俺の高校生活にヒロインはいないのかよ

弗乃

私立久保ヶ丘学園高等部生徒会 (1)

 職員室で生徒会顧問の二階堂如月先生から、各部活動の予算案の紙の束を手渡された。A4サイズの紙がおよそ三十枚。厚みとしては数ミリといったところだ。俺は紙の束をパラパラと流し見しながら、一番上の項目である部名の欄に目を通す。


「これで全部ですか?」


 パッと見たところ、野球部やサッカー部、それに吹奏楽部などメジャーどころの部活動は提出しているようであるが、この私立久保ヶ丘学園はマイナーな部活動もいくつかあるため、俺もその全てを把握しているわけじゃない。チラチラ見た中にはボランティア部だのアマチュア無線部だの、その活動内容や規模が不明瞭すぎる部活動が多々あった。第零七二自力発電研究部なんて、何やっているか全くもって意味不明だ。本当だぞ?


 俺の質問に、二階堂先生は真っすぐ俺の方を向いて答えてくれる。


「天文部がまだ提出していません。今日中に生徒会室に直接提出するって、部長の結城さんから聞いています。部長会の議題にかける締め切りは来週頭までだから」


 二階堂先生は裸眼あるいはコンタクトレンズを着用しているため、真っすぐにその瞳が見えた。大きく、綺麗な瞳だった。大人の女性らしく、軽く化粧をしていて、恐らくだが地の目の大きさよりもずっと大きく着飾られていることだろう。


 二階堂先生はぎこちないウインクとともに「よろしくね」と俺にエールを送った。


 二階堂先生は身体のラインがよく分かるピッチリスーツを身にまとい、タイツを履いた長い足を組み替える。その姿が艶めかしい。まあ、三十歳手前の妙齢な独身女性からそんな熱烈なアプローチをされてしまうと、年齢差を考えずにはいられない。


 俺は体裁よく白々しい笑顔で返事をする。


「ごめんなさい。無理です」

「ちょ、ま、『無理です』って何よ。『無理です』って」


 二階堂先生はアタフタと動揺した。目尻には涙が浮かんでいる。


 しかし、これが年上の女性の余裕だろうか。最も、二階堂先生はその親しみやすさから生徒からの人気は高いのだが、こういった仕事の話になると頼りないというのも正直な話だ。


「いや、俺まだ高二で十七歳だし、三十歳の女性は――」

「失礼ね! まだ二十八よ! 一回りも離れていないわよ!」


 譲れないラインなのだろう、二階堂先生は必死に弁解した。


 正味十七年しか生きていない俺にとって、一回りどころか一つ二つ違うくらいで結構雰囲気が変わる気がするのだが、二十八年生きている女性にとっては一回りくらいは対した問題じゃないらしい。


 しかし、俺からしたら二つ年下、中学三年生を恋愛対象に見れるか、と問われれば、子供っぽく見えて恋愛対象ではないだろうな。 


 二階堂先生はギュッと拳を握り、力説する。


「ギリギリ……イケるわよ?」


 なぜ疑問文なのか分からないが、俺の返事は変わらない。


「無理です」


 無情に言い放つ俺だが、二階堂先生はオヨヨと泣き真似をしながら、身体を反転させ、隣の席の男性教師の方へ身体を向けた。その背中、白いブラウスにくっきりと下着のラインが浮かび上がる。ブラジャーは薄い水色のようだった。俺はそれを直視しないように気をつけつつ、こっそりと目端に焼き付ける。

 なぜかって? 恋愛対象にはならないが、性的な対象としてはドストライクだからだ。イエス、年上の美人お姉さん。いやあ、役得役得。女教師物、悪くないと思います。実に結構。


