第6話 はじまりの骨
第6話 はじまりの骨 一.
土にかえった蝉たちへの鎮魂歌のように、秋の虫が鳴き始めた。
風も空も、夏の色をうすくして、新しい季節のよそおいになっていく。
あんなにふくれていた雲も、今はすっかり大人しく、ほうきで掃いたようになっていた。
あと数日もすれば、十月がやって来る。
骨を拾い、セーターをつくる日々が続く。
それはわたしにとって、安寧の日々だった。
変わりがないからこそ、安心して、男性と女性の切り替えができる。
ただ、仮面をつけたり外したりの生活の中で、自分の輪郭が徐々にぼやけていくような感覚があった。
「森下くんって、なんか、ほかの男子と違うようね」
ある日の昼休みに、教室で筒見さんと編み物をしているときだった。
彼女は唐突にそう言って、赤くなってうつむいた。
言ったあとで、恥ずかしくなったようだ。
「そうかな」と、わたしは答える。
彼女はかぎ針を動かしながら、わたしを見ずにうなずいた。
「……わたしね。ほんとのこと言うと、男子が苦手だったの。なんか、こわくて……」
「そっか」
「うん。でも、森下くんは、こわくない」
「なんでかな」
「やわらかいから」
「やわらかい?」
彼女は、いっそうに赤くなる。
「なんか、雰囲気が、やわらかい。やさしい、って言葉が、あてはまるのかな。でも、ううん。なんか、しっくりこない……」
彼女は手を止めずに、ぽつぽつとつぶやく。
「あっ」と、思いついたように口を開いた。
「そうだ。森下くんは、女の子みたいなんだ」
「えっ」
ハッと、彼女の顔を見る。
彼女はあわてて、「あ、いや、ちがうの」と、首を左右に振った。
「ごめんね、気を悪くしないで。女の子みたいに、話しやすい、っていうか……」
それからまた、彼女はうつむいた。
わたしは、黙っていた。
気を悪くしないで、か。
女の子みたいと言われるのは、本当はうれしいはずだった。
でも、なぜだろう。
そんなに、うれしくなかった。
◇
町の木々が秋の絵の具に染まり、すずしいよりもつめたい風が吹き始めた。
十月初旬のある夜、自室でセーターづくりを進めていると、スマホが鳴った。
見ると、生駒くんからメッセージが入っている。
『頼みがあるっちゃけど』
彼からメッセージが来るのは初めてではない。
けれど、来るたび、初めてのようにうれしい。
わたしはかぎ針を置いて、すぐに返信した。
「どうしたの?」
既読がついて、
『実は、今度、おふくろが入院することになって』
えっ、と、思わず声が出る。
「大丈夫なの?」
『ああ。ただの盲腸だよ』
よかった、と、息がもれる。
『それでさ。恥ずかしいっちゃけどよ……』
少しの間。
『おまもりを、つくってやりたくて』
なるほど、と思う。
また少しの間があって、
『つくりかた、教えてくれん?』
「もちろん!」
そうくると予想していたわたしは、あらかじめ打っていたメッセージを間髪入れずに送信した。
『返事はやっ』
彼から、うさぎのキャラクターが笑っているスタンプが届く。
「明日、学校で詳しく話そうよ。どんなおまもりにしたいか、聞かせて」
『わかった。ありがとう!』
彼とのメッセージを終えて、わたしはスマホを胸に抱いた。
自然にからだが左右に動いて、鼻歌がもれた。
卓上の時計は、午後十時三十二分を指している。
早く明日が来ないかな、と思った。
◇
わたしと、筒見さんと、生駒くん。
わたしたち三人は、昼休みに手芸をするようになった。
わたしと筒見さんはセーターを、生駒くんはお母さんへのお守りをつくるのだ。
おもしろかったのは、あれだけ野球が達者な生駒くんが、手芸はからきしだったこと。
彼はとても不器用で、なんども指を針で刺しては悲鳴を上げた。
「こんな細かいこと、ふたりともよくできるなあ」
指をくわえながら、彼はもごもごと言った。
彼の前には、縫いかけの、星柄の生地がある。
彼は、わたしたちが野球部員につくったようなマスコット型ではなく、オーソドックスなお守りをつくっていた。
ただ、どうにも縫い方が荒くて、見た目がよくない。
本来なら簡単な行程でできるはずなのに、あんまり不器用なので、なかなかうまくいっていなかった。
「これって、ほんとにすごい技術でつくられたんだなあ」
彼は、かたわらに置いていたスポーツバッグを持ち上げて、側面につけたお守りを見せた。
わたしがつくったお守りだ。
