手芸部の乙女 (4)

 生徒会室には他の生徒会メンバー全員がいて、廉也は一人コーヒーカップ片手に佇み、鳳さんと波川さんは二人で談笑していた。


「こんちわーっす」

「こんにちは」


 小原さんの挨拶は軽い。先ほどまでの災難による心身の疲労は何とか回復したようだ。


「こんにちはです。先輩」

「こんちわっす。センパイ」


 俺と波川さんの挨拶に気づいた鳳さんと波川さんは、元気に挨拶を返してくれた。昨日の今日で心配だったが、波川さんは元気を取り戻せたようでよかった。


 小原さんは女生徒二人の会話に加わり、俺は事の報告のため、廉也の会長席付近に向かった。相変わらず、廉也は堂々たる佇まいで、会長席で優雅にコーヒーの香りを楽しんでいた。


「廉也、手芸部、問題クリアだ」

「そうか、ご苦労」


 廉也は小原さんの方を一瞥すると、俺の方へ視線を移した。


「まあ、ねぎらいは小原さんに言ってくれ。俺は今回も何もしちゃいない。すべて小原さんの献身のお陰だ。それで……、これは、お前の思惑のうちか?」

「役得だったろ?」


 ああ、コイツ。今回もどんな展開になるか読んでやがったな。


 しかし、まあ、小原さんの艶っぽい声や、怯える姿は確かに扇情的で、俺は男として非常に役得だった事実は認めざるを得ない。


「話を逸らすなよ。小原さんはエライ目にあったんだからな」

「まあ、それも青春さ」


 廉也は意味不明に今回の手芸部の一連の問題を締めくくった。


 こんなんでいいのか疑問にも思ったが、これ以上廉也に深入りするのはさらに俺の理解を妨げる恐れがありそうだったので止めておく。


「それで、これで結城さんに課した生徒会の抱える問題は全部なんだろ?」


 確か、廉也は生徒会の抱える三つの問題と結城さんに提案していた。電気部、陸上部男子、そして今回の手芸部。これで三つだ。


「ああ。彼女は、見事、成し遂げた」


 正直、結城さんが役に立ったのは電気部の部員になったことくらいだが、まあ、言わぬが華だろう。


「生徒会の予算からいくらかプラネタリウム制作に融通しよう。しかし、その前に梨乃には再度やってもらうことがある」

「やってもらうこと? 結城さんにか? 何だ?」

「プラネタリウム制作費の再算出だよ」


 廉也は何か確信しているのか、不敵な笑みを浮かべていた。


 何となく、コイツがこういう顔をすると嫌な予感がよぎり、大抵は的中するのだが、まあ、今の俺にできることと言ったら静観くらいのもんだから黙っておく。


 まあ、これで俺の肩の荷も少しは軽くなるというものだ。


 おっと、忘れないうちに。


 俺は廉也の座る会長席から離れ、自分の作業スペースである会長席から一番遠い座席の袖机を開いた。この袖机は学園における数少ない俺のプライベートスペースだ。中には生徒会庶務の仕事に必要な筆記用具だったり電卓だったりが所狭しと詰められている。その中でもひと際奥にしまってある、金属の缶を取り出す。金属の缶の側面には中身の紅茶葉の詳細が英語で書かれている。これは俺のとっておき、イギリス王室御用達の総合高級食品ブランドが販売している茶葉だ。百グラム当たり千円以上の超高級茶葉だ。この紅茶を入れるときは、俺も何らかの大仕事をこなした後だろうな、と思って袖机の奥にしまっていたが、まさか、こんなに早く飲む日がくるとは思わなかった。


 金属の缶を持って、そのまま生徒会室の隅っこにある給湯設備に向かう。紅茶の美味しい入れ方のポイントは水とポットとカップだ。水は汲みたての軟水がベターだ。俺は給湯設備に付属されている棚の奥から、非常時用のミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。まあ、日本の名水だが、水道水よりは随分マシだろう。そして、ポットのお湯ではなく、やかんに水をなみなみ注いで、火にかける。ポットのポイントは鉄分の有無だ。陶磁器か銀製、あるいはガラス製のポットやサーバーが望ましいが、そんな立派なものはこの生徒会室にはないので、先日結城さんを迎えた時に使った急須を取り出す。カップは内側が白いほうが色が際立ち、さらに浅い形のものが香りが広がってよいとされている。しかし、そんなカップも生徒会室にはないので、仕方なく紙コップを二つ準備する。やかんが沸騰する前に、急須と紙コップをポットのお湯を注ぎ温めておく。これだけでだいぶ違うだろう。


 やがてやかんが喧しくお湯が沸いた音を立てる。


 それを合図にやかんの火を止め、急須と紙コップのぬるくなったお湯を捨てる。急須にサッと高級茶葉を入れ、やかんのお湯を勢いよく注ぐ。そして、急須の蓋をして、十分に蒸らす。蒸らしが終わったらそれを紙コップに注ぐ。この時、濃さが均一になるように紙コップにちょっとずつ交互に注ぐ。この時、急須から注がれる最後の一滴はベスト・ドロップと呼ばれているらしいので、それは小原さんのコップに行きわたる様に注意した。


 俺は三人で談笑している女子の輪に、強引に入り込んで小原さんに紅茶を渡した。


「小原さん。お疲れ様でした」

「え? 五味君? 私何もしていないよ。と言うより、何も覚えていないんだけど……」


 小原さんは本能で嫌な記憶を消去したらしい。実に正しい判断をする記憶中枢だと思う。あんなに取り乱すくらい酷い目にあったんだ、忘れておいたほうがいいことだってある。


「五味君がお手玉してたのは覚えているんだけれど……どうしたのかな、私?」

「ん? まあ、いいんじゃない? 俺、お手玉上手かったでしょ?」

「うん! 上手だった。わあ、お紅茶、いい香り」

「ちょっと奮発したから。本当にお疲れ様でした」


 小原さんは不思議そうに首をかしげたが、小原さんの身体を張った犠牲は、俺と結城さんと手芸部は忘れないだろう。


「センパイ、私たちには紅茶くれないんっすか?」

「今回は小原さんが頑張ったからご褒美。鳳さんと波川さんはまた今度ね」


 波川さんはブウッと膨れたが、鳳さんは余裕の笑みだった。


 まあ、鳳さんはまだしも、ボヤ騒ぎの原因を作った波川さんの労をねぎらうのは少し先になるかな。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


お読みいただきありがとうございます。


面白い作品となるように尽力いたします。


今後ともよろしくお願いします。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る