第6話 はじまりの骨 四.

 十一月中旬に入ったころ、ついに、砂浜に工事のひとたちが来た。

 

 放課後、いつものルートで砂浜に行くと、作業着を着た数人の男性が、なにかを話し合っているのが見えた。

 彼らの近くには、数基のショベルカーと、トラックがとめられている。

 

 わたしは身を低くして、こっそりと近づく。

 ナシャルの姿を探した。


「あっ」


 彼女は、汽水域のそばに立っていた。

 

 さびしそうに、じっと作業員たちを見つめている。

 ひとりが彼女に気づいて、なにか数言、声をかけた。

 

 おそらく、「立ち入り禁止です」と伝えたのだろう。

 だが、彼女がだまっているので、困ってしまったようだ。

 作業員は怪訝な顔をして、ふたたび、仲間の輪の中にもどっていった。


「ナシャル」


 わたしは小声で、彼女を呼んだ。

 彼女はこちらを向いて、元気なくほほ笑んだ。

 

 ひとまずわたしは、彼女の手を引いて、作業員たちから見えない位置に、彼女を連れた。

 橋梁の下にある大きな石に、わたしたちは並んで座った。

 

 ふたりとも、うつむいていた。

 こうなることは、わかっていた。

 でも、実際にそのときを目の当たりにすると、ショックで、言葉がでない。

 彼女を励まさなければならないのに。


 ふいに、とん、と、肩をたたかれる。

 顔を上げると、彼女は、ボードをわたしに見せた。


『わたし、しってた』


「えっ」


 彼女は、ボードに重ねていたノートを、わたしに差しだした。

 やさしい目が、読んで、といっている。

 

 わたしはノートを受け取り、表紙を開いた。

 彼女の丸っこい字が、たくさん書かれていた。



『ふゆに、すなはまが、なくなること。

 うみどりにきいて、しっていました。


 ごめんなさい。


 わたしが、さがしているっていった、あのひとの、ほね。

 それは、あのひとの、ひだりての、くすりゆびの、ほね。


 ほんとうは、もう、もっていたんです。

 

 わたしは、そのほねのおもいでをみるのが、こわかった。


 あのひとに、ぷろぽーずされたひの、おもいで。


 わたしが、ほんとうは、にんぎょだったということ。


 こうかいに、けっちゃくをつけて、みらいへ、むかわなきゃ。


 あたまでは、そう、わかっているのに。


 たとえ、おもいでのなかででも、あのひとに、きょぜつされてしまったら……。


 そうおもうと、こわくて、こわくて、どうしようもなかった。


 ずっと、かくごが、できなかった。


 でも。


 ゆきにであえて、ようやく、ゆうきをもてました。


 わたしはずっと、あのすなはまで、ゆうきをさがしていたんです。


 それは、わたしひとりでは、けっしてみつけることのできなかった、ゆうき。

 

 わたしは、だれかに、さいごを、みとどけてほしかった。

 

 そのだれかは、だれでもいいわけでは、なくて。

 

 わたしの、たいせつな、ともだち。

 

 ゆき。

 あなたが、いいんです。


 ゆきに、わたしを、みまもっていてほしい。

 ゆきに、わたしを、みとどけてほしい。

 

 ゆきが、そばにいてくれるなら。

 わたしは、あのひとに、ほんとうのことを、うちあけられる』



 メッセージを読み終え、わたしは、彼女を見た。

 彼女は、ほほ笑んでいた。


「ナシャル」


 ああ、と思う。


 わたしと彼女は、もう、お別れをしないといけない。


 一緒には、いられない。


 漠然と、そう悟る。


 砂浜がなくなり、汽水域が暗渠になるのと同時に、彼女は、わたしの前から、いなくなってしまうのだ。


「どこにいっちゃうの?」


 彼女は、ほほ笑んだままだ。


「いかないで」


 わたしの声は、ふるえていた。


「いやだよ。いかないで」


 彼女は、首を左右に振り、ボードにペンを走らせる。


『ゆきが、わたしを、おぼえていてくれるなら』


『わたしは、どこにも、いかないよ』


 その言葉に、どきん、と、心臓がはねる。


 まるで……まるで遺言のような、その言葉。


「泡になってしまうの?」


 アンデルセン童話集の『人魚姫』が思い起こされる。


「人魚は、大切な人から愛を注がれなければ、泡になってしまうんでしょ?」


 おそろしい憶測が、次々に口からこぼれ出る。


「ナシャル……あなたは、骨に頬ずりしているとき、思い出の中で、大切な人から、愛を受けていた。だからずっと、人間の姿のままでいることができた。……でも、もし、あなたの秘密を、相手が受け入れてくれなかったら。そうしたら、あなたへの愛が、途切れて……」


