私立久保ヶ丘学園高等部生徒会 (2)

 生徒会室は職員室がある二階から、階段を上り、最上階である四階の一番南にある日当たりのよい部屋が割り当てられていた。


 太陽は未だに南天にあり、放課後と言っても窓の外に広がる空は依然として青かった。雲一つない快晴だった。秋の空は高いと呼ばれるが、まさにそんな感じだった。突き抜けるような青空は、実に清々しい。


 それでも十月である。初秋を迎えた廊下の空気はやや冷たく、吹く風はひんやりとしたものだった。


「……さむっ」


 うん? 何で室内でこんな風が吹くんだ?


 俺は足を止め、廊下の窓をズイ―ッと流し見る。あった。生徒会室と反対方向に十メートルほど離れた、音楽室の前の窓が一か所開いたままになっている。


 俺は踵を返し、音楽室の前まで行き、ササッと窓を閉め、カギをかける。これで帰るころには廊下は太陽の熱でいくらか気温が温まっていることだろう。


 ちょうどその時、プピーと音楽室から楽器の鳴る音が聞こえた。何の楽器かは分からないが、金管楽器のような音だった。そして、その音を皮切りに、一気にいくつもの楽器がメロディーを奏で始めた。見事な重奏だ。確か、吹奏楽部はこの春のコンクールで全国大会に出場している強豪。放課後も熱心に練習に取り組んでいることだろう。最も、音楽なんて流行歌を聞き流すくらいしか縁がないので、本当にその演奏が上手いのかは分からないが。


 俺は再び生徒会室の方へと足を向けた。


 生徒会室と表札の出ている特別教室の扉を開け、堂々と中に入った。帰宅部の俺にとって、放課後の大半を過ごすことになる生徒会室は、今日も呑気な空気だった。


「で、そこのスィーツが話題なんすよ」

「私もその話、聞きました」

「詳しく教えて!」


 生徒会室で初めに聞こえてきたのは、女生徒三人のきゃぴきゃぴとした、かしましさ溢れる会話だった。俺は特に他意はなく、礼儀として挨拶から入った。


「こんちわーっす」


 会話を続けていた三人も俺に気づいたようで、挨拶を返してくれる。


「こんにちは。五味君」

「こんにちはです。五味先輩」

「こんにちわーっす。センパイ」


 一番初めに返事が返ってきたのは、生徒会副会長の小原雪花の透き通るような声だった。小原さんは俺と同じ高等部二年生にして、「全久保ヶ丘学園生の姉」の異名を持つ包容力溢れる女生徒だ。そして、その包容力は精神的なもののみならず、肉体的にもとても豊満で、母性溢れる身体つきをしている。簡単に言うと、ボンキュッボン、だ。この春先には、学園に入学して間もない一年生男子を文字通り悩殺し、何人、何十人と告白、玉砕したらしい。少しパーマのかかった髪の毛がふんわりと空気をはらみ、柔らかく揺れていた。深く黒い瞳は、まるで見ている俺を吸い込むのではないかと思うほど印象的だ。


 次に返事をしてきたのは生徒会書記の鳳由紀恵だ。良家のお嬢様らしい彼女は、丁寧にこちらにお辞儀をして挨拶してくれた。頭を下げると、特徴的なストレートの黒髪ロングがはらりと肩から零れ落ちる。その様はとても美しかった。鳳さんはどちらかと言うと、知的女子で、この生徒会室で自主学習に励んでいるところを度々目にすることがある。


 最後に聞こえてきた元気な声は、生徒会会計の波川真美のものだ。陸上部に所属し、中長距離を専門としている彼女だが、放課後は生徒会の仕事を建前に部活をサボりがちである。それでも、許されるのは、天性の愛嬌の良さだった。動物で例えると、トイプードルなどの子犬を想起させる、ついつい守ってあげたくなるような可憐な女生徒だ。


 鳳さんと波川さんも、入学早々多くの二年、三年の男子生徒を突き動かし、告白、玉砕と相成った。同学年の一年生男子も、同じように散っていった。


 天性の異性キラー三人が、私立久保ヶ丘学園高等部生徒会のメンバーだった。


 そして、生徒会にはもう一人、生徒会長がいる。当然だな。その生徒会長様、一ノ谷廉也は奥まった生徒会長席に腰かけ、ゆっくりとコーヒーカップを傾けながら、放課後のグラウンドに目をやっていた。何とも気障な振舞いだが、廉也のその一連の所作は、見ている者を魅了する美しさがあった。まあ、男にこういった形容を使いたくないので黙っておくが。


 廉也も他の三人と同じく、異性キラーという特殊能力を持ち合わせていた。年下からも年上からも熱烈にアプローチされているらしいが、特定の人物と交際しているという話は聞いたことがない。本人曰く、「全ての女性が僕にとって天使だからさ」とのこと。若干ナルシストなのだが、それがネガティブ要素にならず、むしろ似つかわしいくらい整った顔立ちをしていた。


「廉也も、こんちわ! こんちわーっす!」


 返事が返ってこなかったのが気に入らなかったので、俺は執拗に廉也に声をかけた。


 俺の立て続けの挨拶に、廉也も俺に注意を払った。


「ああ、虎守か。ご苦労。早速だが、生徒会の仕事に取り掛かってくれ」

「へいへい。言われなくても」


 俺は適当に相槌を打ちながら、会長席から一番遠い座席に腰を下ろした。生徒会庶務。名実ともに生徒会の末席。ここが生徒会室で俺に与えられた居場所だった。予算案の紙の束を机の上に置く。そして、背負っていた学生カバンを下ろし、中から筆記用具を取り出す。授業で使う教科書類は学校のロッカーや引き出しに置いたままであるため、中身の少ない学生カバンはペタンコだ。机の袖から電卓を取り出し、その電源を入れる。電卓のディスプレイにはメーカーのロゴが一瞬だけ表示され、スタンバイ状態である「0」が映しだされる。


 特に必要はないのだが、俺は顔を上げ、今からやる仕事の内容を簡単に生徒会メンバーに報告する。まあ、情報共有というやつだ。情報は共有されるだけで、活用された試しはない。まあ、庶務の俺以上に仕事をこなす役職がいないのだから、当然といえば当然だ。


「来年度の各部の予算案が提出されました。その予算の妥当性の試算が、今日の俺の仕事です。廉也はいつも通り、最終チェックだけ頼む。小原さんたちは適当にくつろいでいてください」

「了解だ。仕事は任せる。僕はもう少し外を見ている。僕の確認が必要なら呼んでくれ」


 俺の方を一瞥すると、廉也は再びグラウンドの方に目を移した。何か興味深いものでもあるんだろうか?


「手伝いが必要なら呼んでくださいね」


 小原さんも一応はこちらに気を配ってくれているらしく、少しだけ申し訳なさそうにしながら、後輩の二人との会話に戻った。


 そう、この生徒会で真面目に働いているのは俺だけだった。

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