陸上部男子の日常 (4)
波川さんが暴れるので、結構体力を消費してしまった。さっきのボヤ騒ぎも含めて、気力体力ともに大幅に削がれた。
「反省するっす……」
俺の荒げた声と教育的指導が効いたのか、やっと事の重大さを理解したらしい波川さんはしおらしく項垂れた。
だが、まあ、彼女の稚拙な考え通りになったのは癪だが、確かに陸上部の問題はその火種から文字通り焼失することになったわけだが。
俺は依然として立ち尽くしている陸上部男子の三人に、頭を下げて謝罪した。
「すみません。生徒会の不手際でした。ほら、波川さんも謝って」
「ごめんなさいっす……」
波川さんも俺に倣って頭を下げる。
俺の謝罪を受けて、気を取り戻した安藤君が応じる。
「い……いえ……。これで、揉めることもなくなりましたし……」
精一杯言葉を絞り出したといった感じだった。
三好先輩は焼けカスの中に手を伸ばし、「アリサちゃんが……」と呟いた。
俺は三好先輩のことが気になり、安藤君に尋ねた。
「安藤君。アリサちゃんとは?」
「ああ、三好先輩のお気に入りのセクシー女優です。九十年代の女優さんで、ちょっとレアものなんですよ」
「そ、そうですか。重ね重ねすみませんでした」
お気に入りに女性も、今や炭同然だ。プレミアとかついているんだろうか? 後でこっそり調べておこう。
一方で、一年の篠原君はスッキリしたように爽やかに笑って、二人の先輩部員を励ました。
「まあまあ。また、集めればいいじゃないですか。安藤先輩も三好先輩もそんなに落ち込まなくても」
篠原君の言葉に、安藤君も同意した。
「……そうだな。篠原君の言う通りだな。三好先輩、アリサちゃんのことは残念でしたが、ロリ系は他にもたくさんいます。そう気を落とさないでください。ほら、YTTの二つ名が泣きますよ」
安藤君はよく意味が分からない励まし方をしていた。まあ、陸上部内でのマイナーな掛け声か何かだろう。しかし、三好先輩は相変わらずロッカーの前で肩を落としている。
俺は精一杯の謝罪として、代替案を打診する。
「ら、来年度の予算、少し融通します、よ? 書籍代とか参考資料代とか名目つけて」
篠原先輩は静かに立ち上がり、ズイッと俺の前まで近寄ると、俺の両肩を掴んだ。
「頼む。来年度こそ、この悔しさを晴らしてくれ……」
それは俺じゃなくて安藤君や篠原君に向けた言葉なのでは? それに、もっとこう陸上部らしく入賞とか全国大会出場とかを託すべきなのでは?
しかし、俺は野暮ったいことは言わず、「分かりました」と強く返事をした。
それから、燃えカスの掃除を全員で行い、解散となった。アリスちゃんの火葬跡は三好先輩が自分で片づけると言って聞かなかった。
掃除後、三好先輩は受験勉強に図書室へ、安藤君と篠原君、それに結城さんはそれぞれの部活へ向かった。
そして、俺としょんぼりと落ち込んでいる波川さんは生徒会室へと足を向けた。波川さんは恨みがましくほっぺたを擦りながら俺を白い目で見ている。そんなにほっぺた
を強く抓り過ぎただろうか? 俺は自分自身のほっぺたを波川さんにやったように抓ってみる。うん。確かに痛いが、そこまで恨みがましく睨まれるほどじゃない、よな?
