第2話 あこがれの大黒静香の弾き語り

「もうすぐ、一緒になると思う」

 彩野は急に眼を丸くした。

「それは、随分と急展開だな」

「ち、ちがう。五霞町と幸手市の話だよ」

「なんだ、市町村合併の話だったのか」

 そこで、他のサークルメンバーについての話題となった。朝倉、涌井、富田は大手企業選考で不採用が続き、3人で起業することを話し合っているそうだ。同様に、彩野と一色も希望する商社の面接で不採用となり、政治事務所への就職へ切り替えて就職活動していた。就職氷河期だったのである。

「そういえば、今日、キャンパスで五十嵐さんと大黒さんが一緒だったよね。大黒さんってどこに就職するのかな?」

「地元らしいよ。何とか商事とかいっていたと思う。親族経営の会社らしいよ」

「へー、そうなんだ。大黒さんの地元ってどこなんらだろう」

「春日部の方らしいよ」

 そこで、一色は彩野に詰め寄った。小声で話した。

「さっきから、大黒さんの話の話ばかり聞いてくるけど、どうしたんだい?」

「いや、その・・・」

 彩野が言いよどんだ時、二人のテーブルの横に、弾き語りの女性が現れた。

「あら、私のこと話してたのかしら?」

 そこに立っていたのはアコースティックギターを携えた大黒静香であった。

「ええ、どうしてここにいるの?」

「そのギターは何?」

 突然の大黒の出現に驚く二人。

「わたし、ここで弾き語りのバイトをしてるのよ。一曲、無料で弾いてあげるわ。何かアンコールはあるかしら?リクエストが多いのはパフィーとか、ミーシャとか、グリングリンとかかしら・・・」

 ほろ酔い状態の二人に合わせて大黒は上機嫌な様子だ。

「そうか、だったら・・・」

 一色が「グリーングリーン」をリクエストした。大黒がギターを弾き始めようとしたときだった。大黒は急に後ろを振り返った。店の外の駐車場でライトが何個も動いているのが見えた。

 ふと、店の外の様子を見に行った大黒は、血相を変えて戻ってきた。

「メシアが、メシアが来るから早く逃げて」

「メシアってなに?」

「暴走族の名前よ!この店にDZUのリーダーがいるから襲撃に来たのよ!!」

 店の表にはさらに多くの大型バイクが集まり、爆音が響き始めていた。ほどなくして、革ジャンに身を固めたゴロツキたちが店内に乱入してきた。手には鉄パイプやバットなどの武器を所持している。

「早く、裏口から」

 大黒が彩野の手をつかんで裏口へ誘導した。大黒は彩野の手を握りしめていた。裏口から逃げるまでの間、やわらかな感触が彩野の右手を包んでいた。


 彩野が生まれ育った町は練馬区新泉町である。新泉町は、新座市の中に存在する練馬区で、いわゆる飛び地である。この地区のためだけに都が上下水道を用意することはない。水道は新座市が肩代わりしている。一方でゴミ収集車は練馬区側から越境してやってくる。路上から見える電柱の住所、マンホールの蓋、消火器などはすべて練馬区の表記となっている。

 新座市の中の練馬区。これは、彩野の帰属意識を複雑にさせていた。俺は埼玉県民なのか、東京都民なのか?どっちなのか。彩野の心はいつも揺れていた。

 しかし、この日、彩野は密かに思った。この人と同じ埼玉なら、埼玉も悪くないなと。

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