天文部部長 (3)

 俺はコホンと咳払いし、会話を仕切り直し、結城さんの膝の上で裏返しに置かれている予算案に視線を移した。……決して女生徒の膝小僧が可愛らしいと凝視していたわけじゃないからな。


 結城さんは垢抜けていない。その証拠に、顔面はほとんど化粧なんてしていないし、スカートもほとんど折らずに着用している。そのため、椅子に座ったことで、普段は見えない結城さんの膝は露わになっていた。まだ初秋だというのに、結城さんは目の細かいタイツを履いていた。それが何だか妙に艶っぽい。いや、普通に履いているだけなんだけど。


「それじゃ、予算案、拝見しますか」


 俺の視線に気づき、結城さんはひと際強く腿を閉じると、俺に予算案を提出した。だから、太ももも膝も見てないって。本当だってば。


「あ、これです。お納めください」


 結城さんはまだお茶の入った紙コップを床に置き、丁寧に両手で予算案を差し出した。


 俺は天文部の予算案を受け取ると、内容を確認する。全ての項目は結城さんの鋭く、勢いのある字で埋められているようだ。


 へえ、結城さんってこんな字を書くんだ。達筆って感じだ。俺の粗雑な筆跡とは大違いだ。意外に習字とか硬筆とか習っていたのかもしれない。


 それで、えっと、予算が……んんっ!


「予算が今年度に比べて三倍増って……これは流石に通らないよ、結城さん。五割増しだって難しいっていうのに、三倍はちょっと……」


 結城さんが提出した天文部の来年度予算案はかなりの増額を求めていた。それでも、遠征や大会参加費なんかが無い分、他の部活動よりも比較的総額は大きくないのだが、それでも今年度に比べて三倍は破格の増額になってしまう。何か立派な名目が無い限りは承認が難しそうな案件だった。


「そこを何とか。同じクラスのよしみで」


 結城さんはギュッと目をつむって、俺を拝むように両手を合わせ懇願した。


 しかし、現実は非情だ。そんな風に拝まれたところで予算は増えない。頭を下げただけで予算が増えるなら、部長は卑屈な太鼓持ちばかりが選ばれてしまうだろう。


「なりません。たぶん無理。で、一体何の予算なの、これ? えっと、『プラネタリウムの制作費』……ってどういうこと、これ?」


 俺は予算案に書かれている内容を読み上げ、結城さんに確認を取った。


「そのままの意味だよ。プラネタリウムを作って展示するの。ほら、文化祭とかで」


 結城さんはチラッと片目だけ開け、依然として俺を拝んだまま答えた。形としてはウインクをしている感じになったが、結城さんの瞳は不安で揺れているようだった。


 しかし、そんな結城さんの不安をますます煽る様に、俺は生徒会役員として正論を吐いた。


「それなら文化祭予算で提出してよ。別に計上されるからさ。それとも文化祭の予算算出の話は先輩から聞いてない?」


 この予算案はあくまで来年度の予算を算出するためのものだ。今年度の文化祭は再来月なので、来月中には文化祭用の予算を提出してもらう手はずになっている。


 まあ、それもあっという間に文化祭準備シーズンになって、忙しく処理することになるのだろうけど、当面はまだ先の話だ。


 文化部がメインに活動する文化祭には、地域密着の企業から支援してもらう補助金などが出るため、年度予算とは別に算出される。


 久保ヶ丘学園の文化祭は他校の文化祭と比べ、実に地味だ。俺も中学三年生の頃に、進学先を考えるネタの一つとして、いろんな高校の文化祭を見学したが、久保ヶ丘学園の文化祭は群を抜いて控えめだった。文化部は二十を超えるのだが、その文化部も教室の一つを使って展示をする程度だった。各クラスの展示は三年生だけが許可されていて、一年生と二年生は文化祭の飾りつけをはじめとする雑務が割り振られる。校外からの入場は許可されているものの、千人もいれば多いほうという過疎っぷりだ。一番盛り上がるのが全国大会に出場するレベルのある吹奏楽部の演奏だったが、それも三十分程度だ。他の文化部は適当に手を抜いた展示でお茶を濁している。しかし、天文部が本当にプラネタリウムを、それも、本格的なものを制作するというのであれば、一気に文化祭の目玉にもなりえるだろう。これまでにない集客も可能かもしれない。そうなれば、文化祭予算としてなら、少しは融通を効かせることは可能かもしれない。


 しかし、結城さんは頑として譲らない。拝んでいた両手は強く握られ、膝の上に添えられた。


「でも、今、作りたいの。文化祭は再来月でしょ? 今月中には完成させたいの! 急ぎなの!」


 肘をピンと張って主張する結城さんの姿は、健気なようにも、わがままを言う子供のようにも、どちらにも見える。いや、生徒会メンバーとして話を聞く限りは、後者だな。一途で熱心ではあるが、理性的とは思えない。


 俺は議論に熱くならないよう注意しながら、冷静に結城さんを説得することに努めた。あくまで、俺は大人な意見を口にする。それが、結城さんにとって残酷な真実であっても、俺はちゃんと結城さんの前に立ちはだかる。


「今月中って、もう数週間くらいしかないよ?」


 プラネタリウムの制作にどれくらいの時間が必要か不明だが、今月中に完成というのは、現実的な話なのだろうか?


 例えば、プラネタリウムの投影機。あれを制作するには精密な作業が必要そうだ。電子工作の知識が無ければ、相応の勉強が必要になるかもしれないし、実際に作るとなるとさらに時間を必要とするだろう。それに、夜空を模す天球の制作だって必要なはずだ。数人から十数人程度の容量を確保するのであれば、天球は直径五メートルから十メートルくらいは必要だろう。そうなったら、人数は天文部だけで足りるのだろうか? 他の部活動に協力を仰ぐ必要はないのだろうか?


「そう。だから急ぎで支給してほしいの」


 しかし、俺のそんな後ろ向きな疑問や不安を飛び越えて、結城さんは結論ばかりに目が行っているように思えた。

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