「五味センパイ! 違うっすよ! もっとこう、抓りに捻りを加えてたっす!」
波川さんは俺への抗議だろう、その小さな手を目いっぱいに広げて、俺の頬を抓った。
いててっ、確かに、捻りは結構効くな。
「ほめ、ほめんって、なみふぁわふぁん。わるふぁったって」
まあ、行き過ぎた叱責だったと反省し、俺は波川さんの攻撃を甘んじて受け入れる。
それにしても、痛いのは痛いのだが、波川さんの手はぷにっとしていて、まるで子供みたいだった。しかし、そんな感想を口にしようものなら、さらに捻りを加えられそうなので止めておく。
そうやって二人、険悪にじゃれ合いながら生徒会室にたどり着いた。
生徒会室には廉也と小原さんが静かに思い思いの時間を過ごしていた。廉也はお馴染みのコーヒーカップを手に、俺が依頼した確定済みの予算案に目を通しているし、小原さんは教科書とノートを開き自主学習に勤しんでいた。
「こんちわーっす」
「……っす」
波川さんは俺への抗議であるほっぺた抓りを終えてからは、ずっと落ち込んだままで、いつものヒマワリのような明るさを失っていた。こうまで落ち込まれると、悪いことをしたような気になる。そろそろ気を取り戻して、元気な波川さんに戻って欲しいところだ。
俺と波川さんの挨拶に気づいた小原さんは、「あら、五味君に真美ちゃん。お疲れ様」と挨拶を返してくれた。廉也は俺と波川さんを一瞥すると、再び予算案へと目を移した。愛想悪いな、チクショウ。
「廉也、陸上部男子の問題は解決したぞ」
「そうか、ご苦労」
廉也は予算案に目を移したまま、素っ気なく返事をした。その様子が、さっきまでの喧騒に比べてとても静かなものだったので、俺は少しだけ憤りを覚えた。
俺はズンズンと会長席の方に近寄り、廉也に耳打ちする。
「波川さんが不始末を起こした」
耳打ちのつもりだったが、声は存外に大きかったらしく、波川さんがビクッと反応した。しかし、もう彼女の贖罪は済んでいる。これから先は、監督者で生徒会長である廉也の責任問題だ。
しかし、当の廉也はいたって冷静だった。
「不始末とは穏やかじゃないな。それで、何があった?」
俺は廉也の事の顛末を簡潔に説明した。そして最後に、廉也に詰め寄る様に尋ねた。
「これは、お前の思惑のうちか?」
「虎守、俺は万能じゃない。何が起こるか、分からない。だが、最も面白そうな結果になる真美を選んだだけさ」
「そうか。お前、いい性格してんな」
俺は皮肉たっぷりに廉也に嫌味を言ったが、廉也は気にした様子はなかった。
廉也のことだ。波川さんがエロに対して免疫があることも、秋冬にマッチを常備していることも、そして、火を点けることに躊躇いのないことも、全て知っていたに違いない。確信犯だろう。
「それで波川さんの起こした不始末の処理、どうするつもりだ?」
「まあ、落ち着け。不始末と言うほどでもあるまい」
生徒会が火を点けたボヤ騒ぎを不始末と言わずして、何を不始末と言うんだろうか?
ああ、そう言えばコイツ、先日の生徒会の引継ぎ式の時に近所の花火職人から教えてもらった打ち上げ花火を昼間にぶっ放したことがあったな。あの時のサプライズは見事だったし、警察や消防には連絡を入れていたという手回しの良さだったから、今回もひょっとして。
俺が邪推していると、どうやら廉也もそれを察したようだ。会長席の袖机から一枚の書類を取り出し、俺に手渡した。
「この書類だ。目を通すといい」
「ん? 何だこれ?」
書類は実に簡潔な文章で書かれていて、文字密度は低かった。
「『古くなった消火設備の買い替えについて』だって?」
「そうだ。部室棟に設置されている消火器は全て加圧式の古いものだったろ? それを新しい蓄圧式のものに買いなおす提案書だ」
それはつまり、今回のボヤ騒ぎで使った消火器はすぐに再購入されるということか。それに、関係者さえ黙っていれば誰にも気づかれることなく、今回の問題は公になることもない、と。
「いつの間にこんなものを……」
「広く、浅く、手を打っておくものさ。ちなみに、この案は既に承認されていて、来週には新しい消火器が届く手はずになっている。古いものは処分される。だから、例えば生徒の誰かが消火器を空にしたところで問題はない」
これほどの下準備を整えていたとは。廉也の悪だくみの深みをつくづく思い知らされる。コイツは俺と違う次元で生きてやがるな。
「全く、廉也には敵わないな」
俺は褒め言葉でも悪口でもなく、素直に思ったことを口にした。
「ふん、そう褒めるな」
「いや、これっぽちも褒めてはいない」
それから、消火設備の買い替えの話を波川さんに説明し、波川さんの肩の荷を下ろしてあげた。
「あ、ありがとうございましたっすー」
波川さんは感涙しながら俺に抱き着いてきた。
ふわっと女の子らしい匂いが鼻孔をくすぐった。何だか、非常に照れる。
俺は名残惜しくも、波川さんを引きはがしながら、「だからって、簡単に火を点けちゃダメだからね」とたしなめた。
波川さんは太陽のように眩しい笑顔で、「了解っす!」と敬礼した。
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お読みいただきありがとうございます。
面白い作品となるように尽力いたします。
今後ともよろしくお願いします。
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