第1話 春の海 三.
腕時計の針は、三時を回った。
すれ違う人もいない遊歩道を北へ行くと、やがて国道と交差するようになった。
歩いていける道は、先まで伸びている。
横断歩道を渡ってさらに北へ行くと、目の前に橋梁があらわれた。
「線路だ」
そうつぶやいたとき、右方から、電車が枕木を踏む音が聞こえてきた。
二両の電車が橋梁を渡り、町の東にある駅へ走っていった。
電車の音が遠のいて、今度は、波の音が聞こえるようになった。
橋梁のすぐ向こうに海があって、青々とした光がこちらに届いていた。
線路とぶつかるように歩道は終わっていたけれど、右手に、土手の一段下の道に行ける階段があった。
降りてみると、整地されていない、岩や石ででこぼこの、細い道が伸びていた。
その道は、橋梁をくぐるようにして、砂浜に続いている。
胸がどきどきした。
海に会うとき、わたしはいつも、なぜだかどきどきする。
足を取られないよう、慎重に進む。
スニーカー越しでも、足裏に、ごつごつした岩の感触が伝わってくる。
橋梁の影を出ると、大きな水たまりのような場所が目の前に広がった。
川の終わりの部分だ。
でも、川は海にはつながっていなかった。
まるでしきりのように、砂浜を挟んで、川と海が、はっきりとわかれている。
干天で、水量が足りないせいだろうか。
それとも、潮の満ち引きが、たまたまそういうタイミングなのだろうか。
でこぼこ道を歩ききり、砂浜に立つ。
雲のない空が、水平線のところで白みがかっている。
海の濃い青が、定規で引いたように、空と海との境界線をわけていた。
空の青と、海の青は違う。それは、混ざりあうことのない青色だ。
潮のにおいのする風が吹き、おだやかに寄せる白波の音が、耳の奥に、立体感をもってひびいた。
夏は海水浴客でにぎわう砂浜だけれど、今は、わたし以外に人の姿はない。
「あははっ」
笑い声がもれた。
誰もいないということが、こころをどんどん軽くする。
わたしは、ひとりじめの砂浜を、わくわくしながら歩き回った。
貝殻を拾い、波の際で海水にふれる。
つめたい海水に濡れた指をなめると、生き物の涙が凝縮された、海の味がした。
うろうろしているうちに、水たまりに近いところで、流木が重なっているのを見つけた。
陽と潮で、まっしろになった流木だ。
ここに流れ着くまでに、途方もない時間をかけて、海を旅してきたのだろう。
近くの一本をとってみると、とても軽い。
指で弾くと「かん」と、中身のつまっていない音がする。
嗅いでみると、やさしい潮の香りがした。
わたしは、その流木たちのどれか一本を、おみやげに持って帰ることにした。
このすてきなものを、おばあちゃんにも見せてあげようと思ったのだ。
あまり大きくなくて、形がよくて、うんと白いもの。
しばらく具合のいい流木を探して、理想的なひとつを見つけた。
波がていねいに研磨したのだろう。
両端が丸みを帯びた、象牙みたいにきれいなものだ。
手の上で転がすと、その流木は陽を反射して、ちかちかと輝いた。
まるで表面に、目に見えないダイヤモンドのつぶが埋まっているようだった。
それは間違いなく、時間の結晶だけが持つ光だ。
特別なものを見つけて、わたしは嬉しくなった。
腕時計を見ると、四時五分を回っている。
そろそろ、帰らなくてはいけない。
わたしは流木を大事ににぎって、来た道を戻ろうとした。
その時、とん、と、背後から肩をたたかれた。
わたしのほかには、誰もいなかったはずだ。
驚いてふり向くと、そこには、若い女性が立っていた。
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