第3話 もうひとりの人魚 三.
梅雨が明けた町を、群青の空がおおう。
たっぷりと雨露を飲んだ草花はいきいきと輝き、南風にも動じない積乱雲が、夏のおとずれを告げていた。
七月の学校は、にわかに色めきだっていた。
というのも、夏の甲子園に続く地方大会で、野球部が快進撃をみせていたのだ。
「もし甲子園出場が決まれば、何十年ぶりのことだろう……!」
例年の野球部は、一回戦で早々に負けてしまうらしい。
しかし現在は、三回戦まで進出。
しかも、前二戦は、大差での勝利を収めていた。
この健闘に、生徒も教師も、期待に胸を膨らませずにはいられない。
とりわけ、部の躍進を誰よりも支えている生駒くんのクラスメイトたちの間には、大きな興奮が渦巻いていた。
「生駒、ほんとにすげえわ!」
気にしないようにしていても、彼への賛辞が耳に入る。
「投げて打っての、大活躍! うちが勝ててるのは、間違いなく生駒のおかげ!」
休み時間になると、ほかのクラスの生徒たちが生駒くんのもとに来る。
女子だけでなく、男子もだ。
それほど、彼には人気がある。
今や彼は、学校一の有名人だった。
「なんか、グッズをつくらん?」
ある日の帰りのホームルームで、女子のひとりがそんな提案をした。
「野球部の、応援グッズ。せっかく生駒くんと同じクラスやっちゃかい、そういうの、わたしたちが率先してやらん?」
クラスメイトたちは、次々に賛成の声をあげる。
「いい考えだ」と、先生も賛同した。
そうして急遽、どんなグッズを作るべきかという議題の、学級会が行われた。
Tシャツ、旗、うちわ、メガホン……。
みんなの色々なアイデアが、黒板に書かれていく。
やがて多数決がとられ、「野球部員へのお守り」が一番に票を集めた。
「お守りか」
先生が腕を組み、むずかしそうな顔をする。
「業者に頼めばいいっちゃろか……」
「あっ、そうだ」
ふと、竹田くんがわたしの方を見た。
「森下。おまえが持ってたあのカニのマスコット」
「えっ」
突然にクラス中の視線が向いて、わたしはうろたえた。
「ほら。前におまえが持ってきてた、おばあちゃんがつくったってやつ」
「う、うん……」
「お守りも、手作りできるんじゃねえ? 全員じゃなくて、レギュラーの分だけでもさ」
「なるほど、手作りか」
先生がうなずく。
「それならあまりお金もかからなそうだし、いいかもな」
「うちのクラスで、そういうのができるやつって、いる?」
竹田くんが、クラスを見回す。
「えー」「むり」と、みんなが声を上げる。
竹田くんはため息をつき、ふたたびわたしを見て、
「じゃあ……森下のおばあちゃんに、頼めない?」
「駄目だろ」
そう答えたのは、わたしではなく、生駒くんだ。
「それは、迷惑のかけすぎだ。いいって、グッズは。みんなの気持ちは伝わってるから」
「ううん、そうか……?」
「そうだよ。ごめんな、森下」
生駒くんは、苦笑いを浮かべて、申し訳なさそうにわたしに言った。
ずきり、と胸が痛む。
そんな顔を向けないでほしい。
わたしがなにかをすることで、彼がよろこんでくれるなら、なんだってしたい。
その想いが、自然に口を開かせていた。
「できる、かも……」
「え?」
竹田くんが、瞳をかがやかせる。
「あ、いや、あの。ぼくも、おばあちゃんを手伝えば……」
「森下、そういうのできると?」
「あっ。ほんの少し、だけなら……」
「それにしたって、九人分をぜんぶ森下くんに任せるのは、かわいそうやわ」
先生が、助け舟を出す。
「手芸に明るい女子、本当にいないと? 裁縫が得意な人は」
「先生。いまどき、女子だからって裁縫ができるとか、そういうのはいかん」
女子のひとりが言って、笑いが起きる。
先生は面目なさそうに、後ろ頭をかいた。
「森下、ほかに頼れそうな人はおらん? ばあちゃんの知り合いとかさ」
竹田くんが言う。
生駒くんは、ずっとわたしを見ている。
体が熱い。
助けを求めて視線をさまよわせると、一番後ろの席にいる女子と目が合った。
そうだ、と思う。
わたしは、彼女の趣味を知っていた。
「筒見さん」
「……筒見?」
わたしと竹田くんに呼ばれて、筒見さんはびくりとした。
「筒見、できると?」
教室中から注目を浴びて、筒見さんは、顔を真っ赤にする。
小さくなってうつむき、それから上目がちにわたしを見て、彼女はこくりとうなずいた。
◇
ホームルームが終わり、先生が教室を後にする。
みんなが帰り支度をする中、わたしは席を立ち、筒見さんに声をかけた。
「ごめん、筒見さん。巻き込んじゃって……」
彼女は、ふるふると首を左右に振った。
「いいの」
「でも、迷惑じゃ……」
「ううん。迷惑どころか、ちょっとわくわくしてるよ」
彼女は、ほほ笑んだ。
「お守りつくるの、楽しそう。それに、みんながよろこんでくれるなら」
そこで、彼女は思いついたような顔をして、
「よかったら、森下くんのおばあちゃんと一緒につくりたいな」
「えっ!」
「色々、教えてもらいたいなって。おばあちゃんのマスコットも見てみたい」
「あ、ええと……」
まずい。
おばあちゃんも手芸をするにはするけれど、わたしほどではない。
ごまかさなければ。
「あ、あの。おばあちゃんは、ぼく以外の人に手芸してるところを見られたくないみたいで……」
どんな嘘だ、と自分でも思う。
「マスコットも、見せたくないらしくって」
「そう……」
彼女は、悲しそうに顔をふせる。
心苦しくて、わたしはとっさに、
「筒見さんがいやじゃなかったら、ぼくと一緒につくるのはどう? 簡単な裁縫くらいなら、おばあちゃんに教わったから……」
すると彼女は、たちまち表情を明るくした。
「うん」と、うれしそうにうなずく。
「悪いな、ふたりとも」
後ろから、声をかけられた。
生駒くんだ。
「面倒事を押しつけて。無理しなくていいからな」
「い、いいよ。大丈夫だよ」
「お守り、次の試合に間に合えばいい?」と、筒見さん。
「二回戦は、三日後? だったよね」
「九人分もつくってくれるっちゃろ? そんなに慌てんでいいよ」
「え? でも……」
言葉につまるわたしの肩を、生駒くんはぽんぽんと叩く。
「すぐじゃなくてよ。決勝に持っていければ、それで十分。一番の大勝負だから」
「決勝……」
「ああ。まあ、そこまでは、絶対に勝ち上がるし?」
彼は不敵に笑い、白い歯をみせた。
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