第6話 はじまりの骨 二.
土曜日の十一時。
砂浜へ出かける支度をしていると、ジーンズのうしろポケットに入れたスマホが振動した。
生駒くんから、メッセージだ。
『森下。今、家?』
「うん。どうしたの?」
『窓、開けてん』
わたしは不思議に思いながら、丸窓を開けた。
すると、「わっ!」と言いながら、横からひょっこりと生駒くんが姿を見せた。
隠れていたらしい。わたしは驚き、たまらず悲鳴を上げてしまった。
彼はお腹を抱え、大きく笑った。
「キャーッ、って、おまえ。あはははは」
「い、い、生駒くん。なんで」
お祭りの太鼓のように、胸がどきどきし始める。
「いや、急にすまん。スーパーに行った帰りでよ、ちょっと聞きたいことがあって」
彼はビニール袋を掲げた。
「大福買ってきたんだけど、どう?」
「う、うん。じゃあ、表に回って」
わたしは玄関から彼を家に上げ、部屋に案内する。
来客に気づいたおばあちゃんが、居間から顔を出して、「あら、おともだち?」と、うれしそうに言う。
彼は頭を下げ、「おじゃまします」と言った。
「ジュース持ってこようか? あ、ケーキもあるっちゃが」
「お、おばあちゃんは、なにもしなくていいから」
わたしはおばあちゃんに、少し強めの口調で言った。
「そうねえ」と、おばあちゃんはほほ笑んだ。
「そこが、ぼくの部屋。お茶を淹れてくるから、先に入ってて」
わたしは彼を部屋に入れ、廊下を駆けた。
台所で緑茶を淹れている間も、気が気じゃない。
なにか見られてまずいものはなかったか……と考えて、あっ! と、ふるえる。
机上のマスコットが、そのままだった……!
お盆に載せた緑茶をこぼさないよう、細心の注意を払いながら、早足でわたしは部屋にもどる。
戸を開けると、机の前に立った彼が、くじらのマスコットを手に取って、興味深そうにながめていた。
「あっ、あっ!」
わたしはしどろもどろになりながら、テーブルにお盆を置いて、
「そ、それはね、あの、おばあちゃんが、くれて。おばあちゃん、そういうの、好きで、いらないっていうんだけどさ、むりやり」
わたわたと弁解すると、彼は「ふうん?」と、ふくみのある笑顔を返した。
それからお茶を飲み、大福をちょっと食べる。
見慣れている部屋に、見慣れていない彼がいる。
勝手知ったる空間に、彼の姿が浮いている。
痛いほど、心臓が高鳴っていた。
「あの……それで、今日はどうしたの?」
「これ」
彼は、たずさえていたスポーツバッグから、作成中のお守りを出した。
ほとんどできあがっていて、あとは紐を通すだけだった。
「最後に、紐を通すやろ? で、その紐の、二重叶え結びっていうのが、いくらやってもできなくて」
彼は頭をかいた。
「これができれば、完成やっちゃけど。教えてくれん?」
「うん」
わたしは彼から、朱色の太い紐を受け取り、二重叶え結びをしてみせた。
できあがったものを前に、彼は納得したようにうなずく。
そして、
「ほんと、ごめんやっちゃけど……。ほどいてくれんかね?」
そういうところが、すてきだった。
この紐を通せば、お守りはできあがる。
しかし彼は、最後まで、自分の手でつくりあげようとしている。
それは、彼が、彼の母に対して、真心をこめようとしているからだ。
わたしがほどいた紐を手に、彼は懸命に、二重叶え結びを再現しようとする。
わたしの助言を聞きながら、たっぷりの時間をかけて、ようやく、きれいな結び目をつくった。
「できた!」
彼は紐を見つめ、子どものように瞳をかがやかせた。
あとは、紐を生地に通せば、お守りができあがる。
その前に、彼は、テーブルにボール紙を置いた。お守りに入るサイズに切ってあるものだ。
彼はその紙に、ペンを走らせて、『逆転勝利』と書いた。
「よし」
彼は満足そうに息をはくと、紙を生地の中に入れ、紐を通した。