「生駒くんも、慣れたらできるよ」
「それにしたって、森下くんは筋がよかったけどね」
筒見さんが笑う。
「まるで、前からやっていたみたいに」
「まさか」
わたしは苦く笑った。「たまたまだよ」と、嘘をつく。
「なあ。ここって、どう縫い返したらいいと?」
彼が、お守りの角をわたしに示す。
わたしはお守りを受け取って、針の入れ方を少しだけ実践する。
わたしの説明を、彼はふむふむとうなずきながら聞いた。
「生駒くんと森下くんって、ほんと、仲良しだね」
わたしたちのやりとりを見ながら、筒見さんがほほ笑んだ。
「いつも一緒にいる、ってわけじゃないのに、親友、って感じ」
「いやあ。なんか、話やすいとよね、森下って」
彼は後ろ頭をかいた。
「なんていうとかな。物腰やわらか、っていうか」
「あっ。私もこないだ、同じことを森下くんに言ったんだよ」
「そうやと?」
「うん。森下くんはやさしくて、やわらかいね、って」
わたしは恐縮してちぢこまり、額の汗をぬぐった。
そんなわたしを見て、ふたりは愉快そうな顔をした。
「縁が」
針を持ち、彼がお守りに糸を通す。
「この三人の縁がよ。卒業しても、いつまでも続けばいいよな」
「なあに」と、筒見さんがふき出す。
「卒業って。まだ二年生だよ、私たち」
「わかってるよ。でも、言っておきたいことは早めに言っておいたって、損はないっつよ」
あはは、と、わたしたちは笑う。
秋の螺旋の上で、にぎやかな昼休みが続く。
時おり入るクラスメイトからの茶々も、まるでこたえない。
仮面も、その中身も、わたしは笑顔だった。
このまま彼のお守りが完成しなければいいのに……そんなひどいことを思ってしまうくらい、幸せだった。
◇
空がひときわ高かったその日、放課後の砂浜でめずらしいことがあった。
骨探しを終え、堤防でひと息ついていたとき、ナシャルがわたしにお願いごとをしたのだ。
『のーとと、ぺんを、もらえないかな』
わたしがおせっかいでなにかをあげることはあっても、彼女がわたしに特定のものを要求するのは初めてだった。
とても意外で、また、彼女が頼ってくれたことが、よろこばしかった。
「もちろん。どんなノートがいい?」
『どんなのでも。ちいさくて、だいじょうぶ』
「ペンは?」
『ぼーどようのやつより、ほそいやつ』
「わかった。明日、持ってくるね」
わたしがうなずくと、彼女は、ポケットから数個の真珠を取り出して、わたしに差
しだした。
「いいって」
彼女は首を左右に振る。
お、れ、い、と口を開く。
「ううん。わたしはもう、たくさんお礼をもらってるよ』
彼女はきょとんとする。
あなたがここにいてくれることで、わたしがどれだけ自由になれているか……その
想いは、言の葉にはしない。舌をはなれた途端、風に軽く飛んでいってしまいそうだから、大切に秘めておきたかった。
だから、
「ほら、ひおうぎ貝の真珠。あれでもう、お礼はめいっぱい受け取ってるから」
彼女は納得いかないように、くちびるをとがらせる。
「そんな顔したって、受け取りませーん」
わたしは、いじわるに笑った。
海の深い青に、空からしたたる濃いむらさき色がにじんでいる。
水平線の向こうに、秋の夜があった。
あと何度、この砂浜から、夕方と夜の境目を見ることができるだろう。
埋め立て工事の開始日が迫っている。
わたしはまだ、そのことを言い出せずにいる。
はやく、そのあとのことを話しあわなければいけないのに。
わたしはもう一度、おばあちゃんちに来ないかと、彼女に提案するつもりだった。
行く場所がないのなら、わたしとずっと一緒にいてほしい。
そうして、この砂浜で、汽水域でしていたように、おしゃべりをして、お菓子を食べて、笑いあっていたい。
明日こそは、明日こそは打ち明けようと、決意する。
でも、その決意は、いとしそうに骨に頬ずりをする彼女の横顔を見て、いつも霧散してしまう。
そのうちに、べつだん、わたしが言い出さなくてもいいのではないか、という気持ちが生まれてしまった。
あと数日もすればきっと、砂浜に、工事の人が来るだろう。
その人に、役目を担ってもらえばいい。
そしてわたしは、落ち込む彼女に、そっと寄り添ってあげる。
そう。
べつに、わたしが無理をして、彼女をかなしませる必要はないのだ。
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