 からだがふるえた。

 

 その先は、声にならなかった。

 

 わたしの話を、彼女は変わらない表情で聞いた。

 身を寄せて、わたしの背をなでた。

 

 励ますつもりが、励まされている。

 自分が情けなかった。

 

 なにを言っても仕方がないし、言えば言うほど彼女をくるしめると、わかっている。

 それでも言わなければ、栓が抜けて、すぐに涙があふれそうだった。

 

 わたしの推測は、当たっているのだろう。

 彼女は、すべて承知の上で、わたしにメッセージを書いた。

 恐怖と葛藤に勝つための一歩を、わたしに見せてくれた。

 

 そうだ。

 だから、言っているじゃないか。

 

 彼女は、覚悟をしたのだ。


              ◇


 帰りがとても遅くなる、と、おばあちゃんに電話をした。


 わたしたちは、橋梁の下でおしゃべりをした。

 ひおうぎ貝から真珠がこぼれてびっくりしたこと、お弁当を食べたこと、一緒に星を拾ったこと、汽水域の中でお昼寝をしたこと……春の出会いから今日のことまで、覚えている限り、ふたりの記憶をなぞる。

 どの出来事も、まるで昨日のことのように思い出せる。

 

 やがて陽がしずみ、夜になった。

 車のエンジン音がして、しだいに遠のいていく。

 作業員のひとたちが帰ったのだろう。

 

 うす暗闇の中、わたしたちは、汽水域の前に立った。

 

 ナシャルは、シャコ貝の宝箱から、一本の骨を取り出した。

 見たことがある、チェスの駒くらいの大きさの骨。

 

 たいせつなひとの左手、薬指の骨の一節だ。

 

 波の音が大きく聞こえる。

 わたしとナシャルは、手をつないだ。

 

 わたしたちの手は、つめたかった。

 冬のはしりにあるのに、それがどうしようもなく心地いい。

 わたしたちは、ほほ笑みを交わした。

 

 さよならは言わない。

 彼女は消えない。

 ただ、海に帰るだけだ。

 そう信じていた。

 

 ナシャルは、深く息を吸い込んだ。

 わたしとつなぐ手に、力が入る。

 彼女は、もう片方の手に持った骨を、ゆっくりと、頬にあてた。



 ぱっ、と、あたりが昼のように明るくなって、わたしは目を細めた。


 さんさんと陽の光る空に、入道雲がふくれあがっている。

 青々とした海が、きらきらとかがやいていた。

 

 目の前に、ナシャルと、背の高い男性が立っていた。

 精悍な顔をしており、二十代後半くらいにみえる。

 青い景色の中でもはっきりとわかるくらい、頬が赤い。

 

 そして、彼の前のナシャルもまた、頬を染めていた。

 右手のひらを左胸にあてて、頭ひとつ低いところから、彼の瞳を見つめていた。

 

 男性が、深呼吸をする。

 意を決したように、彼女に、なにかを伝えた。

 

 彼女は、びくり、と、ふるえた。

 怯える子犬のような顔をして、不安げに、わたしを見た。

 

 わたしは、両こぶしを握って、さけんだ。

 

 見ているよ。

 

 がんばれ。

 

 がんばれ。

 

 がんばれ。

 

 声を出しているつもりなのに、出ていない。

 ただ、わたしの口だけが、大きく、ぱくぱくと動いただけだ。

 

 それでも、彼女は、こっくりとうなずいた。

 

 彼に向きなおり、目を閉じる。

 左胸においた右手が、ぎゅっと、固まる。

 

 目を開けて、彼の瞳を、ふたたび見つめた。

 

 そして、


「わたし、あのときの、人魚なの」


 初めて、彼女の声を聞いた。

 風鈴のように、澄んだ、うつくしい声だった。


 男性は、目を見開いた。

 彼女は、視線をそらさなかった。


 男性が、口を開く。

 彼女に、声をかける。



 次にまばたきをしたとき、あたりはまた、暗くなっていた。

 

 波の音がある。

 つめたい潮風が吹く。

 わたしは周囲を見回した。


 ナシャルの姿がなかった。

 

 足元に、さっきまで彼女が持っていた、骨が落ちていた。


「ああっ、ナシャル。いってしまったのね」


 わたしは、彼女のたいせつなひとの骨を、胸に抱いた。

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