第3話 もうひとりの人魚 四.

 ずいぶん陽が長くなった。

 十七時の海はいまだ青々として、暮れとは無縁の色で躍動している。

 今日は風が強いので、波が高い。


「……って、ことがあったの」


 汽水域に流れ着いた切り株に腰かけて、わたしは、今日の生駒くんのことを、ナシャルに話していた。


 彼女には日頃から、学校生活のことを話している。

 それは自発的にそうしているのではなく、彼女が訊いてくるからで、わたしは渋々答えるのだけれど、はからずも饒舌になってしまうときというのがあった。

 生駒くんと、たくさん関われた日だ。


「かっこつけてる、とかじゃなくて。自分で言うのが滑稽だってわかっていながら、ユーモアと自信を織り交ぜて、彼はああいうことを言うんだ。しかも、冗談みたいに言ったことを、本当に実現できるくらいの力が、彼にはある。それが……それが、すごくかっこいいの」


 わたしは、「勝ち上がる」と言って笑った彼の顔を思い描いた。


「はあ……」


 うふふ、とナシャルは笑う。


『ゆき、いこまくんのはなしをするとき、すごくうれしそう』


 血が集まって、ぽっ、と顔が赤くなるのがわかる。


「だって、仕方ないじゃん……」


『ゆき、りんごみたい。かわいい』


「もう、ナシャル!」


 わたしが怒った顔をすると、ナシャルは愉快そうに笑った。


 誰かと、恋の話ができる。

 それが、どれだけ幸せなことか。

 

 ずっとあこがれていた。

 この時間が、いつまでも続けばいい。


『いいひとにであえて、よかったね』


「うん。ナシャルは、どうやって相手の人と出会ったの?」


『あみにひっかかったのを、たすけてもらった』


「網?」


『あのひとは、りょうし、だったから』


 彼女はほほ笑んで、出会いの日を懐かしむように、遠い目をした。


『そのときは、すぐに、うみへ、にげちゃったけど』


『わたしは、あのひとが、だいすきになった』


『もう、ずいぶん、むかしのこと』


 人間の見た目だと二十代前半くらいにみえるが、教えてもらったところによると、彼女はもう百五十年くらい生きているらしい。


「その人とつきあうために、人間の姿になったの?」


 彼女はうなずく。


「どうやって?」


『うみの、まじょに、たのんで』


「もしかして、声と引き換えに?」


 ナシャルは、目を丸くする。

 どうしてわかったの、と言っているよう。

 わかるもなにも、それは小さいころに見た、人魚姫のアニメの通りだ。


『どうしても、あのひとに、ふりむいてほしかった』


『こえなんか、おしくなかった』


『にんげんになれたら、あのひとと、いられるから』


 ナシャルは、頬を赤くする。

 彼女の恋心が伝染したのだろうか、わたしもどきどきした。


『ゆきは、いこまくんの、どこがすき?』


「えっ。そんなの、言えないよ……」


『ずるい。わたし、はなした』


「ううん……」


 苦笑いするわたしを、彼女が肩で押してくる。

 白い指で、わたしのわきを、つんつん、とつついた。


「や、やめて!」


 くすぐったくて、身じろぎする。

 しかし彼女は聞かずに、たのしそうにつついてくる。

 彼女はたまに、そういういじわるをするのだ。

 

 ため息とともに、観念した。


「どこが好き、かあ。……たくさん、たくさん、あるんだけどね」


 ザア、と、波がひときわ音を立てる。

 心にしまっていた思い出を、ひとつひとつ解いていく。

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