「あーん、北村先生、生徒が虐めるんですよー」


 あ、汚い。隣の北村先生に助けを求めやがった。


 北村先生も独身で、今年三十四歳になる男性教師だ。三十歳を過ぎ、両親からの結婚へのプレッシャーが厳しいと日頃から愚痴たれている。そんな北村先生にとって、年下のそれも美人の女教師からの救援は渡りに船だろう。いい印象を与える絶好のチャンスのはずだ。北村先生はズバッと立ち上がると、意気揚々と俺と二階堂先生の間に割って入り、俺の前に立ちふさがった。デカい。日頃から長身とその身につけた筋肉を自慢している体育教師だけあって、非常に威圧的だ。それに暑苦しい。十月に入り、軽く暖房の効いている職員室で、未だ半袖のポロシャツを着ているのは伊達じゃないようだ。ぴくぴくと胸筋が揺れた。ポロシャツの上からでも乳首の位置がはっきりと分かる。うへえ。見たくねえ。


「あーコホン。六組の五味だな。二階堂先生は素敵な女性、だぞ?」


 なんだ、その俺を間接的に用いた告白は? チラチラと後方の二階堂先生を気にしながら、しかし、しっかりと明言した。


 俺は呆れて言葉をなくす。一方、この告白を聞いた二階堂先生は大喜びだ。


「そーですー。私はまだまだイケてるんですー。五味君にはまだ年上の女性の良さが分からないだけなんですー」


 大きな北村先生の背中越しに、そーだそーだとはやし立てる。まるで子供のようなはしゃぎっぷりだ。


 二階堂先生のエールを受け、北村先生はジーンと感動している様子だ。天を仰いでいる。あれ? よく見ると、北村先生、嬉しくて震えてる?


 しかし、まあ、この場を適当に収めないと生徒会室に行くのが遅れそうだし、俺は適当に二階堂先生を煽ることにした。


「二階堂先生は年上の男性はどうなんですか? 例えば、同僚の男性教師とか?」


 ちょっと露骨過ぎたかな、と思わないでもないが、二階堂先生は割と天然な部分があるので問題ないだろう。


 その刹那、背筋に電流が走ったように、北村先生がビクついた。


 おいおい、下心が分かりやすいにもほどがあるだろ。俺の倍以上生きているんだから、もっと余裕を見せろよ。余裕を。そんなんだから、生徒の中には北村先生のことを「童貞先生」だの「魔法使い体育教師」だのと陰口叩かれるんだ。


 まあ、俺も年齢と彼女いない歴に等号が成立するので、大口を開けて非難することはできないのだが。


 二階堂先生は右手の人差し指をピタリと頬にあてがい、ちょっと考えるようなそぶりをした。その姿は中々に若々しく見えた。十代とは言えないが、二十代前半のような瑞々しさがあった。


「うーん。私は、年下がいいかなって。ほら、女性の方が平均寿命長いらしいし。それから、同僚はちょっとなー。ほら、家でも職場でも毎日顔合わせるのは、ちょっと、ねえ……」


 しかし、無情。二階堂先生は北村先生の好意に気づいていないし、その気もない。


 ピシッと北村先生の心が折れる音が聞こえた気がしたが、話にオチをつけるならちょうどいい場面だ。この場はやり過ごそう。


「そうですか。年下がお好みですか。じゃあ、俺は生徒会室で仕事があるので」


 俺は先ほど手渡された紙の束を分かりやすくヒラヒラ見せつけ、忙しさをアピールしたうえで、その場を後にすることにした。


 北村先生、ご愁傷様です。特に慰めるつもりはありませんが、心の中で詫びます。二階堂先生に変なこと聞いてすみませんでした。


「まったく、可愛げがありませんね。ねえ、北村先生。あれ、北村先生? おーい?」


 忘我の北村先生と天然の二階堂先生を残し、俺は職員室出入口へ足を向けた。


 放課後の職員室だが、教師の姿はまばらで、放課後の部活動や課外活動で忙しいようだ。全教師のうち、職員室で放課後を過ごしているのは二割ほどだろうか。それでも、お偉いさんである学園長や教頭先生といった面々は忙しそうに書類を片付けている。ご苦労なことだ。


 俺は空席の多いデスクの隙間を足早に抜け、職員室を後にする。

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