き合いしたこともないのに、そんな……」


 小原さんはすっかり気を取り直してくれたようだ。しかし、これ以上は俺の腕もしんどいので、ササッとお手玉をキャッチして、それらしくポーズを決め、最後に深々と頭を下げた。


「ご覧いただき、ありがとうございました」


 その瞬間、囃し立てていた結城さんたちがわざとらしく手を大きく叩き、拍手大喝采となった。小原さんも拍手してくれている。


 やがて、拍手が鳴りやんだところで、俺はパンパンと二回手を打ち、場を仕切りなおした。


「じゃあ、これでお悩み解決ということで!」


 すると、観衆の一人に徹していた藤田さんが、代表して答えてくれた。


「はい。では、私たちは先ほどの感触を忘れないうちにブラパッドの増産に移ります。ご協力ありがとうございました」

「さいですか。じゃあ、俺たちは生徒会室に戻ります。部活動頑張ってください」

「ハッ、私も天文部に行きます。ありがとうございました。貴重な経験でしたし、いいものも見せてもらいました。えへへ」


 今回、一番役得だったのはひょっとしたら結城さんかもしれない。問題は勝手に解決するし、胸は揉めるし、宴会芸は見えるしで、三得じゃないか。


 俺は満足そうに笑みを浮かべている小原さんの手を取り、手芸部の部室を後にした。結城さんも後に続いた。部室棟の階段で天文部に向かう結城さんと別れ、小原さんと二人、生徒会室へ向かう。

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