ついに完成したお守りをかかげて、「完成!」と言った。
「逆転勝利って、なに?」
「俺、後攻が好きなっつよ。どんでん返しで勝つのが気持ちよくて」
「うん」
「病気だってわかっても、最後に勝てば問題なし。これは、逆転勝利のためのお守
りよ」
彼は、お守りを大切にバッグにしまって、ほほ笑んだ。
「ありがとう、森下」
彼のやさしさがいっぱいに詰まったお守りは、きっと彼のお母さんの力になるだろう。
少しでもその力の一助になれていることが、誇らしかった。
「おまえがいてくれて、ほんと、よかったよ」
そのきらめくまなざしに、わたしの心はどこまでも踊る。
隠し続けると決めている恋心が、ぷくぷくと脈打った。
彼が好きだった。
◇
……と、彼のお守りの完成をよろこんでいる場合ではない。
十一月に入ったのに、わたしは予想以上に、セーターづくりに苦戦していた。
思った以上に、編み込みがむずかしい。
胸からお腹にかけてのケーブル模様が、どうしてもゆがんでしまうのだ。
現状はまだ、八割もできていなかった。
焦りがつのる。
生駒くんの誕生日の十一月二十二日までに、なんとか完成させなくてはならないのに。
砂浜から帰り、夕食とお風呂をすませると、わたしはすぐに部屋にこもり、作業をした。
気持ちをこめて、ていねいに、ちくちくと編んでいく。
しかし、上手にできない。
よれた毛糸をほどきながら、泣きたくなってくる。
それでも彼のよろこぶ顔を想像して、気持ちをふるいたたせ、寝る間も惜しんで手を動かした。
『そこは、もう少し距離をとって、ざっくり編んだほうがいいかも』
行きづまるたびに、筒見さんに問題の箇所を撮った写真を送って、助言を求める。
『たぶん、慎重になりすぎてるんだと思う。だから、糸がギュッとしちゃうんだよ』
「そっか。わかった、ありがとう」
『うん。がんばって!』
わたしが困ってメッセージを送ると、彼女はいつも、すぐに返信をくれる。
それどころか、学校にいるときも、わたしに付きあってくれる。
自分の時間を割いて、わたしの編み物を見てくれるのだ。
彼女がいなければ、わたしはとうに投げ出してしまっていただろう。
無事にセーターができあがったら、きっとお礼をしようとわたしは誓った。
ひとつのことに没頭していると、地球の自転が壊れてしまったと思えるくらい、時間の流れが早くなる。
目まぐるしく過ぎる秋の日々の中、亀の歩幅で、作業は続く。
ナシャルの前でも、例外ではない。
『いこまくん、よろこぶといいね』
東屋で編んでいると、彼女がボードを見せて、にこにこしていた。
わたしは驚いた。
完成後にこのセーターをどうするかなんて、彼女には言っていない。
「どうして生駒くんにあげるってわかったの?」
『だって。あんでるとき、ゆきのほっぺた、あかいから』
「え……ほんと?」
彼女は笑顔でうなずく。
恥ずかしくて、手を止める。
「……彼。よろこんで、くれるかな」
うん、うん、うん、うん、うん。
彼女は真面目な顔をして、まるで赤べこみたいに、何度もうなずいた。それが滑稽で、わたしは笑った。
焦燥感にさいなまれながらも、自信を失わずにすんでいるのは、彼女たちの支えがあるからだ。
寝不足でくらくらするけれど、もうひとふんばりだと自分を鼓舞して、夜なべを続けた。
そして、十一月二十二日の朝。
ついに、納得のいくセーターができあがった。
ぎりぎりだった。彼の誕生日当日だ。
あらかじめ用意していた星柄の包装紙でラッピングして、『Happy birthday』のシールを貼る。
すべてが仕上がったプレゼントは、きらきらと光をこぼしているように見えた。
上手に渡せるだろうか。どきどきする。
大切に鞄に忍ばせて、家を出た。
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